競馬歳時記【11月2週】「エリザベス女王杯」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「エリザベス女王杯」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

エリザベス女王杯(エリザベスじょおうはい、Queen Elizabeth II Cup(2012年まではQueen Elizabeth II Commemorative Cup))は、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。

正賞はエリザベス女王杯、京都府知事賞、日本馬主協会連合会会長賞。

エリザベス女王杯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和時代:イギリスにもなかった牝馬限定三冠目

現在の中央競馬のクラシック路線は、イギリス競馬を模範に整備されていきました。そして、1950年代にオークスが春に移動し、ほぼスケジュールなどが本家と一致する形となっていきます。この結果、牝馬の三冠路線といえば、『桜花賞 → オークス → 菊花賞』を示すものとなっていきました。

ここで一つ着目すべき点としては、牝馬が三冠を獲得するためには牡馬に勝たなければいけなかった点でしょう。もちろん日本でいうクリフジの様な変則三冠を達成する馬もいますが、基本的には、日本で牝馬三冠を牡馬相手のレースを勝って達成したのはクリフジ1頭です。このあたりは、(↓)オークスの記事でも触れていますのでぜひご参照ください。

1970年代:ビクトリアCから、1976年に改名・新設

1960年代までの戦後四半世紀で、牝馬三冠を達成した馬は表れませんでした。戦後時代としては、スウヰイスーが菊花賞2着、ミスオンワードが無敗の2冠から菊花賞10着といったあたりが最高成績です。(↓)これについては「秋華賞」の記事もご参照ください。

牝馬限定のビッグレースは、戦前から開催されてきましたが、これが1953年のオークス春季移設以降、途絶えていたのが17年ぶりに牝馬限定大競走が復活します。それが「ビクトリアカップ」でした。今の「ヴィクトリアマイル」とは名前が似ていますが全くの別物で、現3歳牝馬限定のG1級競走です。

ビクトリアカップVictoria Cup)は、日本中央競馬会が京都競馬場の芝2400mで施行していた中央競馬の重賞競走である。

4歳(現表記3歳)の牝馬による競走。牝馬三冠路線の最終戦という位置づけで1970年に創設された。厳密にはクラシック競走ではないが、賞金はクラシック競走に準ずる形で一般の重賞競走よりも幾分高めに設定された。

ビクトリアカップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

もともとイギリス競馬を模範に創設された伝統的な「5レース」には、日本独自に創設された秋の牝馬三冠目の競走は含まれません。競馬メディアの記者の方もうっかり間違えかねない様ですが、基本的に「クラシック競走」にはこの牝馬三冠目は含みません。活字媒体(Twitterなどを含む)で表現する際は、注意を要するかも知れませんね。

回数施行日優勝馬性齢タイム
第1回1970年11月22日クニノハナ牝32.33.9
第2回1971年11月21日タイヨウコトブキ牝32.29.1
第3回1972年11月19日アチーブスター牝32.33.7
第4回1973年11月18日ニットウチドリ牝32.29.0
第5回1974年11月17日トウコウエルザ牝32.34.1
第6回1975年11月16日ヒダロマン牝32.35.0

初回を勝ったのは【クニノハナ】。京都牝馬特別を含む4連勝で初代女王となり、孫に有馬記念を勝つ【ダイユウサク】がいる牝馬でした。第2回のタイヨウコトブキも500万下を勝ったばかりの条件馬でしたが、第3・4回になって桜花賞馬、第5回はオークス馬が新たな形での牝馬二冠を達成しました。

そして、1973年に馬主でもあった田中角栄首相がイギリスでエリザベス女王と謁見し、競馬話で盛り上がり、その2年後の春(1975年5月)に訪日。それを記念して1976年に「エリザベス女王杯」と改称し、牝馬三冠目の競走が開催されることとなったのです。

回数施行日優勝馬タイム
第1回1970年11月22日クニノハナ2.33.9
第2回1971年11月21日タイヨウコトブキ2.29.1
第3回1972年11月19日アチーブスター2.33.7
第4回1973年11月18日ニットウチドリ2.29.0
第5回1974年11月17日トウコウエルザ2.34.1
第6回1975年11月16日ヒダロマン2.35.0
第1回1976年11月21日ディアマンテ2:28.5
第2回1977年11月20日インターグロリア2:28.7
第3回1978年11月19日リードスワロー2:29.1
第4回1979年11月18日ミスカブラヤ2:32.6

