競馬歳時記【12月4週】「阪神C」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「阪神カップ」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

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阪神カップ(はんしんカップ)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬重賞競走GII)である。

阪神カップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

概要

  • 2006年に新設された重賞競走。従来の中央競馬は長距離を重視した競走体系となっていたが、個々の馬の適性を見出す観点から競走体系を見直し、段階的に短距離競走体系の整備が進められ、スプリンターマイラーがともに出走可能な新たな魅力をもつ競走と位置づけ、芝1400mのGII競走として創設された。
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前史①:阪神の年内最後の大レース

「阪神C」は年末(12月後半)に開催される阪神開催年内最後の重賞です。2011年までは12月の第3週で、チャンピオンズCにG1が1週ずつ押し出された2012年からは12月4週に開催されています。過去には年末にどんな大レースが開催されてきたのか、ざっくり見ていきましょう。

レース名
読売C1949・50・51・54・64
鳴尾記念1952・53
阪神3歳S1954・63
阪神大賞典1955・68~83
朝日チャレンジC1957・58・59・60
阪神牝馬特別1961・62・64~67・84~89
ラジオたんぱ杯3歳S
     ↓
ラジオNIKKEI杯2歳S
1991~2005

レース数は多いですが、長かった時期でまとめると、「阪神大賞典」、「阪神牝馬特別」、「ラジオたんぱ杯3歳S」の3つが昭和後半から平成前半に関西の最終週に行われていた大レースとなります。

ちなみに、過去と比較すると、『阪神』を冠した重賞としては距離こそ違えど「阪神大賞典」に近く、またアングロアラブ馬による「読売カップ」が戦後復活した阪神競馬のラストを飾る様に行われて復興していったことに鑑みれば、これらのレースの伝統を汲む一方で、距離を1400mに設定した重賞だったという見方ができるでしょう。

前史②:1600m未満の古馬重賞

阪神カップが1400mとして創設された経緯には、スプリントとマイルという2つの路線の交差点となることが念頭にあります。

マイルと中距離の中間の「中山記念」や「毎日王冠」、中距離とクラシックディスタンスの中間の「京都記念」や「オールカマー」などに比べて、短距離とマイルの中間の「1400m」が手薄だったことを踏まえて、他と並ぶいわば『スーパーG2』を、高額賞金と共に誘致しようというのが意図でした。

戦前から「マイル」という距離は古馬大レースの下限的な扱いとされ、戦後もしばらくは古馬の重賞はマイルが実質的な下限とされてきました。マイルで施行された重賞については下で纏めたとおりです。

だからこそ、昭和40年代に「スプリンターズS」と銘打った短距離(1200m)戦が古馬重賞として創設されたことは画期的でした。(↓)

1400mという距離で重賞が一気に立ったのが1967年だったのですが、いずれも現2~3歳戦であり、古馬重賞では1971年から1980年までの「CBC賞」(12月開催)が最初期といえそうです。

1980年代の入り口には「CBC賞」しかなかった1400mの古馬重賞は、1980年代前半の短距離路線拡充に伴って、1400mの重賞(現G2)が次々と整備されていきました。ただあくまでも1200mや1600mのG1の前哨戦的な位置づけも根強かったため、目標となるレースとして1400mの古馬重賞が設定されたことは2000年代当時としては画期的でした。

2000年代:1400mのG2として創設

では本題の「阪神C」です。当初は12月の第3週に開催されていました。初回には、イギリスの「コートマスターピース」が出走し1番人気に支持。しかしマイルCSでの7着より着順は奮わず9着でした。

勝ったのは8番人気の3歳馬【フサイチリシャール】で、朝日杯以来1年ぶりの勝ち鞍によってその後は短距離路線へとシフトするキッカケとなりました。

回数施行日優勝馬性齢タイム
第1回2006年12月17日フサイチリシャール牡31:20.6
第2回2007年12月16日スズカフェニックス牡51:20.6
第3回2008年12月21日マルカフェニックス牡41:21.6
第4回2009年12月20日キンシャサノキセキ牡61:20.4

