【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「函館記念」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。
函館記念は、日本中央競馬会(JRA)が函館競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。競馬番組表での名称は「農林水産省賞典 函館記念」と表記している。
函館記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )
昭和中盤:オープン特別扱いで開催
オフィシャルには、1965年(昭和40年代)に重賞として創設とされていますが、それ以前にも函館競馬場を代表するような名物競走は実在していました。
古く明治時代から函館競馬は開催されており、その記録は殆ど残っていませんが、おそらく函館を冠したレースもあったのではないかと思います。
例えば、戦前には「帝室御賞典」や「四歳呼馬特別」、「明四・五歳特別」(ピアスアロートマスなどが優勝)などの名物競走がありましたが、戦後になって「函館記念」という名前のレースが時々、開催されていました。Wikipediaには以下のように纏められていました。(↓)
施行日 | 優勝馬 | 性齢 | タイム | 優勝騎手 |
---|---|---|---|---|
1951年8月16日 | シラオキ | 牝6 | 2:34.2 | 清田十一 |
1952年8月3日 | トラツクオー | 牡5 | 2:45.2 | 小林稔 |
1953年8月16日 | イカホザン | 牝5 | 2:35.2 | 高松三太 |
1954年8月15日 | タカオー | 牡4 | 2:33.1 | 浅野武志 |
1957年8月25日 | オンワードゼア | 牡4 | 2:41.0 | 二本柳俊夫 |
1961年8月27日 | ハローモア | 牡6 | 2:36.5 | 保田隆芳 |
1962年7月29日 | ヒカルポーラ | 牡4 | 2:32.3 | 高橋成忠 |
1963年8月18日 | ベルソーナ | 牡4 | 2:34.1 | 野平祐二 |
1964年7月26日 | マルサキング | 牡4 | 2:36.5 | 野平祐二 |
- 現行の函館記念が創設される以前、1951年から1964年までの間にも『函館記念』という名称の競走が施行されていた。競走条件は4歳(当時の馬齢呼称)以上、負担重量はハンデキャップで、現在でいうところのオープン特別競走という取り扱いになっていた。
- この時期の優勝馬にはシラオキ、トラツクオー、タカオー、オンワードゼアなどといった馬が名を連ねている。
初回は札幌競馬場の砂コースで開催され、56kgを背負った現5歳牝馬のシラオキ。優勝戦やオープン戦などの勝利以外で(当時は重賞ではないものの)特別競走を制したのはこれが唯一でした。ひょっとするとこの勝利が、将来の名牝系の創設に影響したのかも知れませんでしたね。
1952年は現4歳時の菊花賞馬・トラツクオー、その翌年は前年2着だったイカホダケ、1954年は春に快進撃を遂げていたタカオーが66kgでレコード勝ち。そして、昭和30年代も一線級が優勝しています。
昭和後半:重賞に昇格、2000mに短縮、GIII格付け
そして1965年、夏競馬として各地で開催されてきたレースが挙って重賞に昇格します。8月には、新潟記念、札幌記念、福島記念、小倉記念、そしてこの函館記念がこの年が第1回に数えられています。
- 1965年
第1回クリベイクモハタ記念に次ぐ半年ぶり重賞制覇。牝馬パスポートは59.5kgを背負い3着。
- 1966年
第2回メジロボサツオークス2着以来のレースを52kgと軽ハンデもあり完勝。
- 1968年
第4回リユウズキこの年から2400→2000mに短縮。距離が変わってもリユウズキが連覇、しかも2分1秒0のレコード勝ち。
- 1970年
第6回メジロアサマ前年2着時から8kg重い58kgでも完勝。秋には天皇賞を制覇。
- 1971年
第7回メジロムサシ目黒記念→天皇賞→宝塚記念を3連勝→高松宮杯2着からの連戦。前年の天皇賞馬・リキエイカンより7kg重い62kgながら完勝。
- 1976年
第12回エリモジョージ12番人気で天皇賞を勝っていたエリモジョージ。60kgを背負い9頭立ての8番人気ながら、気まぐれな楽勝。リユウズキのタイムを上回る2分0秒台のレコード勝ちな上に7馬身差を決める。
- 1977年
第13回ヤマブキオー現7歳でキャリア最高の63.5kgを背負い勝利。これが生涯通算18勝目。
- 1979年
第15回エンペラーエース現4歳54kgで5番人気のエンペラーエースが2歳時以来1年半ぶりの優勝。勝ちタイムが何と従来のレースレコードを1秒9更新する「1分59秒0」!