上の表は、先ほどの「ビクトリアC」の表に続けて、エリザベス女王杯の第4回までの勝ち馬を繋げたものです。実質的には開催競馬場も距離も同じで条件が変わらないため、回次は引き継がれませんでしたが、連続性があるものと見做せるとした場合のトレンドをみるために参考してください。

エリザベス女王杯になって京都牝馬特別組が2勝したものの、基本的には条件戦クラスの馬が中心で、当時は今以上に牝馬と牡馬の力量差が大きかったことが窺えました。

1980年代:戦後初にして現制度初の三冠牝馬が誕生

1980年代に入ると、現3歳牝馬限定時代のドラマチックなレースが幾つも誕生します。ハギノトップレディやビクトリアクラウンといった期待馬が八大競走に準ずるこのレースを勝って注目されると、1984年のグレード制導入でG1に格付けされ、春2冠と同じ格を(表面的には)受けることとなります。

第5回1980年11月16日ハギノトップレディ2:27.9
第6回1981年11月15日アグネステスコ2:28.1
第7回1982年11月21日ビクトリアクラウン2:29.2
第8回1983年11月20日ロンググレイス2:30.1
第9回1984年11月4日キョウワサンダー2:28.4
第10回1985年11月3日リワードウイング2:26.8
第11回1986年11月2日メジロラモーヌ2:29.1
第12回1987年11月15日タレンティドガール2:29.3
第13回1988年11月13日ミヤマポピー2:27.2

そして、1986年には、クリフジを除くと誰も達成できなかった「牝馬三冠」を達成する馬が現れます。今や『ウマ娘』にも取り上げられた【メジロラモーヌ】です。戦後初めて「牝馬三冠」を達成したことが(2010年代以降で多くの馬が達成して珍しさでは落ちましたが)当時としては大偉業で、この功績をもって顕彰馬に選出されるほどでした。

平成時代:20番人気の優勝に始まり、古馬開放へ

1980年代:1989年にサンドピアリスが単勝4万馬券

平成元年すなわち1989年のエリザベス女王杯は、もはや破ることが叶わないであろう大波乱が起こります。【サンドピアリス】の最低人気での優勝です。並の波乱でなく、G1記録・単勝43,060円です!

サンドピアリスは、日本競走馬および繁殖馬1989年エリザベス女王杯を最低人気で制した。20頭立て20番人気・単勝配当43,060円はグレード制施行後のGI記録で、2022年現在も破られていない。

春にダートで2勝したサンドピアリスだが、芝では京都4歳特別で0秒5差とはいえ9着に敗れるなど2戦2敗であった。秋は900万下のダートに3回出走するが、いずれも掲示板外に敗れている。そんな馬がエリザベス女王杯に使われたのは、馬主のヒダカ・ブリーダーズ・ユニオンが「(一口馬主としての)初年度募集馬をGIに出走させたい」と考え、また、吉永忍調教師も「主戦騎手岸滋彦をGIに出走させてやりたい」と考えた為であった。
そんなサンドピアリスは「20頭立ての20番人気」と人気が全くないのも無理はなく、関西テレビ杉本清アナウンサーは、最後の直線で「外を通りまして3枠から一頭サンドピアリスだ…、おおなんとサンドピアリスだ」と一瞬絶句した後にサンドピアリスの名前を伝え、ゴール前では「しかしびっくりだ、これはゼッケン番号6番サンドピアリスに間違いない!」と実況した。

サンドピアリス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年11月に、カンテレの後輩アナウンサー・吉原功兼氏も語っていましたが(世代を超えた最強牝馬決定戦!エリザベス女王杯(GⅠ) 【はみ出し競馬BEAT LIVE】)、普段ゼッケン番号を言わない杉本清アナウンサーが思わず「ゼッケン番号6番」と確認しながら実況したことが、『しかしびっくり』という言葉を強調し、人気薄であることを分かりやすく視聴者に伝える効果をもたらしていたのです。

1990年代:古馬に開放され、初の現3歳以上の牝馬限定G1に

1980年代からその傾向はありましたが、1990年代に入ってエリザベス女王杯は、1番人気か大荒れかの2択になっていました。1984年キョウワサンダー(14番人気)、1989年サンドピアリス(20番人気)、1992年タケノベルベット(17番人気)、1995年サクラキャンドル(10番人気)と、10年あまりで2桁人気が4勝という荒れ具合。そして、キョウエイタップや、『ベガはベガでも』のホクトベガも2桁人気に近い伏兵扱いでした。

一方リンデンリリーや女傑・ヒシアマゾンはこのレースで1番人気に応えています。特にヒシアマゾンは当時クラシック競走に出走できなかった「外国産馬」としての優勝であり、そういった意味でも真の現3歳女王を決する場としての意味合いもありました。