第2回は高松宮記念の覇者・スズカフェニックスが人気に応えるも、第3回は年始に4連勝を飾るもオープン入りしてから苦戦が続いていた8番人気の【マルカフェニックス】が適距離1400mで優勝。そして、第4回は【キンシャサノキセキ】が1400mで重賞を連勝し、そのまま4連勝で翌年の高松宮記念を制しています。

一応G1級の馬が1番人気で勝ったりもしていて、創設当初の目的はしっかりと果たしていました。当時はまだG1級の馬が「香港」に遠征することが今ほど一般的ではなかったからでしょう。

2010年代:連覇が3例、香港への流出も目立つように

2009年から表示していますが、2010年代前半だけで「連覇」が3例も誕生しました。前述のキンシャサノキセキ、そしてサンカルロとリアルインパクトです。

ただ、1番人気の優勝例は少なく、この表の中では2009年と2019年の2例のみ。リアルインパクトは連覇を果たしているもののどちらの年も8番人気と伏兵扱いでした。

第4回2009年12月20日キンシャサノキセキ牡61:20.4
第5回2010年12月18日キンシャサノキセキ牡71:20.3
第6回2011年12月17日サンカルロ牡51:20.5
第7回2012年12月24日サンカルロ牡61:21.0
第8回2013年12月23日リアルインパクト牡51:21.4
第9回2014年12月27日リアルインパクト牡61:20.7
第10回2015年12月26日ロサギガンティア牡41:21.4
第11回2016年12月24日シュウジ牡31:21.9
第12回2017年12月23日イスラボニータ牡61:19.5
第13回2018年12月22日ダイアナヘイロー牝51:21.1
第14回2019年12月21日グランアレグリア牝31:19.4

設立当初はあまり考慮する必要のなかった外的要因が2010年代には目立つようになります。それが「香港国際競走」の台頭および日本馬の遠征に伴う流出です。

2000年代後半は大敗することも多かった香港マイル&スプリントですが、「スプリント」で【ロードカナロア】が連覇し、2014年にはストレイトガールが3着。また「マイル」でも2014年にグランプリボスが3着となると2015年にモーリスが優勝しています。

2014年以降は3頭以上の日本馬が両G1に出走するようになり、2000年代と比べて、G1級の馬が国内の『阪神カップ』を目標とするケースが減ってきた事が、この重賞の地位低下を齎してしまっています。

ただ、レースそのものは、『古馬が久々の(重賞)優勝』を果たしたり、『3歳馬が来年以降の活躍を期待させる走り』を見せる場という印象があり、短距離路線の『有馬記念』のようなワクワク感があるのは非常に魅力的です。国内G2としては高額な賞金なのも大きいでしょう。

2020年代:G1相当のレースレーティング

2016年以降のレースレーティングを併記しました。G2の目安が110ポンド、G1の目安が115ポンドと考えると、2020年代にはかなりのハイレートを叩き出していることがわかります。2020年に至っては116ポンドであり、G1の基準115ポンドすら超えています。

第11回2016年12月24日114.50シュウジ牡31:21.9
第12回2017年12月23日113.00イスラボニータ牡61:19.5
第13回2018年12月22日109.25ダイアナヘイロー牝51:21.1
第14回2019年12月21日111.75グランアレグリア牝31:19.4
第15回2020年12月26日116.00ダノンファンタジー牝41:19.7
第16回2021年12月25日114.50グレナディアガーズ牡31:20.3

2019年の【グランアレグリア】が半年ぶりのレースで5馬身差の圧勝を果たすも、2着以下の評価が下がってしまったことで111.75ポンドとなってしまいましたが、2018年に底を打った直後は『スーパーG2』に相応しい充実した内容となっています。

ただ、当初と異なり『香港国際競走』にG1級が積極的に向かっている状況に鑑みると、どこまで地位を保てるかは不透明です。香港スプリントや香港マイルの1着賞金が1000万香港ドルを超え、2着でも1億円クラス出ると考えると、日本でいう複勝圏内に入れば『G2』級の賞金が狙えます。

賞金を引き上げるのはG2である限り上限に近いかと思うので、となれば時期を見直す以外に劇的な改善は現実問題としては難しいでしょう。コンセプトや阪神競馬場の年末の伝統と、海外を含めた周囲の状況をどのように考えていくのか令和の時代の「阪神C」を注目していきたく思います。

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