【はじめに】
この記事では、日本語版ウィキペディアの各記事を通じて、「大相撲の決まり手」のうち『反り手』の6手についてざっくり学んでいきたいと思います。
「決まり手」について
決まり手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相撲の技を言葉で表現しようとする試みは、戦国時代(16世紀後半)に始まるといわれる。『信長公記』に相撲の記事があり、その中で勝負の結果を決まり手も含めて表現したことが始まりとも伝えられる。この時代には土俵がなかったので、投げ・掛け・反り・捻りのいわゆる四十八手が言われていた(元禄年間(1688~1704年)に四十八手に分類されたとも伝わる)。18世紀に土俵が完成してから、寄り・押し系の決まり手も生まれた。
戦前までは、各種マスコミにより決まり手報道はばらばらであったため、1955年に日本相撲協会は決まり手68手と非技2つ(勇み足と腰くだけ)を決め、場内放送で公式に流すことにした。また、日本相撲協会の星取表にも十両以上の決まり手を掲載するようになった。
1960年に出し投げが上手出し投げと下手出し投げに分かれ、また切り返しから河津掛けが分離し、70手となった。2000年にそれまでの決まり手に技12手、非技3つが加えられ、現在は技は82手、非技は5つある。アマチュア相撲でも、大相撲にならって決まり手を決定している。
寄り切り、押し出し、叩き込み、上手投げなどは頻繁に出現するが、反り技を中心に滅多に出現しない決まり手もいくつか存在する。珍しい決まり手が出たときには大いに報道される。なお、撞木反りのように1955年の決まり手制定以来出たことがないというものも存在する。
「大相撲の決まり手一覧」も参照
★☆☆☆☆ 居反り(いぞり)
上からのしかかってきた相手の懐に潜り込み、両手で相手の両膝裏を取って持ち上げ、自らの後ろに反り投げる技。
珍しい決まり手で、平成期では幕内の取組では使われていない。
十両では1993年1月場所12日目において智ノ花が花ノ国に対して両手でまわしを持った形のこの技で勝っている。
また幕下以下では、聡ノ富士が16回以上決めている。
過去には1937年1月場所7日目、大関鏡岩が横綱男女ノ川をこの技で破っているが、横綱大関戦で反り技が出ることは当時でも皆無に等しく、非常に珍しい出来事であった。
宇良は、アマチュア時代に居反りを記録した映像が話題になり、入門前から「居反りの宇良」と呼ばれていた。しかし、本人の信条はあくまで押し相撲であり、入門以来長きに渡り記録していなかった。
2016年九州場所で試みたが敗れている。2020年11月12日、十両復帰場所となった11月場所5日目に対旭秀鵬戦で遂に初の居反りを決め白星を挙げた。
映像外部リンク |
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11月場所この決まり手がすごい!(13分47秒-) 2020年12月17日、日本相撲協会公式Youtubeチャンネル。宇良の居反りの取組動画あり。 |
★☆☆☆☆ 伝え反り(つたえぞり)
伝え反り(つたえぞり)とは、相撲の決まり手のひとつである。相手の脇の下を潜り抜け、相手を後ろに反り倒す技。2000年12月に追加された技の一つである。
2000年に決まり手に制定されて以降、幕内では2度この決まり手が記録されており、
それぞれこの技を決めている。また、十両では2度記録されており、
それぞれ決めている。このときは同じような体勢で上体をそらし、トリノオリンピックで金メダルを獲得したフィギュアスケート選手の荒川静香の得意技に掛けて、「イナバウアー」ともてはやされた。
★★☆☆☆ 襷反り(たすきぞり)
襷反り(たすきぞり)とは、相撲の決まり手のひとつである。片手で相手の差手を抱えるか掴み、その差手の下に頭を潜りこませ、もう一方の手で相手の差手側の脚を内側から掬い上げ、背中から相手にもたれるように後ろに反り倒す技。
