【はじめに】
この記事では、気象官署「高田測候所 → 高田特別地域気象観測所(新潟県上越市大手町)」で観測された過去の強烈な揺れをまとめていきます。
旧・高田市は1971年に直江津市と合併して「上越市」となっていて、「旧・高田測候所」は2007年に「高田特別地域気象観測所」となっていますが、本記事では基本的に区別せずに参ります。
震度1以上(有感地震):100年で約850回
高田測候所は、1921年(大正10年)に創設されたといい、気象庁ホームページの「気象庁震度観測点一覧表」によれば1922年2月に地震観測が始まったといいます。
ですから、2021年をもって約100年の観測歴があるということになります。観測方法や震度階級の違いなどはありますが、10年代ごとに区切って有感地震の回数を表にしてみると以下のとおりとなります。
期間 | 震度1 | 震度2 | 震度3 | 震度4 | 5弱 | 5強 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1920年代 | 18 | 2 | 3 | 23 | |||
1930年代 | 29 | 5 | 7 | 41 | |||
1940年代 | 47 | 15 | 7 | 3 | 72 | ||
1950年代 | 17 | 3 | 6 | 26 | |||
1960年代 | 72 | 27 | 8 | 1 | 108 | ||
1970年代 | 28 | 6 | 2 | 1 | 37 | ||
1980年代 | 26 | 12 | 5 | 1 | 44 | ||
1990年代 | 44 | 19 | 10 | 3 | 76 | ||
2000年代 | 132 | 47 | 19 | 6 | 2 | 2 | 208 |
2010年代 | 155 | 34 | 10 | 3 | 202 | ||
2020年代 | 11 | 1 | 2 | 14 | |||
合計 | 579 | 171 | 79 | 18 | 2 | 2 | 851 |
・地震の発生日時 : 1922/01/01 00:00 ~ 2021/12/31 23:59
・観測された震度 : 上越市大手町(旧) もしくは 上越市大手町 で 震度1以上 を観測
・地震回数の集計 : 年代別回数
20世紀(主に体感での観測)には、10年間で数十回という時期が長かったのですが、2000年代以降は200回の時期が続いています。後述する新潟県の中越・中越沖の地震などによる地震活動と、機械計測になったことが主要因かと思います。
震度4以上:ここ100年で22回(2000年代で10回)
下の表は震度4(中震)以上に限定してリストアップしたものになります。(↓)
24回中22回は甲信越・北陸地方で発生した地震となっています。かなり固まっている事が分かります。
他方、紀伊半島南部にある2つの丸は、昭和東南海地震と昭和南海地震を示していて、どちらも震度4でしたが、関東・北陸までやや強い揺れが伝わっていたことが分かります。
このうち、2000年代の地震は10回にのぼり、2004年には7回、2007年には3回も起きていました。
2010年代にも3度、震度4の地震が発生しています。いわゆる「栄村地震」と「長野県神城断層地震」では、近くに気象官署が無かったため、かつての震度観測網では唯一、震度4以上を捕捉できた地点となっています。
震度5(強震)クラス:2000年代に4回
そして、20世紀には「震度5(強震)」は観測しておらず、機械計測となって以降、2000年代に4回「震度5弱以上」を観測しています。(↓)
地震の発生日時 | 震央地名 | 深さ | M | 最大震度 | 「上越」 |
---|---|---|---|---|---|
2004/10/23 17:56:00.3 | 新潟県中越地方 | 13 km | 6.8 | 震度7 | 震度5弱 |
2004/10/23 18:34:05.6 | 新潟県中越地方 | 14 km | 6.5 | 震度6強 | 震度5強 |
2004/10/27 10:40:50.2 | 新潟県中越地方 | 12 km | 6.1 | 震度6弱 | 震度5弱 |
2007/07/16 10:13:22.5 | 新潟県上中越沖 | 17 km | 6.8 | 震度6強 | 震度5強 |
・地震の発生日時 : 1919/01/01 00:00 ~ 2022/07/14 23:59
・観測された震度 : 上越市大手町(旧) もしくは 上越市大手町 で 震度5弱以上 を観測
・検索結果地震数 : 4 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)
2004年の「新潟県中越地震」と、2007年の「新潟県中越沖地震」で計4回となるのですが、このうち2度観測した「震度5強」が当地(高田測候所)では最大の震度となっています。
ここで着目すべきは、最初の震度5強です。2004年10月23日の午後5時56分に発生した最大の地震で、当時の川口町で震度7を観測していた訳ですが、この時の「上越」の揺れは“震度5弱”でした。(それでも上越では初の震度5の観測でした)
それから約30分後の18時34分、最大余震であり最大震度6強を観測する地震が発生し、「上越」でも本震時を上回る“震度5強”を観測しています。(2016年4月15日の熊本地震(0時03分)などでもあったのですが、最初の地震より規模は一回り小さくても所によっては震度が上回ることもありました。)
(参考)江戸時代の顕著な地震
そして、気象庁による観測が始まる前から、幾つか「高田」の名を冠した地震が記録に残されてきました。ひょっとすると、気象庁が震度観測点を高田に設けた理由の一つだったかも知れません。
かつては「高田」の名を冠していた1614年の地震も一応掲載しますが、近年かなりその評価が見直されていますので、参考程度にご覧頂ければと思います。
- 慶長十九年十月二十五日の地震(けいちょうじゅうくねんじゅうがつにじゅうごにちのじしん)は、江戸時代初期の慶長19年10月25日(1614年11月26日)に発生したと推定される地震。
越後高田で津波被害の記録があり、従来高田領大地震あるいは高田地震とも呼称されてきたが、被害記録は広い範囲に及ぶ大地震?にもかかわらず史料が少なく実体不明な歴史地震とされ、震源については検討すべき課題が多いとされる。 - 高田地震とは、越後国高田藩を中心に被害をもたらした地震。主に1666年に発生した寛文高田地震と、1751年に発生した宝暦高田地震がある。
- 1666年2月1日(寛文5年12月27日)申の下刻(16~17時)に発生し、越後高田を中心に被害をもたらした地震である。寛文高田地震、越後西部地震とも称される。村上で強震、八王子でも有感。地震の規模はM6+3⁄4程度と推定されている。地震発生時、14~15尺(約4.5m)ほど積雪していた。震害で高田城の本丸、二の丸、三の丸に被害が生じ、侍屋敷700余が倒潰した。民家の倒潰も多かった。また、夜になって火災が発生した。
- 1751年5月21日(寛延4年/宝暦元年4月26日)丑の刻(午前2時頃)に関川東岸の高田平野(頸城平野)、現在の新潟県上越市中央部を中心に被害をもたらした地震である。宇佐美龍夫による推定では、マグニチュード7.0から7.4相当とされている。宝暦高田地震、或いは越後・越中地震とも称される。
この地震による代表的な被害は、名立区(現:新潟県上越市)の海岸段丘が、地すべりにより崩れ落ち、406人が死亡した「名立崩れ」など、多大な被害をもたらしている。これにより高田藩は江戸幕府に金銭面での救済を求めている。
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