競馬歳時記【11月2週】「福島記念」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「福島記念」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

福島記念(ふくしまきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が福島競馬場で施行する中央競馬重賞競走(GIII)である。競馬番組表での名称は「農林水産省賞典 福島記念(のうりんすいさんしょうしょうてん ふくしまきねん)」と表記している。

福島記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和時代:1965年に重賞昇格、その前の歴史も復元!

静岡県の藤枝競馬倶楽部から移転の形で公認競馬を誘致した福島競馬倶楽部が使用する競馬場として、1918年に建設され同年6月に初の競馬が開催された。1937年の秋季開催からは主催が日本競馬会に移行されたが第二次世界大戦のため1943年限りで競馬開催が休止。
終戦後には食糧難対策として農場として使用された。国営競馬移管後の1949年9月に競馬開催が再開。1954年からは日本中央競馬会に移管され現在に至っている。

1923年から1937年の春季開催には帝室御賞典が施行された。日本競馬会移管以降は重賞に相当する競走は施行されなかったが、1965年にオープン特別として施行されていた七夕賞福島記念が格上げされる形で創設された。

福島競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東北地方唯一の中央の競馬場として知られる「福島競馬場」では、カブトヤマらが勝った戦前の帝室御賞典を例外として、基本的には昭和前半は重賞がありませんでした。1965年(昭和40年)に、七夕賞と福島記念が8月に重賞として開催され、それが現在に繋がる重賞としては最古級となります。

1949~64年:オープン特別時代を網羅できたっぽい!

しかし、それ以前にも「福島記念」と呼ばれるオープン特別級の競走は古くから開催されていました。様々なネットメディアを通じてかき集めると、福島競馬が戦後復活した直後(開設記念の翌週)には、「福島記念」というレースが行われた歴史があり、戦後分は全て復元することができそうです。(↓)

開催日頭数勝ち馬備考
49/09/23シラハタメイヂヒカリの母
50/07/06カネフブキ
51/07/19サチフサ
52/07/20フジカブト
53/07/269頭キヨストロング
54/07/189頭ビクトリー
55/07/247頭ミスセイジユ
56/07/2910頭ミスセイジユ
57/08/183頭セイユウアングロアラブ馬
58/08/109頭フイリー
59/08/238頭アサヒデ
60/08/219頭ミススズラン
61/08/207頭チドリ
62/08/1910頭アサユキ
63/08/188頭ミオソチス
64/08/1610頭キクノヒカリ
昭和20年代は7月、昭和30年代は8月に開催されていたようです。ただ、メンバーは今のG3なのと近いイメージだったのかも知れません。

事実上の初回(1949年)は、顕彰馬メイヂヒカリの母であったシラハタ。そして、1950年代に入ると重賞馬【キヨストロング】が優勝したり、ミスセイジユが連覇を達成しています。更に、1957年には、アングロアラブ馬では無敗だった【セイユウ】が七夕賞に続く連勝でサラブレッドを相手に勝利した舞台となっています。

一般に「福島記念」は1965年に創設……などと誤解してしまいますが、それこそ戦前から競馬が開催されてきた「福島競馬場」が戦後復活し、それを記念して戦後1949年から開催されてきた歴史を受けて、オープン特別から重賞に昇格したと見るべきものなのです。

1965~72年:オープン時代を踏襲して原則、夏に開催

上のような歴史を踏まえると、昭和40年代、夏に開催されていたのも納得できます。そして、第2回(オープン時代を含めると18回目)を制した【セフトウエー】は、中央入りして3連勝目が福島記念で中央の重賞初制覇、そして毎日王冠で中央4連勝とし、天皇賞(秋)でも1番人気に支持されました。

また、1969年や1971年は11月に開催され、それが現在の秋開催の布石となったと見られますが、このうち1969~70年にかけては【スイジン】が重賞昇格後では初、オープン時代を含めるとミスセイジユ以来の連覇を達成しています。なお、2着も2年連続でアイズキノー。

回数年月日優勝馬性齢タイム
第1回1965年8月29日ウイステリヤ牝32分04秒8
第2回1966年9月4日セフトウエー牡42分04秒3
第3回1967年8月27日ネイチブランナー牡42分04秒1
第4回1968年8月11日ハクセンショウ牡42分08秒1
第5回1969年11月23日スイジン牡42分05秒3
第6回1970年8月9日スイジン牡52分03秒1
第7回1971年11月21日ダッシュリュー牡52分01秒2
第8回1972年8月27日キクノハッピー牡42分02秒6

