【はじめに】
この記事では、主に昭和の時代に日本中央競馬会(JRA)で起きたストライキによる重賞日程への影響などについてざっくりまとめていきたいと思います。
1999年を最後に、しばらく本格的なストによる日程変更が起きていませんでしたが、特に昭和中期において、春の競馬の番組予定表が大きく崩れ、クラシック競走を含めた大レースも日程変更を余儀なくされることがしばしばありました。皐月賞が5月・東京、ダービーが7月に開催された事例もあります。
1970年代以降
1999年4月3日(土)→4月10日(土)
1999年の日本競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
翌日には第1回「中山グランドジャンプ(旧・中山大障害 春)」と「桜花賞」が開催された1999年の4月第2週。土曜日に開催された「阪急杯」では、牝馬ながらトップハンデ相当の56.5kgを背負った【キョウエイマーチ】がローズS以来1年半ぶりの優勝。同期のブロードアピールを1馬身抑えての勝利でした。
1976年4月:皐月賞1週順延(TT対決に明暗)
- 4月18日 – 厩務員労組の労働争議のため、2回中山・阪神の7日・8日開催、および3回東京・京都1日開催が取りやめとなる。皐月賞は3回東京2日開催に代替施行された。
中央競馬の主な競走
1976年の日本競馬
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この年は、ちょうど「TTG(トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラス)」の世代です。この時の顛末について、テンポイントの陣営から明確に書かれているので、そちらを引用しましょう。
関東では苦戦が続いたものの、5戦5勝という成績でクラシック初戦の皐月賞に臨むことになり、テンポイントとトウショウボーイが初めて顔を合わせるということで「TT決戦」として注目を集めた。
しかし、厩務員の労働組合による春闘の影響でテンポイントの調整に狂いが生じた。この年の春闘はベースアップを巡り労働組合側と日本調教師会が激しく対立し、厩務員側のストライキによって皐月賞施行予定日の4月18日の競馬開催が中止となる可能性が出た。
テンポイント陣営はストライキは行われないと予想しレース施行予定日の3日前に強い負荷をかける調教を行ったが、予想に反してストライキが行われ、皐月賞の施行は1週間後25日に順延された。その後組合と調教師会の団体交渉は長期化し、25日の開催も危ぶまれるようになった。陣営は今度は再度順延になると予想した上で24日に強い負荷をかける調教を行ったが、調教を行った数時間後にクラシックだけは開催することで合意が形成され、再び予想が裏目に出る結果となった。
これらの調整の狂いによってテンポイントには疲労が蓄積し、苛立ちを見せるようになった。その結果レースでは1番人気に支持されたものの、トウショウボーイに5馬身差をつけられ2着に敗れた。
テンポイント
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ストというのは、なかなか先が見通せず、人間の思惑に馬が翻弄されることもありました。調整が万全でない中で馬に負担を強いることに繋がることも珍しくありません。テンポイントの“悲劇の馬生”は、初めての敗戦の段階で、人間に翻弄されていたことになります。
1975年4月19日(土)→5月16日(金)
1975年の日本競馬
- 4月19日 – 厩務員組合京葉労組組のストライキのため、中央競馬は3回東京1日開催を中止、5月16日を8日目として施行した。
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未勝利戦と条件戦のみの開催だった1975年4月19日の東京開催は、翌月16日(金)へ。オークスへと3日連続での開催となりました。
なおこの年は、テスコガビーとカブラヤオーが牡牝で春2冠を達成し、いずれも菅原泰夫騎手が制したことでも記憶されるシーズンともなっています。
1974年4~5月:皐月賞・東京開催へ
1974年の日本競馬
- 4月11日 – 厩務員ストライキのため、中央競馬は2回中山・阪神の7日・8日開催が中止となる。皐月賞は5月3日の東京開催に、天皇賞(春)は5月5日に順延された。
- 5月2日 – 厩務員ストライキのため、4回東京開催の番組が変更される。
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ストライキによって皐月賞が東京開催となったのは、この1974年が最後。4月中旬からの重賞がゴールデンウィークに順延して集中し、良く言えば豪華(悪く言えば渋滞)な重賞ラッシュとなりました。
日付 | 東京 | 京都 | 新潟 |
---|---|---|---|
5月3日 | ・NHK杯 ・皐月賞 | ||
5月4日 | ・京王杯SH ・4歳牝馬特別 | ・読売杯マイラーズC | |
5月5日 | ・京都大障害(春) ・京都4歳特別 ・天皇賞(春) | ||
5月12日 | ・アルゼンチンJCC | ・タマツバキ記念 | ・関屋記念 |
ダービートライアルで皐月賞からの連戦組も当時は主流だった「NHK杯(2000m)」が、延期となって東京開催となった「皐月賞」と同日開催。史上初のシード馬(=単枠指定馬)に指定された【キタノカチドキ】が人気に応えて優勝するも、日本ダービーで3着と初黒星を喫した背景には、このストによる日程変更があったのかも知れません。
そして、東京・京都競馬場では2日で4つの重賞級競走(うち1つは八大競走)が行われ、5月5日に至っては毛色の違う重賞3連発まで行われていました。タケホープが優勝し、ハイセイコーが距離に泣いて6着と敗れた天皇賞(春)で、ストによる日程変更の影響は一段落しています。
1973年
1973年の日本競馬
- 4月1日 – 東京・中山投票所臨時従事員がストに突入、このため関東地区での場外発売が中止される。
- 12月1日 – 中央競馬の厩務員組合のひとつである京葉労組が前日スト、このため第5回中山1日の開催が取りやめになる。
