【はじめに】
皆さん「ウィキペディア小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回の目的地は神奈川県逗子市です。素敵な旅をお過ごし下さい。
逗子市(ずしし)は、神奈川県の南部に所在する市。三浦半島の西側の付け根にあり、湘南地方の東部と位置付けられることも多い。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 > 逗子市 より(以下同)
概要
古都保存法の指定都市となっている。
市制30周年を記念して、1984年(昭和59年)4月15日にほととぎすを市の花(逗子市の市花)に制定した。
キャッチフレーズは「太陽が生まれたハーフマイルビーチ」。
また、逗子市役所では市政におけるICT(情報通信技術)活用に注力しており、2013年(平成25年)11月から議会に参加する議員、職員の全員がタブレット端末を利用して審議を行う「オールタブレット議会」を全国で初めて実現した。このことは、その後、自治体でタブレット端末が導入されるきっかけとなり、逗子市には全国からの視察団が相次だ。2020年には、ビッグデータや人工知能(AI)などICT活用で電気通信大学から協力を得る協定を結んだ。
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 – 市町村制施行により、桜山村、逗子村、山野根村、沼間村、池子村、久木村、小坪村が合併して三浦郡田越村(たごえむら)が発足。
- 1913年(大正2年)4月1日 – 田越村が町制を施行し、逗子町と改称。
- 1943年(昭和18年)4月1日 – 横須賀市へ編入。
- 1950年(昭和25年)7月1日 – 横須賀市より久木、小坪、山野根、新宿、逗子、桜山、池子、沼間の各地区(旧逗子町域)が分離独立し、三浦郡逗子町が再置される。
- 1954年(昭和29年)4月15日 – 単独市制を施行し、逗子市となる。
- 2019年(令和元年)10月25日 – 産学官連携で起業支援や企業誘致に取り組む「platform ZUSHI BIZ」設立。
市名の由来
逗子という地名は、もとは現在の逗子駅南側一帯の町丁(1889年までの逗子村)のもので、これが横須賀線の駅名に採用され、さらに逗子村を含む7村が合併した田越村が町制に移行するにあたり、町名に採用されたもの。
「逗子」の由来に関しては諸説ある。「三浦厨子城」(内容不詳)より、延命寺の延命地蔵尊(伝行基作)を安置する「厨子」より、役人である図師の住まいがあったことにちなむ、道が交差する交通の要衝「辻」(つじ)が転訛したなどが挙げられ、はっきりしていない。
なお、戦国時代頃には「豆師」「豆子」「図師」「厨子」などの字が当てられており。「逗子」の字が使われるようになったのは江戸時代からであるという。
日本の市町村をアルファベット順に並べると、当市(Zushi)が最後になる。
関連人物
出身人物
- 愛甲猛(元プロ野球選手、実業家)
- 石原伸晃(衆議院議員)
- 石原良純(タレント)
- 石原宏高(衆議院議員)
- iri(シンガーソングライター)
- キマグレン(歌手)
- 辺見マリ(歌手、女優。京都府京都市育ち)
在住者
逗子に在住した人物(既に移住した人物、故人も含む)
- 石原慎太郎(元東京都知事、政治家、作家。逗子海岸には『太陽の季節』を記念したオブジェがある)
- 石原裕次郎(俳優、歌手。昭和18年2月(8歳)から逗子市で育つ)
- 泉鏡花(小説家)
- 岡田武史(元サッカー日本代表監督)
- 尾崎行雄(政治家、披露山の風雲閣を住まいとした。)
- 小田和正(歌手)
- 川端康成(ノーベル文学賞日本人初の受賞者作家、文化勲章受章、鎌倉市名誉市民)
- 国木田独歩(小説家、詩人)
- 正力松太郎(元読売新聞社社主)
- 反町隆史(俳優)
- 徳富蘆花(『不如帰』『自然と人生』などの作者)
- 徳富蘇峰(思想家、評論家)
- なかにし礼(小説家、作詞家)
- 新田恵利(タレント、歌手)
- 松嶋菜々子(女優)
- 源義朝(河内源氏の武将。源頼朝・源義経らの父。沼浜(沼間)に居館があった)
- みのもんた(タレント、かつて久木に在住)
ゆかりの人物
- 伊集院静(小説家。1978年から1984年まで「なぎさホテル」に逗留)
- 東郷平八郎(海軍大将、元帥。別荘を所有。東郷浜)
- 徳川家達(政治家。別荘を所有)
- 松任谷由実(歌手)
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