仕掛ける体勢自体は同じ反り手に分類されている撞木反りと類似しているが、撞木反りと異なり相手を肩の上には担ぎ上げず、相手の勢いに乗じて自らが反ることにより相手の体勢を崩す事を狙う技である。
明治時代活躍した小結両國が得意とし、若い頃の太刀山がこの技に敗れた記録が残っている。
1951年5月場所3日目栃錦が身長213cmの不動岩をこの技で破ったことがあり、その時の写真はこの技を解説する際に今日でも用いられている。
1960年1月に決まり手が制定されて以来、幕内で使われたことはない。幕下以下でも非常に珍しい技であるが、平成以降では聡ノ富士が7回決めている。
十両では2017年1月場所13日目の取組で宇良が天風に対して襷反りを決めているが、これが十両以上では初めての記録例となった。ただし、この時は宇良は相手の脚には触れていないため、厳密には伝え反りに近いとも言える。
★★★☆☆ 外襷反り(そとたすきぞり)
外襷反り(そとたすきぞり)とは、相撲の決まり手のひとつである。
片手で相手の差手の肘を掴み、もう一方の手で相手の手の上を通し、相手の足を内側から掬い上げて後ろに反り倒す技。1960年1月に決まり手が制定されて以来、幕内の取り組みで使われたことはない。ただ、決まり手制定以前の1944年1月場所において幕下時代の栃錦が決めている。
★★★★☆ 掛け反り(かけぞり)
掛け反り(かけぞり)とは、相撲の決まり手の一つである。相手の腋に頭を入れ、切り返しのように足を掛け、後ろに反って倒す技。
1960年1月に決まり手が制定されて以来、幕内の取り組みで使われたことはない。幕下以下では、最近では2001年3月場所4日目、序二段でモンゴル出身の保志桜が決めている。
★★★★★ 撞木反り(しゅもくぞり)
撞木反り(しゅもくぞり)とは、相撲における決まり手のひとつ。
相手の懐に潜り込み、相手を横向きに肩に担ぎ上げるようにして後ろに反って倒す技。
仕掛ける体勢自体は同じ反り手に分類されている襷反りに類似しているが、襷反りは相手を肩の上には抱え上げないのに対して、撞木反りは相手を完全に抱え上げて後方に叩き落とす事を狙う技で、要領としては柔道の肩車……に近い。
もっとも珍しい決まり手であり、1960年1月に決まり手が制定されて以来、幕内・十両のみならず、取的を含む全取組を通しても本場所・準場所・巡業・イベント問わず、1度も使用されたことが無い。
記録の残る使用例は1929年(昭和4年)秋場所9日目に東前頭10枚目の常陸嶌朝治郎が西前頭14枚目の東関善三郎に対して決めた1例のみであり、後にも先にも他に使用例は無い。
柔道やレスリングの類似技に比べて使用頻度が非常に低いのは、相手の懐に潜りこむことが必須のため、膝を土俵についてしまう危険性が高くなることがその理由であると思われる。また、相手の懐に潜り込めたとしても、相当の腕力と担ぎ上げた相手より先に土俵につかずに持ちこたえるだけの柔軟性を要する(この二つは往々にして相反する)、担ぎ上げたところで暴れられて共倒れになる危険もある(この場合下の力士が不利)、力士全般の大型化によって担ぎ上げる事が困難になった、これらの事から(仮に相手の懐に潜り込むとしても)体に負担のかかる撞木反りよりも足を取って倒した方が楽で確実である、などの事情もあるであろう。
実際、決まり手係を務める元・大飛進の大山親方がNHKから決まり手についての取材を受けた際に「撞木反りは無理だと思います」と断言しており[1]、今後も出ることは無いと考えられている幻の珍手である。
アマチュア相撲では、近年の例で2011年11月6日の第89回全国学生相撲選手権大会団体戦準決勝(関西学院大学 – 法政大学)において、関西学院大学1年の宇良和輝が、撞木反りを決めたことがある。
なお、撞木とは寺社において鐘をつく際に用いられる木製の棒のことである。
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