日本ダービー馬が札幌競馬に出走した事例をまとめてみた【シャフリヤール参戦】

【はじめに】
日本ダービー馬が札幌競馬に出走する事例は、実は案外少なくて、実は半世紀以上勝てていない!? 今日はそんなお話しです。

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戦後直後のミハルオーから、日本ダービー馬を勝った後に札幌競馬に挑戦した事例を時代ごとに振り返っていき、競馬の『アノマリー』ともいえる過去の呪縛を解き放つ馬は現れるのか、その背景知識を抑えていきたく思います。

昭和時代:4頭(1-1-2-2)

札幌での競馬の歴史は「札幌神社」での祭礼まで含むと先日150年を突破し、現在地に開設されたのは明治の終わり(1907年)だったそうです。そして「東京優駿(日本ダービー)」が創設された昭和初頭(1932年)には既に競馬が開催されていましたが、本州の競走馬が北海道の競馬場に遠征することは、馬運車もない時代、殆ど見られませんでした。

札幌競馬は太平洋戦争による中断を経て、1946年(昭和21年)7月に進駐軍主催のアメリカ独立記念日を祝う競馬会として再開。進駐軍は、戦争中に畑になっていたコースをわずか1日の突貫工事で整備。整備はアメリカ軍が手掛けたため、本国と同様に札幌競馬場は再び左回りとなった。

札幌競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戦後、下記のように北海道での競馬が再開されると、『日本ダービー馬』の札幌競馬挑戦の初の事例が誕生することとなります。

1948年優勝:ミハルオー

1947年に北海道でデビューし、札幌競馬でも2戦(札幌3歳特別をレコード勝ち)した【ミハルオー】は、皐月賞(当時の農林省賞典)で3着に敗れるまでデビュー8連勝を記録。10戦9勝で日本ダービーを制します。

日付レース名距離人気着順斤量
1948/5/16農林省賞典東京芝20001人3着57kg
1948/5/29A4歳東京芝20001人1着59kg
1948/6/06東京優駿東京芝24001人1着57kg
1948/9/11A4歳札幌砂18001人4着64kg
1948/9/19札幌記念札幌砂20001人10着63kg

東京優駿を勝ってから翌年の春の天皇賞までの間、連敗を続けることとなるミハルオーですが、9月に行われた「A4歳」(戦後は出走頭数も少なかったため、A・B級にクラス分け)は64kg、当時は今でいうオープン特別のような立ち位置だったとされる「札幌記念」では63kgを背負い大敗を喫します。

春の天皇賞で3200mという距離を制しているので距離の問題ではないですし、現2歳に札幌競馬で連勝をしていることから「砂/ダート」がからっきしダメだった訳でもありません。夏を越すのが難しかったとか、今と違って叩きのつもりでレースに出したのか、一種のスランプに陥っていたのかは分かりませんが、現3歳馬が秋に背負うには過酷な斤量も相俟って、大苦戦を強いられたところから日本ダービー馬の札幌挑戦の歴史はスタートします。

1965年優勝:キーストン

ミハルオーの事例を受けてなのか、あるいは菊花賞に挑戦する現3歳馬が昭和30年代以降当たり前になっていったからなのか、あるいは夏を休養に当てる陣営が増えたからなのか分かりませんが、ダービーを優勝した直後に砂コースの札幌開催に挑む事例は20年近く見られなくなります。

少し毛色は違いますが、1965年にダービー馬となった【キーストン】は比較的、夏の北海道の開催を重視していたように思えます。現3歳時には函館開催に挑んでいますし、現5歳時は1年3ヶ月ぶりの復帰戦を函館に選んでいます(↓)。

キーストン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そして、1年4ヶ月ぶりの優勝を果たしたのが、1967年8月18日に開催された「札幌競馬」での平場のオープン戦でした。デビュー5ヶ月だった井高淳一騎手が乗ったことで53kgという軽量で臨めた本競走は、まさに復活の狼煙をあげるには最適の環境で、堂々3馬身差の快勝。

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結局はそこから4連勝を果たすも、最期の「阪神大賞典」での悲劇に繋がってしまう点は運命の悪戯かとは思いますが、キーストンの晩年の活躍の起点となったのがこの札幌開催だったことは抑えておきたいところです。

1968年優勝:タニノハローモア

タニノハローモアとは日本の競走馬。第35回日本ダービーを、3強と称されたマーチスタケシバオーアサカオーを出し抜き優勝した事で知られている。

タニノハローモア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

タニノハローモアは人気薄での優勝で、菊花賞まで1ヶ月程度の休みのみで走り続けました。七夕ダービーとなった1968年の変則日程の中、8月11日にはオープン特別、25日には札幌記念を戦い、どちらも人気相当ではありますが惜敗しています。

