【はじめに】
今回は、「福島牝馬S」の歴史を前身の「カブトヤマ記念」と合わせて、Wikipediaと共に振り返っていきましょう。
福島牝馬ステークス(ふくしまひんばステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が福島競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。
福島牝馬ステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前身:カブトヤマ記念
上記のウィキペディア(福島牝馬ステークス)には記載がないのですが、2004年に創設された「福島牝馬S」には、実質的な前身競走があります。それが「カブトヤマ記念」です。
カブトヤマ記念(カブトヤマきねん)は、1947年から2003年まで行われた中央競馬の重賞競走(平地競走)である。
歴史
カブトヤマ記念
・1947年 – 優れた父内国産馬を輩出した同馬の業績を称え、中山競馬場芝1950mの4歳(現3歳)限定の重賞競走、カブトヤマ記念として創設。
・2004年 – 廃止。出走条件を変更し福島牝馬ステークスに引き継ぐ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和前半の名馬「カブトヤマ」について
決して多くない「馬名を冠した平地重賞」ということで、約20年前まで「カブトヤマ」という馬名には馴染みがあった(戦前の馬だけど)のですが、今の世代には馴染みも薄いと思うので、まずは「カブトヤマ」という馬について簡単に。
カブトヤマは日本の競走馬である。1933年に第2回東京優駿大競走(日本ダービー)に優勝した。父は小岩井農場が擁した戦前の大種牡馬シアンモア、母は帝室御賞典優勝馬アストラル 。全弟にガヴアナー(東京優駿大競走)、ロッキーモアー(帝室御賞典)がいる。
……第2回東京優駿大競走に臨んだ。
レースでは直線前を行くメリーユートピアを捕え4馬身差で優勝。メリーユートピアは人気が無かったが、レース途中でカブトヤマを抜いた際に、騎乗していた徳田伊三郎(当時では珍しい、モンキー乗りの騎手であった)の姿を見て、大久保があわてて追っていった結果、最後は一騎討ちとなって勝利を得たという。3着以下とは大きな差が開いていた。その後もカブトヤマは活躍を続け、5歳時には目黒記念、帝室御賞典(福島)、阪神農林省賞典等にも優勝した。
引退後は青森県の東北牧場にて種牡馬入り、マツミドリ、千鳥甲等の産駒を輩出する。特にマツミドリは東京優駿競走(日本ダービー)に優勝しており、日本ダービー史上初の親子制覇になった。この偉業をたたえ、1947年から2003年まで同馬を記念しカブトヤマ記念という名の父内国産馬限定の重賞競走が行われていた。
カブトヤマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
現役時代も一流馬でしたが、日本産馬と外国産馬で「種牡馬」に今では考えられない差があった時代、戦後初のダービー(終戦の2年後)を国産ダービー馬の息子が制したというドラマは、戦後競馬ファンを勇気づけたことは想像に難くありません。
息子・マツミドリがダービーを勝ったのは1947年6月8日で、カブトヤマが開催されたのは同年11月9日です。翌年とかではなく、約半年後、その年の秋開催に重賞を新設した点からも伝わりますね。
1947年、第二次世界大戦後に復活開催された最初の東京優駿で、カブトヤマ産駒のマツミドリが優勝。内国産種牡馬として初めてダービー優勝産駒を出したカブトヤマの業績を称え、1947年に中山競馬場で第1回の競走が開催された。第10回(1956年)からは東京、1980年からは福島と、開催場を変えて開催された。
カブトヤマ記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(1947~56年)現3歳重賞・中山時代
中山開催の時代は菊花賞の前哨戦として出走してくる牡馬(ただし第1回と第4回は菊花賞よりあと)と、クラシック路線で活躍した牝馬が激突する、出走馬のレベルが非常に高い重賞競走だった。
