【はじめに】
この記事では、「桜流し」という春の言葉について解説していきます。
あの『広辞苑』にも掲載はなし。言葉の意味は?
あの『広辞苑』には意外にも記載なし
既にこの言葉をご存知だった方からすると、少し意外かも知れない事実です。『広辞苑 第七版』を引いてみても、『桜流し』という単語は出てきません。『広辞苑』や多くの辞書には掲載されていない言葉なのです。更に小型の俳句歳時記などを引いても意外なことに傍題を含め掲載されていませんでした。
いくつかの歳時記をめぐってみたところ、例えば、石寒太さんが令和に発売した『ハンディ版 オールカラー よくわかる俳句歳時記』には、『桜』の傍題として季語の名前のリストに「桜流し」が書かれていましたが、解説文なども無いため、どういった意味の季語かはそこでは分かりませんでした。
※なので、季語としては21世紀に入ってようやく表舞台に出始めたかなという印象の歴史でしょうか。
コトバンク(知恵蔵mini)によると
そこで、今度はネット検索をしてみると、確かにこんな記載がヒットしました。引用します。
桜流し
出典 朝日新聞出版 知恵蔵miniについて (コトバンクより引用 色付けは筆者)
2012年公開のアニメ映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の主題歌として宇多田ヒカルが作詞・歌唱した楽曲(作曲はポール・カーターとの共作)。
「桜流し」は、散った桜が水に流れる図の模様のことだが、
鹿児島県地方の方言で、桜の開花する時期に降る長雨の意味もあるとされる。
(2017-5-11)
宇多田ヒカルさんの楽曲については後述しますが、言葉としての「桜流し」には、意味が2つ掲載されています。緑色の部分と、鹿児島地方の方言である青色の部分です。後者については『あるとされる』というボカした表現を使っている事からも明らかなように不明瞭な要素を含んでいるといえそうです。
レファレンス協同データベースと『日本国語大辞典』によると
そしてこの文章の背景にはおそらく、『レファレンス協同データベース』の『「桜流し」の意味を知りたい。』という質問が参照されていると思います。気になる方は上のリンクをご参照ください。
週末を利用して地元の図書館のレファレンス室で、上の記事でも引かれている書籍である(精選版ではない)『日本国語大辞典』を確認してきました。直接そのままコピーすることは出来ないので、少しぼかした形で補足しておきます。
- 主たる意味としては、やはり、『散った桜が水に流れてゆく図を描いた模様』がメインで、出典には「雑俳・楊梅〔1702〕」とありました。こちらの意味は少なくとも江戸時代には認められるようです。
- そして、[方言] と最初に示した上で、『桜が咲くころの長雨。』と書かれており、続けて鹿児島県肝属郡と書かれていました(番地は流石にネットに書くのは控えます。)
※肝属郡といえば、鹿児島県の東側・大隅半島の南部にあたります。
コトバンクに補足できる部分としては、『模様』の方の意味は少なくとも江戸時代に用例は遡れそうである。『長雨』の方は鹿児島県の中でも肝属郡という具体的な地域名が書かれていた(ネット上では鹿児島弁などとして取り上げられているページも多く見受けられますが、果たして鹿児島県全県的な方言なのかまでは分かりませんでした。)
- 筆者の雑感としまして、共通点らしきものとしては、「桜の花」と「水」に関する点でしょうか。『桜の花を流す』というニュアンスを汲んだ言葉として、それぞれが独立して広まった可能性があるかも知れません。
- 似た構成の季語として、「茅花ながし」などがあります。『ながし』とは雨の気配を含んだ南風や梅雨そのもののことを指し、太平洋側沿岸中心とした方言だったとされています。夏の辺りの時期とイメージと構成が近かったため、どこかで合流・混同した可能性があるのかも知れません。
「プレバト!!」の中でも、その意味について解釈やニュアンスが若干人によって違う感じがあるのも、まだ言葉としての意味が完全には定着していなのかなという感じがしました。
(注意)昔ながらの季語かを調べる習慣のススメ
こういった「桜流し」のように、俳句歳時記には記載されていない ≒ 昔ながらの「季語」とはなっていないと俳人が見做すものの『季節を感じる言葉』は、巷にそこそこの数あると思われます。
それらを俳句に積極的に詠むことは、上級者以上の方々にとってある種のライフワークにもなり得ますし、俳句・季語の活性化という意味でも非常に重要な試みかと思います。
その一方、有季定型路線を志向しているものの「基礎固め」が出来ていない中級者以下の方には、まずは『昔ながらの俳句歳時記』を引いて、「先人たちの季語の世界観」を理解する習慣づくりをオススメしています。この土台をある程度固めた上でなら、オリジナリティーを出したり、季語になっていない単語を積極的に取り上げることも意味が出てくると思います。なので、
俺は、古臭い俳句の固定観念になんかとらわれず、自分の信じた「俳句」を追求するぜ!
