【春・生活】季語「どんたく/博多どんたく」

【はじめに】
この記事では、春の時候の季語である『どんたく』について、ウィキペディアの記載や歳時記に掲載されている例句を纏めていきます。

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博多どんたく(はかたどんたく)は福岡県福岡市で毎年5月3日5月4日に開催される祭りである。正式名称は「福岡市民の祭り 博多どんたく港まつり」。

動員数は毎年200万人を越えゴールデンウィーク期間開催の祭事、催し物としては日本一の記録を堅持。また博多祇園山笠筥崎宮放生会とともに福岡博多を代表する祭りの一つとして知られている。

博多どんたく
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィキペディアにみる「博多どんたく」

起源

「博多どんたく」は博多松囃子を母体として形成・発展してきた。

博多の豪商神屋宗湛の『宗湛日記』によれば、文禄4年10月29日(グレゴリオ暦1595年11月30日)に筑前領主小早川秀秋の居城であった名島城へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀の祝いを行ったと記されているのが最古の記録である。これによれば古くは正月でなく10月の行事だったことになる。

この博多松囃子は、貝原益軒の『筑前国続風土記』によると、治承3年(グレゴリオ暦1179年)に病没した平重盛に博多の者が恩(日本で最初の人工港「袖の湊」造営などの)を謝すため始まったと伝えられる。他に異説として、元日節会平安時代に各地方に伝わったが、博多にも伝わり現地の人々がそれを発展させたのが始まりという説や、京都の松囃子の習慣が室町時代に博多に伝播したのが始まりという説もあるが、確かな起源は定かではない。

( 同上 )
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歴史と沿革

「博多どんたく」は博多松囃子を母体として形成・発展してきた。

江戸時代の博多松囃子は福岡城福岡藩藩主黒田氏を表敬するため正月15日に赴く年賀行事として行われていた。福禄寿恵比須大黒天の三福神と稚児が松囃子の本体である。これに博多の各町・各人が趣向を凝らした出で立ちや出し物で続き、これを「通りもん」と呼んだ。三福神・稚児・通りもんの構成が現在のどんたくの原型である。福岡城を出たのち三福神と稚児は城下の武家町・福岡を通って博多へ戻り、神社仏閣や年行司や年寄(町内有力者)の宅を祝った。また通りもんは知人宅や商家にて演芸を披露して祝い、商家などは返礼に酒や肴を振舞った。この様相は明治期も同様であった。

明治維新後、明治5年(グレゴリオ暦1872年)までは福岡知藩事黒田長知有栖川宮熾仁親王に年始の表敬を行っていた。しかし「金銭を浪費し、かつ文明開化にそぐわない」という理由で明治5年11月に福岡県からの通達により山笠盆踊りとともに正月の松囃子は禁止され、天長節などを祝うようにとされた。1879年(明治12年)には三福神、稚児、そして福博各町の通りもんが紀元節2月11日を祝したことが資料に残っている。

明治時代以降の松囃子ないしどんたくは紀元節の祝賀に繰り出したほか、明治20年代からは鎮魂祭(招魂祭)に繰り出し、そのほか日露戦争勝利の祝賀会や大正天皇昭和天皇の即位など国の祝事に参加した。1915年大正4年)に招魂祭の開催日が4月30日5月1日に決まり、松囃子どんたくもそれに倣った。1938年昭和13年)を最後に戦前の松囃子どんたくは中止となった。

太平洋戦争終結後、1946年(昭和21年)5月に「博多復興祭」として空襲被災後の瓦礫の中、子供山笠とともに松囃子どんたくが行われた。翌1947年(昭和22年)より福岡市・福岡商工会議所・商店街代表・市民有志らによって博多どんたくが5月の24日・25日に開催され、3台の花電車に16か所の仮設舞台と、現在のどんたくの形式はここに誕生した。1949年(昭和24年)からは前年に制定された憲法記念日に合わせて5月3日と翌4日を開催日とし、名称を「松囃子どんたく港祭り」とした。その後しばらく祝日である5月5日こどもの日を含めた三日間どんたくが行われた年もあったが、旧来から参加していた松囃子や博多券番などは5日には参加せず、祭りの結束が弱まる結果となった。1953年(昭和28年)には博多松囃子の伝統を保持する目的で「博多松はやし保存会」が結成されている。現在、旧福岡藩主・黒田家当主も参加して江戸の昔のどんたくの姿に近づきつつある。

1957年(昭和32年)に「博多どんたく松囃子港祭り振興会」が結成され、祭りの期間が5月3日と4日と定められた。また演芸団体や商店街を勧誘し、優秀どんたく隊への賞の授与がおこなわれることともなった。1961年(昭和36年)には5月2日のどんたく前夜祭が福岡スポーツセンターで開始。1962年(昭和37年)に「福岡市民の祭り振興会」が結成され、どんたくは「博多どんたく港まつり」と名称を改め、市民の祭りとして広く一般市民から参加者を募る方式となり、「博多」にとらわれず福岡市全体の祭りとして定着した。

( 同上 )
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どんたくの語源

どんたく」は、オランダ語で「日曜日」を表す語 zondagが訛った言葉である。この言葉は明治政府制定の祝日を指す言葉として1871年(明治4年)から政府が広めた言葉であると言われ、主として四大節を指していた。正月15日の松囃子と通りもんが禁止されてのち、明治政府公認の祝日を祝って繰り出すようになり、その過程で松囃子や通りもんによる祝いの行事を「どんたく」と呼ぶようになったと考えられる。

1879年(明治12年)に三福神・稚児・通りもんが紀元節を祝した資料が残っており、この年をもって「どんたく」が再開されたとの説が広く流布している。しかし松囃子と「どんたく」が結び付けられたのは当時の新聞の内容から明治20年代であり、明治12年説は必ずしも正確とはいえない 。また前年の1878年(明治11年)に三福神が紀元節の祝いに繰り出していることから明治12年よりも前に博多の祭りとしての「どんたく」の呼称が発生していたとも考えられる。数多の文物同様、長崎から伝わったというのが真相である。

そののち「休日」という意味での「どんたく」は死語となる一方、博多どんたくの知名度は上がり、現在では「どんたく」とは「博多どんたく」を示す言葉として定着した。

( 同上 )

俳句歳時記にみる「どんたく」の例句5句

「どんたく」は全国的に知名度のあるお祭りであると共に、戦後に極端な変化がなく開催され続けてきた経緯もあり、「春の季語」として俳句歳時記には掲載されています。

俳句歳時記では「立夏(5月5~6日)」の前日までを「春」と分類している関係から、例年5月3~4日に行われる「どんたく」も「晩春」と分類される訳です。

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  1. どんたくの鼓の音ももどりたる』/吉岡禅寺洞
  2. 『雨のどんたく歌姫薄目うすなさけ』/星野石雀
  3. どんたくの橋を狭しと人よ燈よ』/上井正司
  4. どんたくや博多へと屋根連なりて』/宮崎すみ
  5. どんたくや囃子聞こゆる操舵室』/長﨑島星

例句をみると、句の冒頭(上五)で『どんたく』の句であることを明示した作品が多いように見受けられます。そして『どんたく』そのものにフォーカスするか、『どんたくのある博多の街』にフォーカスするかの違いはありますが、ストレートに描写することで祭りの魅力を存分に引き立てています。

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