1973~88年:秋開催、重賞で珍しい同着、G3昇格

1973年は毎日王冠が9月に福島で開催されるなど変則的なスケジュールとなって1973年10月に第9回「福島記念」が開催されてからは、1949年から約四半世紀で「夏」開催から「秋」開催に移行します。

現在とほぼ同じ11月開催となった1974年(第10回)は長く活躍した【ノボルトウコウ】が優勝し、1977年には【ディアマンテ】が前年のエリザベス女王杯以来の優勝を果たしています。

そして、その1977年は2着が同着だったのですが、1979年には重賞としては珍しい1着同着が起きています。ファニーバードとマイエルフという2頭の牝馬が不良馬場で3着を9馬身差突き放すマッチ・レースで優勝しています。

その後も、11月に主に京都競馬でG1が開催される時期に、中堅どころが出走する“ローカル重賞”らしいレースとして実績を重ね、1984年にはG3に格付けされます。

平成・令和時代:マイルCS・エリ女の裏メインに

開催時期に1週程度のズレがあり、マイルCSかエリザベス女王杯かという違いはあったものの、基本的には11月の中盤ぐらいに開催され、G1の週の裏メインという立ち位置で開催されるようになった「福島記念」は、裏ローカルメインとして歴史を重ねていきます。

平成前半:若きツインターボが2着に善戦

ラジオたんぱ賞を制し、セントライト記念で2着となって「菊花賞」への出走権を獲得していたにも拘らず、福島競馬場に戻って「福島記念」に出走した現3歳時のツインターボ。最後は同じ55kgを背負った現6歳牝馬【ヤグラステラ】に交わされますが、大人しく内で溜めて逃げてからの粘りを見せて2着と善戦します。

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また、1995年にはダートに転戦する直前の【ホクトベガ】が56kgで出走し、マイネルブリッジの2着となっています。1990年代以降、そもそも出走することは少ないですが、牡馬換算で58kg以上の重いハンデを背負って勝った馬はいません。最高でも57.5kgとなっています。

平成後半:ダイワファルコンが43年ぶりの連覇

平成後半では、2012~13年に【ダイワファルコン】が連覇を果たします。オープン時代のミスセイジユを含めれば史上3例目、そして重賞昇格後ではスイジン以来43年ぶりの連覇達成です。

「福島記念」は(福島競馬全般にいえるかも知れませんが、)リピーターが多く、何度も入着する馬が生まれてきましたが、やはりハンデ戦という中で連覇を達成するのは楽ではありません。特にこの連覇を達成した2013年の勝ちタイムは1分57秒3というレコードでした。

第52回2016年11月13日107.25マルターズアポジー牡42分00秒8
第53回2017年11月12日107.00ウインブライト牡32分00秒2
第54回2018年11月11日106.75スティッフェリオ牡41分58秒3
第55回2019年11月10日108.50クレッシェンドラヴ牡51分59秒5
第56回2020年11月15日107.50バイオスパーク牡51分59秒6
第57回2021年11月14日108.00パンサラッサ牡41分59秒2

ここ最近は2分を切るタイムでの優勝が続いており、レースレーティングは105と110の間を安定して刻んでいます。まさにローカル開催のハンデG3として、伝統の立ち位置をキープしていると言えるでしょう。

令和時代:ステイフーリッシュ、パンサラッサが連対

基本的には地味なローカル重賞といった印象だった「福島記念」ですが、令和に入ると状況が一変し、2019年には【ステイフーリッシュ】が2着に入り、2021年には【パンサラッサ】が優勝します。

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年内での値を基準とするため、上記のレーティングは跳ねていませんが、この福島記念に出走した後に大きく出世して、世界的に注目される存在となっています。逆の言い方をすれば、その翌年などに海外G1を制するような存在が、天皇賞(秋)やジャパンCに出走せず「福島記念」を使っている……そんな可能性があると思ってみると魅力的なレースになってきませんでしょうか?

2021年 福島記念(GⅢ) | パンサラッサ | JRA公式

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