お天気歳時記「喜雨(きう)/慈雨(じう)」

【はじめに】
今日は『お天気歳時記』と題し、「喜雨(きう)/慈雨(じう)」について、皆さんと一緒に見ていきたいと思います。「プレバト!!」で披露された俳句達も合わせて紹介していきますので、ぜひお楽しみ下さい。

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ウィキペディアにみる「喜雨」について

まず、日本語版ウィキペディアで上の単語を調べてみます。「慈雨」は直接的にヒットする記事がなくて、「喜雨」で検索すると「夕立」がヒットしました。該当部分を引用します。

夕立(ゆうだち)は、午後から夕方にかけてよく見られる天気。激しいにわか雨を伴う。まれに夕立ちとも。

季語
夏の季語。歳時記などではゆだち、驟雨(しゅうう)、白雨(はくう)、喜雨(きう)などを異称とする。

夕立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ただこれについては、「白雨」の記事でも触れましたが、若干「日本語」の細かい機微みたいなものが軽視されている印象があったので、この先は俳句歳時記等でニュアンスを確認しときたいと思います。

俳句歳時記等にみる「喜雨/慈雨」のニュアンス

まず「喜雨(きう)」について、手元の電子辞書で「国語辞典」を引いてみると、おおよそ、

喜雨】:日照り/旱魃が続いたあとに降る雨のこと。慈雨。

( イメージ )

といった感じで書かれてて、ウィキペディアにあったような単なる「夕立」とは全く異なっています。関連してくるのは「日照り/旱魃」との関係性でしょう。

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関連する夏の季語として、「日照り/旱」だったり、「雨乞い/雨の祈り」だったり、そして同じ音を持つ「祈雨(きう)」といったものがあります。そして、「喜雨」の傍題として「雨喜び」があったりしますが、特に農家などにとっての『命を救う雨』という非常に重要な意味を持つことは、文字面からも想像できるかと思います。


一方、「慈雨」に関して、例えば、『現代俳句歳時記(現代俳句協会)』は、「喜雨」と並列していて夏の季語としていますが、昔ながらの歳時記は夏の季語としていないもの多いことは注目に値します。

慈雨」について国語辞典や漢和辞典を引いてみると、「喜雨」とは違ったニュアンスが先に出ます。それがイメージ的にはこんな感じでして、

草木や農作物を程良く潤し育てるような雨。(また、日照り続きのときに降る恵みの雨)

( イメージ )

こういった感じで、「慈」の“いつくしみ”に「家庭における親が子を育てる」といったニュアンスが含まれていたことから、本来は「育てる」ことに重点が置かれていたように感じました。

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タイミングよく降る雨という意味では、季語ではない同音の熟語に「雨(じう)」があるため、そのニュアンスがどこかで入ったのかも知れませんかね?


要するに「喜雨」は夏の季語として安心して使えるけど、「慈雨」はそもそも季語として認めるか意見が分かれるところだし、言葉の意味も微妙なニュアンスの伝わり方に不安があるから要注意ってことになろうかと思います。これも皆さんが句を披露したり鑑賞したりする場に応じ柔軟に対応しましょう。

「喜雨/慈雨」のプレバト!! の例句

俳句歳時記などを見ると、例句はいずれも名句ですのでお手元の歳時記で鑑賞してみていただきたいと思います。今日は、令和の時代に「プレバト!!」で披露された「喜雨/慈雨」の句を3句紹介します。

『宵宮の慈雨は屋台の人波へ』/千賀健永(2→4段)

「宵宮」は伝統的に夏の季語であり、「慈雨」との季重なりとするかは判断が分かれそうですが、いずれにしても、冬麗戦を優勝した時の句のような単語ごとの展開、躍動感が光ります。

今回のテーマの「慈雨」にフォーカスして読み返せば、『宵闇の慈雨』という言い方が極めてオシャレですし、『慈雨』と助詞で特別感を出すことで関心を集め、そこから『屋台の人波』というさらなる要素に展開していく誘導が見事です。

夏井先生の仰っていた詠みが全て意図どおりだとしたら、2ランクアップも当然といった感じがしてきてしまいます。

『鯉やはらか喜雨に水輪の十重二十重』/梅沢富美男(2019炎帝戦2位)

こちらは「喜雨」の句です。梅沢富美男名人が前年の『旱星』の句に続いて炎帝戦の連覇を目指した時の作品でした。結果的には準優勝だった訳ですが、連覇を果たした充実期の村上さんの『行間』の句に次ぐ2位ですから極めて立派です。

今回のテーマの「喜雨」について、人間の感覚でいえば「喜ぶ」の主体は人間であるはずで、例えば日照り続きの中で喜雨が降り、動植物が喜んで『いるようだ』と感じるのもあくまで主体は人間です。(実際に動物も喜びの感情を抱いているのかも知れませんが、それを感じて俳句を作るのは人間の方)

『鯉』は通常であれば、その体はしなやかに、そして柔らかに体をくねらせます。恐らく日照りで水が干上がりでもしたら話は別かも知れませんが、一定の水の深さがあればそこまで『しなやかさ』は損なわれないかと思います。しかし、喜雨に水輪が十重二十重(とえはたえ)と広がっていく様、そして、雨によって水量が増した湖や池などを泳ぐ鯉もまるでこの雨を喜んでいるかのようだ。と来る訳です。

この着眼点、感性は、他の雨の季語では関連度が足らず、やはり、この「喜雨」という季語のプラスのイメージがしっくり来ます。一見難しく見える言葉が並んでいますが、丁寧に読み解いていけば、その雅な17音の世界に引き込まれます。さすがはおっちゃんの句です。

『濡れ鼠せめてどこぞの喜雨であれ』/伊集院光(才能アリ1位)

六代目三遊亭円楽と共に初登場した【伊集院光】さん。師匠の前で緊張の面持ちで発表を迎えますが、才能アリ1位70点を獲得しました。師匠の顔を潰さないようにという思いの弟子の句を、手放しに喜ぶ師匠の(本業とは別のところでの)師弟の掛け合いが記憶に残っています。

『濡れ鼠』とは通り雨ですっかり濡れてしまった自分のことを嘲笑った表現です。しかしそこからネガティブな方面に突き進んでしまうのではなく、中七を『せめて』というフレーズから始めて切り替え、『せめてどこぞの喜雨であれ』と振り切るパワーは圧巻です。

夏井先生もオーソドックスではないものの理解を示していた様に、これが「喜雨」という熟語に「喜」という直接的な漢字が含まれていることも句の雰囲気を明るくしていると思います。これはどちらかというと、人情味であるとか「粋」な文化などが息づいているように感じました。皆さんはどの句が好きでしたか?

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