- 1984年
第20回ウインザーノットこの年から「GIII」に格付け。ウインザーノットが現3歳秋の条件戦で初勝利をあげてから5連勝で重賞制覇。翌年には連覇を達成。
- 1986年
第22回ニッポーテイオー3連覇を目指したウインザーノットは60.5kgで4着。優勝したのは現3歳だったニッポーテイオーで、1分58秒6のレコード。
- 1988年
第24回サッカーボーイ現4歳のメリーナイス、現6歳のシリウスシンボリというダービー馬が59kgに苦しむのを後目に、56kgの現3歳馬【サッカーボーイ】が5馬身差の圧勝。勝ちタイムが何と「1分57秒8」という当時の日本レコード。
少し長くなりましたが、歴代の勝ち馬を見ても、オープン時代から変わらず本当に中央の重賞かの様な豪華な顔ぶれです。八大競走で戦う馬が多く出走していた点で現代とは隔世の感があります。
これには、かつて「札幌競馬場」に芝コースがなく、古馬芝重賞が「函館記念」しかなかったことや、現在と北海道開催の順序が逆で8月後半に開催されていたことなどが影響しています。要するに、GIIIではあったものの現在の「札幌記念」の役割をこの函館記念が昭和時代には担っていたことを意味するのです。
平成・令和年間:7月開催移行、エリモハリアー3連覇
1990年に札幌記念が芝コースで開催されるようになると、徐々にそちらに有力馬がスライドするようになり、一転して函館記念は層が薄まっていきます。その傾向が決定づけられたのが、1997年でしょう。
札幌競馬と開催順序が逆(今の順番)となり、夏競馬の前半戦に開催されることとなったため、一流馬が休養に充てる7月の開催となったためです。実際、平成年間の勝ち馬を見ても、八大競走の勝ち馬どころかGI馬すら殆ど見られなくなってしまいます。
それでも例えば、平成1桁台では、メジロパーマーが現3歳時に48kgで出走したり、ホクトベガが2年連続で出走していたのですが、2000年代になるとローカル重賞の一角として定着し、GIIIレベルの馬が大半を占めるようになりました。
- 1994年
第30回ワコーチカコ3連勝で3馬身差の完勝。下した相手がタイキブリザード、ホクトベガ、11着と敗れたツインターボなど。
- 2004年
第40回クラフトワーク牝馬で57kgを背負った5歳のファインモーションがクビ差の2着。勝ったのは、4歳馬のクラフトワークで重賞初制覇。半年の休養を挟んで重賞3連勝へ。
- 2007年
第43回エリモハリアー年々斤量が重くなり57kgで、7歳馬となったエリモハリアーは10頭立て7番人気と低評価。しかし過去2年と同じく函館適性を見せ、函館記念史上初の3連覇。
- 2020年
第56回アドマイヤジャスタ単勝77.3倍の15番人気アドマイヤジャスタが優勝し、7歳牡馬で53kg13番人気ドゥオーモが2着。馬連13万、3連単343万馬券の大波乱。
気づけば函館記念は1992年からの30年間で1番人気が僅か3勝(勝率10%)と低迷。多くは5番人気以内が勝利しているとはいえ紐荒れの年も多く昭和時代とは全く別物のレースとなっています。
そして、ここ6年のレースレーティングを表にすると次のとおりとなりました。(↓)
年 | レースR | 勝ち馬 | 斤量 |
---|---|---|---|
2016 | 104.25 | マイネルミラノ | 56kg |
2017 | 105.25 | ルミナスウォリアー | 55kg |
2018 | 109.50 | エアアンセム | 55kg |
2019 | 110.00 | マイスタイル | 56kg |
2020 | 104.00 | アドマイヤジャスタ | 54kg |
2021 | 106.50 | トーセンスーリヤ | 56kg |
2022 |
2018~19年にかけては「GIIの目安:110ポンド」に達していますが、それ以外の年は「GIIIの目安:105ポンド」付近に収斂していて、このレースレベルは抜本的な改革が無い限り続くと見られます。
レースとしては既に、秋競馬に向けての役目は殆どなく、「サマー2000」シリーズの一貫に組み入れられていることからも明らかな様に、GIIIを主戦場とする馬だったり初重賞制覇をハンデ戦で目指す馬達による戦いとして注目していきたいと思います。
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