下に示した表は、1995年までエリザベス女王杯、1996年からは新設された「秋華賞」の勝ち馬を合体させた表です。1996年に現3歳牝馬限定の三冠目は「秋華賞」に機能が移され、距離も2000mに短縮されました。これによって牝馬三冠が達成されやすくなった面もあろうかと思います。

第15回1990年11月11日2400mキョウエイタップ2:25.5
第16回1991年11月10日2400mリンデンリリー2:29.6
第17回1992年11月15日2400mタケノベルベット2:27.1
第18回1993年11月14日2400mホクトベガ2:24.9
第19回1994年11月13日2400mヒシアマゾン2:24.3
第20回1995年11月12日2400mサクラキャンドル2:27.2
第1回1996年10月20日2000mファビラスラフイン1:58.1
第2回1997年10月19日2000mメジロドーベル2:00.1
第3回1998年10月25日2000mファレノプシス2:02.4
第4回1999年10月24日2000mブゼンキャンドル1:59.3
現3歳牝馬による三冠目の勝ち馬。1995年までは「エリザベス女王杯」、1996年からは「秋華賞」を合体。

1996年に牝馬競走体系が見直され、本競走の競走条件が「4歳牝馬」から「4歳以上牝馬」に変更、あわせて施行距離も芝2200mに短縮され、さらに同年からは本競走に代わる4歳牝馬三冠の最終戦として「秋華賞」が新設された。これにより、本競走は牝馬三冠路線を歩んできた4歳牝馬と古馬牝馬の実績馬が集い、女王を争うレースへと位置づけが大きく変わった。

エリザベス女王杯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第21回1996年11月10日2200mダンスパートナー牝42:14.3
第22回1997年11月9日2200mエリモシック牝42:12.5
第23回1998年11月15日2200mメジロドーベル牝42:12.8
第24回1999年11月14日2200mメジロドーベル牝52:13.5

「エリザベス女王杯は来年以降でも取れる」として菊花賞に出走したダンスパートナーが翌年、陣営の発言どおり古馬開放元年のエリザベス女王杯を制覇。そして1998~99年にかけて【メジロドーベル】が史上初の連覇を達成するなど、従来達成されなかった記録が打ち立てられていきます。

2000年代:最強牝馬決定戦(徐々に牡馬混合に移行する馬も)

2001年から武豊騎手が4連覇、牝馬三冠路線で勝てなかったアドマイヤグルーヴが連覇を達成するなど「最強牝馬決定戦」としての存在感を示した新・エリザベス女王杯。

ファレノプシス、トゥザヴィクトリー、スイープトウショウなど古馬が勝つ年もあれば、底を見せない強さをみせたファインモーションや最強牝馬世代を代表してダイワスカーレットが優勝する年もあり、『古馬vs3歳』の構図も非常に魅力的でした。

第25回2000年11月12日ファレノプシス牝52:12.8松永幹夫
第26回2001年11月11日トゥザヴィクトリー牝52:11.2武豊
第27回2002年11月10日ファインモーション牝32:13.2武豊
第28回2003年11月16日アドマイヤグルーヴ牝32:11.8武豊
第29回2004年11月14日アドマイヤグルーヴ牝42:13.6武豊
第30回2005年11月13日スイープトウショウ牝42:12.5池添謙一
第31回2006年11月12日フサイチパンドラ[注 2]牝32:11.6福永祐一
第32回2007年11月11日ダイワスカーレット牝32:11.9安藤勝己
第33回2008年11月16日リトルアマポーラ牝32:12.1C.ルメール
第34回2009年11月15日クィーンスプマンテ牝52:13.6田中博康

2000年代後半では、2006年に1番人気の【カワカミプリンセス】が1位入線12着降着でフサイチパンドラが繰上げ優勝となったり、2009年にはクィーンスプマンテとテイエムプリキュアが大逃げでワンツーを決め、ブエナビスタが3着と届かない『競馬の恐ろしさ』を感じるレースとなったりしています。

「これが競馬だ、これが競馬の恐ろしさ」クィーンスプマンテ【エリザベス女王杯 2009】実況:馬場鉄志アナウンサー

一方、2000年代後半となると、2007年の勝ち馬・ダイワスカーレットが、2008年には天皇賞(秋)に出走して【ウオッカ】とワンツーを決めるなど、本当に牡馬相手に勝ち負けになりそうな超一流の牝馬は、賞金面などから牝馬限定戦を避け、牡馬混合の天皇賞(秋)やジャパンCに出走するようになった点も見過ごせない変化かも知れません。