日付レース名距離人気着順斤量
1968/07/07東京優駿東京T24009人1着57kg
1968/08/11札幌競馬場
スタンド増設記念
札幌D18003人2着55kg
1968/08/25札幌記念札幌D20003人3着56kg
1968/10/06朝日CC阪神T20001人1着57kg
1968/10/27京都盃京都T20002人1着58kg
1968/11/17菊花賞京都T30003人6着57kg

こうしてダービー馬が直後に札幌競馬へと挑戦するのはミハルオー以来、約20年ぶりのことでした。

1971年優勝:ヒカルイマイ

ややもすると裏街道的なイメージを持たれるコースを歩んだ【ヒカルイマイ】が、春2冠を3連勝で制した1971年。ダービー制覇から3ヶ月後、栗東に戻る前に札幌のオープン戦を使いますが、現3歳馬が58kgを背負った負担は大きく、同い年で4kg軽い2頭に敗れ、4~5馬身差をつけられて3着でした。

菊花賞を制することとなるニホンピロムーテーに「京都新聞杯」で9着と敗れると、菊花賞を前に屈腱炎を発症し現役を引退しています。

昭和の中頃までは積極的にレースを使い、それこそ昭和の前半までは調教代わりにレースを使う陣営さえありましたが、昭和も後半になると無駄に使うことは減っていきます。夏に北海道に放牧することは交通の関係などで珍しくなくなりましたが、敢えて北の地でレースを使うことはなくなり、地元などに戻って主要4場で使うことが一般的となっていったのです。

実はこれを最後に、しばらく日本ダービー馬の札幌競馬挑戦は途絶え、時代は21世紀にまで飛ぶこととなるのです。

平成時代:3頭(0-2-1-1)

2001年優勝:ジャングルポケット

21世紀最初の日本ダービー馬となった【ジャングルポケット】は、菊花賞に挑む前走として札幌記念を選択する結果となりましたが、同い年のエアエミネムに離されての3着。

ジャングルポケット(競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平成どころかここ半世紀での「日本ダービー馬が3歳時に挑戦した唯一の例」となっています。近年ではソダシが3歳時に優勝した印象が鮮烈ですが、基本的には3歳馬が古馬に定量で挑戦するというのは非常にハードルが高いものであり、『スーパーG2』が常態化している札幌記念でなく秋G1を目標としたい3歳馬には消耗が大きすぎるのかも知れません。

ここから先はすべて古馬になってからの札幌記念挑戦の例となります。

2009年優勝:ロジユニヴァース

ロジユニヴァース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2009年までは順調だったロジユニヴァース。古馬になってからは満足に走れませんでしたが、唯一の連対を成し遂げたのが2010年の札幌記念でした。
そこから長いブランクを経て復帰したのが2012年の札幌記念。もともと札幌2歳Sを制した相性の良いコースでしたが、結果的にこれが引退レースとなってしまいました。

4歳となった2010年春は、日経賞(GII)、天皇賞(春)(GI)、宝塚記念(GI)の3戦に出走するローテーションを計画。日経賞、宝塚記念はともに敗れ、天皇賞(春)は体調が整わず回避した。夏は札幌記念(GII)で2着、その後は後脚の不安から休養となった。5歳となった2011年は、1月のアメリカジョッキークラブカップを出走を予定するも、回避。再び後脚の不安から、年内は出走することができなかった。

6歳となった2012年は、宝塚記念での復帰を目指すも叶わず、札幌記念で2年ぶりに復帰。ブービー賞に大差をつけられて最下位敗退した。その後は放牧され、再び1年半以上戦線を離脱。以降は復帰することなく引退が決まった。2013年10月30日付で日本中央競馬会の競走馬登録を抹消。

ロジユニヴァース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2016年優勝:マカヒキ

3歳にして凱旋門賞に挑戦した【マカヒキ】。5歳になって骨折からの復帰戦として選ばれたのが札幌記念でした。最後にサングレーザーにハナ差交わされますが2着と2年ぶりの勝利まであと一歩の成績を残し、G2路線では馬券圏内を保つ強さを示していることを証明しました。

マカヒキ(競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マカヒキは後に、令和になっても札幌記念に出走するのですが、ここは改元を挟むので項を改めます。

令和時代:2頭(0-0-0-2)

2018年優勝:ワグネリアン

平成最後の日本ダービー馬・ワグネリアンが、令和最初の札幌記念に出走したのが2019年のことです。

ワグネリアン(競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中山での2連敗を除けば一線級の成績を残していた中での札幌記念。落鉄もあったなかでブラストワンピースから0.2秒差の4着。惜しくも上記【キーストン】以来となる日本ダービー馬の現役死という最期を遂げることとなりましたが、まさに古馬が秋を見据えるレースとして2010年代以降定着してきた感が強くします。