第1回の出走馬には皐月賞・優駿牝馬の変則二冠馬トキツカゼ、サラ系ながら桜花賞・菊花賞を制したもう一頭の変則二冠馬ブラウニー、上述の東京優駿馬マツミドリ、重賞未勝利に終わったものの種牡馬として成功を収めたシマタカといった錚錚たる面々が出走馬に名を連ね、その後もクラシック登録がなかった非運の名馬ウイザート、トキノミノルの最大のライバルであったイツセイ、後の菊花賞馬ハクリヨウらその年の4歳馬の中でも強豪中の強豪が出走するレースだった。
カブトヤマ記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第1回・カブトヤマ記念(1947/11/9・中山1950m/雨・重馬場)
着順 | 斤量 | 勝ち馬 | 主な勝ち鞍 |
---|---|---|---|
1着 | 牝・60kg | トキツカゼ | 皐月賞、オークス |
2着 | 牡・62kg | イーストパレード | セントライト記念 |
3着 | 牡・57kg | シマタカ | 本走のあと4連勝 |
6着 | 牡・62kg | マツミドリ | 東京優駿、京都記念 |
8着 | 牝・60kg | ブラウニー | 桜花賞、菊花賞 |
10月にオークス、菊花賞が行われた1947年。初回は、その年のクラシック5大競走を寡占した3頭が揃って出走するという豪華なレースに。実質的には、距離が天皇賞(秋)に近く、レースの意義はジャパンCに近いような、そんなレースでした。(レース名からは想像もできない充実ぶりです^^;)
第2回は10番人気、第3回は7番人気が制する波乱となりましたが、第4回のハタカゼ(62kg)、第5回のイツセイ(64kg)、第7回のハクリヨウ(63kg)と堂々勝ち切る年もあり、菊花賞の東のトライアルレースとしての位置づけにシフトしていきます。
(1957~73年)現3歳重賞・東京時代
東京開催の時代は施行時期が菊花賞の後に固定され、「残念菊花賞」という色合いが強いレースになったが、距離が長すぎる、輸送に弱いなどの理由でここ1本に勝負を懸けてきた馬が出走してくることもあり、やはりレベルが高いレースだった。
( 同上 )
- 1956年:ハクチカラ (ダービー、天皇賞、菊花賞 → 米で初の重賞制覇)
- 1960年:ホマレボシ (安田記念、有馬記念)
- 1965年:カブトシロー (天皇賞、有馬記念)
- 1972年:ハクホオショウ(安田記念、札幌記念、オールカマー)
など、中山時代ほどではないものの、古馬になっても活躍を続ける名馬を時折輩出していました。1958年からは11月開催で定着しますが、開催時期が徐々に早まり、菊花賞と同日といった年も出てきます。
その結果、実力で現G1級の菊花賞には届かない馬か、実力はあるが距離が保たない関東馬が出走するというレースになっていき、要するに「一流馬が目標とするレース」でなくなっていきました。そういう経緯を経て、1974年に「古馬開放・父内国産馬限定戦」への変更がなされたのです。
(1974~2003年)古馬重賞・東京→福島開催へ
1973年までの「現3歳・2000m」の重賞から、1974年からは「古馬・1600m」のマイル戦へと大胆な転換がなされます。それでも「カブトヤマ記念」という名称を残したのには、戦後競馬の発展を願った思いが込められていたのでしょう。
しかし、1970年代も劇的な改善は見られず、1980年にいよいよローカル開催に移管されます。中山→東京→福島競馬場に開催が移り、距離も1800mに若干延長されました。
そこから、2003年の廃止に至るまで、10月下旬に開催され、数少ない「父内国産馬限定」競走として、“秋の福島開催の名物レース”の地位を保ってきました。
2004年~「福島牝馬S」
1990年代にサンデーサイレンスが日本競馬を席巻し、その産駒らがリーディング上位を争うようになると、「父内国産馬」に限定したレースの特筆性が徐々に薄れていきます。2000年代前半のことでした。