2010年代:英スノーフェアリーが驚愕の連覇達成

ジャパンCなどでも日本馬優勢が続き、海外での活躍によって日本馬の評価が高まっていた2000年代後半からの日本競馬。しかし、外国馬侮るなかれと伝えた一つの存在が【スノーフェアリー】でした。

第35回2010年11月14日スノーフェアリー牝3GBR2:12.5R.ムーア
第36回2011年11月13日スノーフェアリー牝4GBR2:11.6R.ムーア
第37回2012年11月11日レインボーダリア牝5JRA2:16.3柴田善臣
第38回2013年11月10日メイショウマンボ牝3JRA2:16.6武幸四郎
第39回2014年11月16日ラキシス牝4JRA2:12.3川田将雅
第40回2015年11月15日マリアライト牝4JRA2:14.9蛯名正義
第41回2016年11月13日クイーンズリング牝4JRA2:12.9M.デムーロ
第42回2017年11月12日モズカッチャン牝3JRA2:14.3M.デムーロ
第43回2018年11月11日リスグラシュー牝4JRA2:13.1J.モレイラ

今振り返ってみれば、英・愛オークスで2冠を達成(しかも愛オークスは8馬身差)し、英セントレジャーでも3馬身差4着となっていたヨーロッパの最強3歳牝馬を「4番人気」とし、アニメイトバイオよりも下の人気としていたことが異常だったのかも知れません。日本の人気馬を4馬身突き放しての、全くの完勝はまさに『秋の京都に雪が舞う』と形容される鮮やかさでした。

さらに翌年も1番人気に支持されたとはいえ、アヴェンチュラ、レーヴディソール、アパパネといった馬たちを相手に連覇を達成できるのか、前年の香港C以来勝てていない(とはいえ、凱旋門賞・英チャンピオンSで共に3着)ことなどから懐疑的な目もあった中で、最後クビ差届いたことは、まさに強さの証明だったと思います。

その後、平成年間で国内馬は2番人気以内に入る馬がメイショウマンボを除き勝てず、3歳牝馬が人気を集めるも秋華賞からの連戦などで勝ちきれない年が続きます。むしろマリアライトやリスグラシューなど翌年に同距離の宝塚記念を牡馬相手に制する存在が登場する舞台ともなっていきました。

令和時代:ラッキーライラックが京都→阪神で連覇

2010年代後半からレースレーティングと共に表示しました。2019・2020年と違う競馬場で開催された「エリザベス女王杯」で【ラッキーライラック】が連覇を達成。【アーモンドアイ】がジャパンCなどに挑む中で、同期の牝馬がG1・4勝をあげる強さをこの舞台で示しました。

2016年京都111.75クイーンズリング牝42:12.9M.デムーロ
2017年京都112.00モズカッチャン牝32:14.3M.デムーロ
2018年京都112.00リスグラシュー牝42:13.1J.モレイラ
2019年京都112.75ラッキーライラック牝42:14.1C.スミヨン
2020年阪神115.00ラッキーライラック牝52:10.3C.ルメール
2021年阪神109.25アカイイト牝42:12.1幸英明
牝馬限定G1の目安:111ポンド(牡馬混合戦に当てはめると「+4ポンド」)

2020年にはラッキーライラックが優勝し、2着にサラキア、3着にラヴズオンリーユー、4着にウインマリリンが入り、レースレーティング115.00(牡馬混合戦に置き換えると119ポンド相当)という破格の高評価となりました。

一方でその翌年は、『運命の相手・幸英明と共に運命の赤い糸』が紡がれた【アカイイト】の優勝という劇的な結果となった反面、6番人気以上が全て掲示板を逃し、1~5着すべてが重賞未勝利馬(掲示板まででリステッド競走が最高)という反動から、レーティング109.25にまで下げてしまいました。

エリザベス女王杯を使った馬が、次走にどこを使うかを考えた時に、ジャパンCは近すぎるため、香港国際競走や有馬記念という選択肢が中心になっています。「天皇賞(秋)やジャパンCにも出走できるクラスの馬がこのレースに挑む」か、「香港や有馬記念で牡馬に挑む前に牝馬限定戦を叩く」といった発想の馬がこのレースに挑んでくるとレースレベルは高まりますが、そうでないとやや手薄なメンバーになることもあるでしょう。メンバーによってその意味合いは少し変わりますが、「秋の女王決定戦」としてのエリザベス女王杯で、3歳馬と古馬の戦いに注目していきましょう。

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