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1972年4月:2週スト(馬インフルもあり大幅ずれ込み)
1972年の日本競馬
- 4月15日・16日 – 厩務員ストライキのため、中央競馬の中山・阪神・福島で開催予定の競馬が中止となる。
- 4月22日・23日 – 厩務員ストライキのため、中央競馬の東京・京都・福島で開催予定の競馬が中止となる。
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春1冠目の開催時期を直撃した1972年のストは2週全休となり、やはりゴールデンウィークに重賞が集中した時期がありました。そして、当時を振り返ると、
- 桜花賞(阪神競馬場・5月21日)優勝 : アチーブスター(騎手 : 武邦彦)
- 皐月賞(中山競馬場・5月28日)優勝 : ランドプリンス(騎手 : 川端義雄)
- 優駿牝馬(東京競馬場・7月2日) 優勝 : タケフブキ(騎手 : 嶋田功)
- 東京優駿(東京競馬場・7月9日) 優勝 : ロングエース(騎手 : 武邦彦)
本来、オークスやダービーが開催されるはずの5月下旬に桜花賞と皐月賞が開催され、オークスとダービーに至っては7月上旬までズレこみます。史上最も遅れて開催されたダービーとして記憶されます。
これは年始に終息するまで時間を要した「馬インフルエンザ」の流行による所が大きかったのですが、さらにストライキによって日程が渋滞してしまったことは特筆すべきことと言えるでしょう。
1960年代以前
1967年4月:桜花賞・皐月賞が同日開催
1967年の日本競馬
- 4月8日 – 全学共闘会議のストライキのため、9日までの中山・阪神競馬開催が中止される。9日に予定されていた皐月賞は30日に延期された。
- 4月15日 – 全学共闘会議のストライキのため、16日までの中山・京都競馬開催が中止される。ストライキは22日に解決した。
- 4月30日 – 延期となっていた桜花賞と皐月賞が同日開催で施行。八大競走では史上初にしてまた史上唯一の同日開催となった。同日には中山競馬場でNHK杯も開催され同一競馬場での1日2重賞となった。なお、前日29日には天皇賞・春が開催されたが、2日連続での八大競走開催も史上初にして史上唯一の事例であった。
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結果的に、桜花賞と皐月賞の間隔が半月となった上に、オークスとダービーが連日(1967年5月13日は土曜日)開催となったことも注目に値するでしょう。
( 同上 )
1964年
1964年の日本競馬
- 4月10日 – 日本労働組合全国協議会の72時間ストライキのため、中央競馬の2回京都1日・2日、3回東京1日・2日は管理職により競馬を遂行される。
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1963年4月:皐月→オークス→ダービーが3週連続に
1963年の日本競馬
- 4月7日 – 日本労働組合全国協議会のストライキのため、中央競馬は2回京都2日の開催が中止、10日に代替開催される。ストは27日に解決。
- 4月13日 – 厩務員のストライキのため、中央競馬は3回中山5日・6日の開催を中止した。
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桜花賞は3月末に開催されましたが、皐月賞は実に5月中旬までズレこみ、そうした結果、皐月賞 → オークス → ダービーが3週連続での開催、皐月賞とダービーは中1週という日程となってしまいました。
- 桜花賞(阪神競馬場・3月31日)優勝 : ミスマサコ(騎手 : 瀬戸口勉)
- 天皇賞(京都競馬場・4月29日) 優勝 : コレヒサ(騎手 : 森安重勝)
- 皐月賞(東京競馬場・5月12日)優勝 : メイズイ(騎手 : 森安重勝)
- 優駿牝馬(東京競馬場・5月19日) 優勝 : アイテイオー(騎手 : 伊藤竹男)
- 東京優駿(東京競馬場・5月26日) 優勝 : メイズイ(騎手 : 森安重勝)
1962年4~5月:クラシックが初延期
1962年の日本競馬
- 4月13日 – 厩務員のストライキが発生し、本馬場調教が不能になり、また皐月賞を含む3回中山5日・6日が中止・延期となった。クラシック競走の延期は今回が初めての事例となった。ストライキは18日に解決した。
- 4月20日 – 競馬法の一部を改正する法律(法律第83号)が公布される。これにより、それまで地方競馬の施行者は自治大臣の指定した市町村であったが、これを原則として都道府県に改めるものであった。また、投票方式についても重勝式勝馬投票法が廃され、代わって連勝式勝馬投票法が採用された。
- 5月12日 – 日本労働組合全国協議会のストライキのため、3回東京の6日・7日は開催を中止する。ストライキは19日に解決した。
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皐月賞が4月22日開催となり、初の2桁人気馬【ヤマノオー(13番人気)】が優勝。10戦9勝でレコード勝ち3度で断然人気だった【カネツセーキ】は2着と敗れ、ダービーでは28着と大敗しました。
( 同上 )
1961年
1961年の日本競馬
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1960年
1960年の日本競馬
- 1月20日 – 全国競馬労働組合と関東調教師会との間で賃上げ交渉を目的としたストライキが発生。2月27日になって解決する。
- 11月13日 – 菊花賞目前に関西全馬労がストライキを決行するが、菊花賞が行われる直前でストライキは回避される。
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1959年
1959年の日本競馬
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1958年
1958年の日本競馬
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