こういうスタンスは、中級者あたりが陥りがちなのですが、しっかりと「基礎固め」をしない、俳句の基礎の勉強を疎かにした「型破り」でなく「型無し」なスタンスではオススメしません。あくまで賛同するかどうかは別にしても、「基礎固め」をして、前提知識は持っておくべきかと思いますね。
(伝統的な季語を重んじる団体などに対して、そういう句を送っても中々評価されないというのが実情でしょうから、それは評価されやすい場を作者の側が選ぶ必要もあろうかと思います)
鹿児島の4月上旬の雨を軽く振り返ってみた
「お天気歳時記」ということで、気象データも簡単に振り返りたいと思います。コトバンクなどからも分かるとおり、どうやら「鹿児島」の方言だそうなのと、桜の季節の雨の言葉ということもあるので、今回は「鹿児島市(桜の満開の平年値が4月5日)」の4月上旬の雨を軽く振り返りたいと思います。
年 | 上旬10日間の降水有無 | 日最大値 |
---|---|---|
2011 | ○○●●○○●●○○ | 8.0mm |
2012 | ○●●●○○○○○● | 53.5mm |
2013 | ○●○○●●●○○○ | 29.0mm |
2014 | ○●●●●○○○○○ | 2.5mm |
2015 | ●●●●●●●●●● | 32.0mm |
2016 | ●○●●●●●●●● | 20.5mm |
2017 | ●●○○●●●●●● | 103.5mm |
2018 | ○○○●●●●○○○ | 25.5mm |
2019 | ○●○○●○○●●● | 49.0mm |
2020 | ●○○○○○○○○○ | 14.0mm |
2021 | ●●●●○○○●○○ | 4.5mm |
2022 | ●○○○○○○○○○ | 0.5mm |
2023 | ●●○●●●●○○○ | 52.0mm |
2024 | ○●●●●●●●●○ | 15.5mm |
「鹿児島」の2011年以降で、降水0.0mm以上の日を「●」としました。2015~2017年は雨が降り続きましたし、2020年は4月2日以降、降水のない日が続きましたが、基本的には「雨が数日続く」ぐずついた天候の日が多い時期という印象です。
4月上旬になって新年度を迎えたり、入学式を迎える頃になると、桜も満開を過ぎて散り急ぐようになります。そこに雨が降れば、まさに「桜流し」となってしまわないかと心配になるのも無理はありません。「花の雨」などは桜シーズンの前半に多少軸足がありますが、この「桜流し」はシーズンの後半に軸足のある言葉なように個人的には感じました。
満開を過ぎて散り始めた頃に、日10mm以上の雨が降れば、やはり惜しく思う気持ちが湧いてくるのも決して珍しい心情ではないように思います。 詩心を載せやすい言葉かも知れませんね(^^
J-POPにみる「桜流し」(宇多田ヒカル)
歌詞検索サイトの「歌詞全文検索」で『桜流し』と検索してみると、少数ですがヒットします。J-POPの世界にも「桜流し」という言葉が少しずつ読まれるようになってきているようです。
ただ、注目すべきはその発表年次。2016・2019・2021年などとここ数年になって出てきたに過ぎず、2000年代以前はあまりメジャーな言葉ではなかった傾向が垣間見えます。こうしたエポックメイキングになった楽曲は、やはりこの曲ということになるでしょう。
宇多田ヒカルさんが2012年に配信限定シングルとして発表した、その名も『桜流し』という楽曲です。
「桜流し」(さくらながし)は、2012年(平成24年)11月17日よりデジタル配信されている宇多田ヒカルの楽曲である。また、12月26日にはDVDシングルが発売された。オリジナル楽曲の配信限定シングルとしては1作目にあたる。
「桜流し」は、宇多田ヒカルが「人間活動」として活動を休止して以来初のシングルである。……本楽曲は自身が主題歌を務めてきた映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの第3作、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の主題歌として書き下ろされたもの。
日本語版ウィキペディア > 桜流し より
何を隠そう、私も「桜流し」という言葉を知ったのはこれが最初でした。そして、宇多田ヒカルさんが採用した曲のタイトルだったこともあり、調べるまで「全国的な一般名詞」だと思いこんでいました。
上記の歌詞検索でヒットした数曲というのも、この『桜流し/宇多田ヒカル』が発表されて以降ですので、多くの若者が、「桜流し」という言葉を宇多田ヒカルさんのこの曲をキッカケに知り、単語として認知するようになったのではないかと個人的には推測しています。
先日、「花の雨」という桜に関する雨の季語を取り上げた際にも、再度調べたのですが、やはり歳時記には掲載されていませんでした。鹿児島県の方言に由来すると言われていますから、由緒自体はあって新しい言葉ではないのでしょうが、それが2010年代以降に再注目されるのは、言葉の蘇りを感じるようで興味深いですね。
俳句にみる「桜流し」
2022年の春光戦は永世名人が下位に沈み、最後は2人の名人が1・2位を争うハプニングな展開となりました。そこでタイトル戦初優勝を果たしたのが、苦節5年、立川志らく名人でした。句はこちら。
『影のような野良犬に桜ながし』
立川志らく・名人5段
『犬に雨が降る』というメッセージ性自体はベタな感じもしますが、それを補強する言葉一つ一つが、本当にパワーをもっていて絶妙なバランスだと感じます。
野良犬にも様々な色の種類がいるでしょうが、「影」という単語から始まることで、黒色を彷彿とさせます。炎帝戦予選2位だった『油照り毛糸のような犬拾う』よりも更に描写力が増している印象です。「影のような野良犬【に】」と下五へと意味有りげな助詞で繋いで、
最後の着地にあたる下五の季語に相当するのが、今回取り上げている「桜流し」という単語でした。夏井先生も作者のチャレンジ精神を評価し、やりたい事が出来ているとして1位の評価とした訳ですが、これは将来「桜流し」が俳句歳時記に載る日が来たら、例句として併載するに相応しい出来だと思います。立川志らく名人の句柄が色濃く出た傑作だと思います。
皆さんも、「桜流し」が令和の俳句歳時記に載るべく、一句つくってみませんか? 『花追風』の記事でもご紹介しましたが、皆が使うようになることが一つ重要な要素になりますので、ぜひ積極的に作句してみましょう!
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