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2016年優勝:マカヒキ(引退レース)

古馬になってもG1を彩ってきた【マカヒキ】は、G1では通用しなくなってきたこともあり9番人気と低評価となっていた2021年の京都大賞典でまさかの復活。
それから約1年で挑んだ「札幌記念」は実に4年ぶりの札幌遠征でした。内容としては大差シンガリ負けであり、2022年10月には引退が発表されます。

( 前述と同 )

まとめ:8頭(1-3-3-5)

日本ダービーを制した後に札幌競馬に挑んだのは、戦後直後から8頭が12回。唯一の勝利は1967年にキーストンが若手騎手を53kgで乗せて勝利した1回のみでオープン特別以上は一度も勝てていません。

改めて集計してみると案外衝撃的な数字で、12回のうち半数は1番人気ですから基本的には期待をもって挑戦するケースが多かったのでしょうに、それでいて勝率が1割付近というのは印象とかなりの乖離があります。

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まあ一歩引いて考えてみると、

  • 東京:大回り、左回り、野芝、坂有、(2400m、定量)
  • 札幌:小回り、右回り、洋芝、平坦、(2000m、平坦)

などと条件があまりにも違いすぎて、東京芝2400mというクラシックディスタンスで世代チャンピオンに輝いた馬が、2階級制覇を目指すような「札幌記念」などを制することができる保証はどこにもありません。

もちろん、札幌記念の舞台をこなせるダービー馬は多数いるでしょうが、「札幌記念」がスーパーG2であることを考えると、『そもそも小回り平坦2000mがベストな準G1馬』、『札幌記念のようなG2を本番に据える馬』、『定量では斤量面で実績馬より有利となる上がり馬』など相手にしなければならない存在と条件的に色々差が出てしまいます。

加えて、3歳で札幌競馬に出走する馬がジャングルポケットの前後50年で居なかったことを考えると、「日本ダービー」を3歳初夏に制する早熟ぶりを持った馬が、古馬になってよりスピードが求められる「札幌記念」で余裕ある勝利を収められないことは無関係でないようにも思えます。

今回(2023年)、5歳になったシャフリヤールが札幌記念に挑戦することが表明されていて注目を集めていますが、果たして期待されるような成績を収めることができるのでしょうか。明言することは出来ませんので、代わりに過去の類似記事を見ていきたく思います。

3歳馬が「宝塚記念」を一度も勝てていないことを紹介した上の記事は、2023年で最大級の閲覧数を頂きました。やはり【ドゥラエレーデ】の取捨選択において「3歳馬の実績」の過去の蓄積は大きかったのだと思います。実際、ドゥラエレーデそのものの強さをどうこう言う訳ではありませんが、過去の名馬も期待に応えられなかった歴史を見る限り、2番手でレースを進めて7番人気の10着というのは順当な結果だったという風に思います。

一般に重賞予想をする時に使われるのは10年程度で、更に変化の激しい現代においては数年スパンで見ることが普通になってきています。しかし反対に、『アノマリー』ではないですが、なぜか数十年単位でこういう結果が続いてきているというものが競馬の世界にもあることは事実です。ネオユニヴァースもウオッカも勝てませんでした。

しかし、そうした『アノマリー』もいつかは終わりが来るのだということを再認識した事例が直近ありました。「京都記念」の日本ダービー馬の存在です。

詳細は上の記事に書いていますが、2023年の「京都記念」には【ドウデュース】が出走し、競走中止となる【エフフォーリア】と人気を二分していました。ドウデュースの評価を差し引く一つに、日本ダービー馬が「京都記念」を75年間勝てていないというものがありまして、この記事にも登場したタニノハローモアやウオッカ、マカヒキなどのほかにも、アグネスフライトやボストニアンも2着と敗れるなど幾多のダービー馬が敗れてきていました。

しかしレースも終わってみれば、ドウデュースが3馬身半差の圧勝を見せ、凱旋門賞での大敗が嘘であるかのような鮮やかさにため息が漏れました。そして、戦後直後から続いてきた「日本ダービー馬が京都記念を勝てない」というアノマリーを一瞬で過去のものに追いやったのです。

もちろん、2023年の京都記念でエフフォーリアを除けばメンバーは手薄ですし、レース体系も違う現代にすべてが当てはまる訳ではありませんでした。しかしそれでも“何故か不思議と”呪縛を解けないのが『アノマリー』であって、それを解く存在はどの馬であれ英雄でしょう。

今回の記事の「日本ダービー馬を勝利した後、札幌競馬で勝てていない」という『アノマリー』を、シャフリヤールが打ち砕くのかどうか、貴方も歴史の目撃者として楽しみにしてまいりましょう!

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