福島開催の時代も父内国産馬限定戦として開催し、福島記念と並ぶ、秋の福島開催の名物レースとして長年親しまれた。2003年の競走は開催スケジュールの見直しを図った関係で春季に繰り上げられたが、これが最後の開催となった。
これは、種牡馬リーディング上位を争う内国産種牡馬の登場により、父内国産馬奨励の目的がほぼ達成できたという観点からである。
なお、2004年からこの競走に替わる形で同時期・同距離で福島牝馬ステークスがスタートすることとなったが、回次は出走条件が異なることから、一旦カブトヤマ記念を廃止した上での新設扱いとして2004年を第1回とした。また、これと同時に愛知杯も牝馬限定に変更され、さらに2008年からは中日新聞杯も出走資格が父内国産馬限定から混合競走に変更され、これにより中央競馬の父内国産馬限定重賞競走が姿を消すことになった。
( 同上 )
主要4場では「●●牝馬S」というレースが整備されていましたが、ローカル開催ではそのネーミングは珍しく、「福島牝馬S」としての重賞制定は、当時は新鮮に感じました。(主要4場だけのネーミングかと勝手に思っていたからです)
2004年に行われた牝馬競走体系の整備により、牝馬の出走機会を広げ牝馬路線の充実を図ることを目的として新設された4歳以上の牝馬による重賞競走。東日本大震災の影響で新潟競馬場に移された2011年及び福島県沖地震の影響で新潟競馬場に移された2021年を除き、福島競馬場の芝1800mで行われている。
2006年にヴィクトリアマイルが創設されると、本競走はヴィクトリアマイルの前哨戦として位置づけられるようになり、2014年からは本競走の1着馬にヴィクトリアマイルの優先出走権が与えられるようになった。
福島牝馬ステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第1回(無理やりカブトヤマ記念を足すと58回)の「福島牝馬S」は、ローカル重賞としてはそれなりのメンバーが揃ってくれ、メイショウバトラー、オースミコスモ、ニシノムーンライト、チューニーとった面々が人気を集めました。
結果は、オースミコスモが57kgで2番人気の優勝を果たし、3着同着な上に、アタマ・ハナ・ハナ・ハナ差と3着争い大混戦なレースとなり、1番人気のメイショウバトラーはその8着に沈みました。
当初は、別定が多少高くても(56~58kg)牝馬限定競走ということで出走してくる重賞馬も多かったのですが、ヴィクトリアマイルが創設されたり、阪神牝馬Sが春開催になったこともあり、2000年代後半からは、GIII級の馬がGIへの優先出走権をかけるレースという意味合いが強まりました。
- 2009年:ブラボーデイジー VM2着
- 2021年:ディアンドル VM4着
上記2頭は、次走のヴィクトリアマイルで好走していますが、一方で他の馬は本番で着外(半数近くが2桁着順)と大敗しているほか、優先出走権を獲得していてもヴィクトリアマイルに挑まない馬も結構いたりして、レースの設定条件と実態の乖離が目立ってきてしまっています。
また、2005年のメイショウオスカル、2012・2013年に連覇を果たしたオールザットジャズを除いて、1番人気は勝っておらず、オールザットジャズを除くと2006年以降、15年以上1~2番人気が勝てていないという結果になっていることも、一部ファンには知られています。
年 | レースR | 勝ち馬 |
---|---|---|
2016 | 102.25 | マコトブリジャール |
2017 | 104.75 | ウキヨノカゼ |
2018 | 103.75 | キンショーユキヒメ |
2019 | 100.25 | デンコウアンジュ |
2020 | 102.50 | フェアリーポルカ |
2021 | 103.50 | ディアンドル |
2022 |
ここ6年のレーティングをみても、2019年は目安を割り込んでいますが、その他の年はGIIIらしい水準を保っています。2017年は、クビ差同士の決着となった2着・フロンテアクイーン、3着・クインズミラーグロがその年の夏にかけて牝馬重賞戦線で好走したこともあり、レースレベルを押し上げました。
コメント