「最大震度5(強震)」だった主な地震についてまとめてみた

【はじめに】
この記事では、かつての基準で「最大震度5(強震)」とされた地震のうち、主な地震について時代ごとにまとめていきます。

「震度5」って良くあるし、大したことなくない?

って思っていらっしゃる方、かつて(およそ四半世紀前)の「最大震度5」の地震は、今と全くレベル感が違うので、そこに注意してこの記事をご覧頂ければと思います。それでは早速参りましょう!

基本情報:「最大震度5」の地震について

現代を生きる皆さんは、ひょっとすると「震度5」という表現に馴染みがないかも知れません。

「震度5弱」・「震度5強」って言うのが正しいんじゃないの?

と思われた方、今はそうですが歴史的にみると、四半世紀前は違いました。震度はすべて整数値で表していたのです。「0・1・2・3・4・5・6・7」の8段階の時代が約半世紀続いていたのです。

1990年代中盤に、「阪神・淡路大震災」などでの震度階級の見直し、「震度観測の自動化」の進展などの要因により、「5と6」は同じ階級でも被害状況に差が大きいことなどから「強/弱」に分割されたのです。「震度5・6弱/強」に分かれたのは1996年(平成8年)のことなんですね。

その際、気象庁震度階級の「解説文」も改訂されましたが、「5」や「6」の基本の考え方が全面的に変わった訳ではなく、時代の変化を具体的に盛り込んだというのが主な理由だったかと思います。

そんなに基準が変わっていないのに、なんで昔と今で印象が変わっちゃったの?

という声が聞かれそうなので、日本語版ウィキペディアからこの一文を引用します。

観測所の配置密度と最大震度 [編集]
上記にある通り1996年に気象庁の発表地点である震度観測点が大幅に増加したことにより観測所の配置密度は飛躍的に高くなり、震源の近くで大きな震度が観測される可能性が高くなった。
例えば大きな被害がありながら最大震度4とされている長野県西部地震、および巨大地震でありながら最大震度5とされている昭和南海地震のように、1995年以前では大きな地震でも震源の近くに観測点がなければ最大震度は小さくなっていた。

日本語版ウィキペディア > 気象庁震度階級 より

ここに注意が必要なのです。すなわち、気象台の職員などが体感で計っていた時代(数十年前はリアルにそうだったのです)は、全国に百数十地点しかなかった「震度観測点」が、平成を通じて数倍に増加し、その結果として「似た基準の震度階級」でも、その観測される割合が急激に高まったのです。

気象庁「震度データベース」で検索してみた

上に「昭和南海地震」という固有名が出てきましたので、ここからは気象庁の「震度データベース」で検索してみていきましょう。

(出典)気象庁 > 震度データベース検索 > 「昭和南海地震

上の図をご覧ください。黄色系統の色が西日本を覆っています。濃い黄色が震度5、薄い黄色が震度4です。M8クラスの巨大地震らしく非常に広範囲に強い揺れが伝わったことが視覚的に分かりますね。

しかしその一方で、赤色で示される「震度6(烈震)」は1地点もありません。こういった地震がこの記事で取り上げたい「最大震度5」だった地震なのです。

これについては、以下の日本語版ウィキペディアの記述にもある通り、気象庁の「震度データベース」に『委託観測所』のデータが反映されていないという留意事項もあります。実際当時は全国各地にあった『委託観測所』では、震度6(烈震)と報告した地点が複数ありました。
以下、今回の記事では気象庁「震度データベース」に準拠していきますが、実態としては「震度6以上」を報告していたケースを含む点、ご了承ください。

日本語版ウィキペディア > 昭和南海地震 より

年代ごとの「最大震度5」の地震の回数

では、具体的にどのくらいの頻度でそういった「最大震度5」の地震があったのか見ていきましょう。

期間震度5震度6震度7合計
1920年代54458
1930年代40242
1940年代11415
1950年代44
1960年代3737
1970年代15116
1980年代19120
1990年代183122
合計198151214
(出典)気象庁 > 震度データベース検索 (必要部分のみ抽出して表に加工)
・地震の発生日時 : 1919/01/01 00:00 ~ 1995/12/31 23:59
・最大震度 : 震度5弱以上
・地震回数の集計 : 年代別回数

1919~1995年の「10年代」ごとの震度5・6・7の事象回数を表にまとめてくれていますが、上記以外にも注意点がありまして、「1990年代が実質6年間しか対象期間がない点」や「体感から自動計測への過渡期だった昭和の後半以降はやや連続性に疑問がある点」等にはご注意いただければと思います。

留意点は幾つもあろうかと思いますが、この表から読み取れることは例えばこういった具合です。

  • 1950年代は「最大震度5以上」の地震が4例しかない(十勝沖地震は震度5で処理)
  • 1950~60年代は「震度6」の地震が1例もなかった
  • 1970~80年代でみると「震度5」は20回未満。年に1~2回平均という計算になる。

単純比較が出来ないことを承知で、敢えて1996年以降を示してみましょう、こちらです。

期間5弱5強6弱6強合計
1990年代3545145
2000年代73291971129
2010年代114441574184
2020年代10601017
合計2328339156375
(出典)気象庁 > 震度データベース検索 (必要部分のみ抽出して表に加工)
・地震の発生日時 : 1990/01/01 00:00 ~ 2021/12/31 23:59
・最大震度 : 震度5弱以上
・地震回数の集計 : 年代別回数

※こちらはデータ出力の関係上、1990年代に旧震度階級の時代を含んでいる点、ご了承ください。

2000年代以降、10年間で100回以上の「震度5弱以上」の地震が観測されています。ただ、もちろん、

昔に比べて大きな地震が単純に10倍に増えた訳ではないですよね?

というご指摘のとおりです。「最大震度5弱以上」の数をカウントしただけであって、先に述べた「震度観測点の増加」や「震度階級の基準変更」は全く考慮されていません。地震活動の活発化も時期的にあったとは思いますが、増加要因の大きな理由に「観測網の変化」があることを忘れてはなりません。

要するに、今の感覚の「最大震度5」の地震と同列には扱えないということがとにかく重要なのです。

ここからは重要な地震をピックアップしていくことにしましょう。

過去の主な「最大震度5(強震)」の地震

まずは、海域で起きた地震について見ていきます。いきなりインパクトのある情報から参りましょう。

海域で起きた巨大地震(M8以上):昭和時代の5例中4例

21世紀に入ってからの海域での巨大地震(2003年十勝沖地震、2011年東北地方太平洋沖地震など)は多くで震度6弱以上を観測しました。

しかし、昭和時代に気象庁マグニチュード8以上を観測した5つのうち4つの“巨大地震”については、「震度5(強震)」として処理されているのです。個人的に調べてみて実に意外でした。

地震の発生日時震央地名深さ最大震度
1933/03/03 02:30:47.6三陸沖0 km8.1震度5
1946/12/21 04:19:04.1和歌山県南方沖24 km8.0震度5
1952/03/04 10:22:43.5十勝沖54 km8.2震度5
1958/11/07 07:58:12.8択捉島南東沖13 km8.1震度5
1963/10/13 14:17:50.5択捉島南東沖0 km8.1震度4
地震の発生日時 : 1919/01/01 00:00 ~ 1989/01/08 23:59
地震の規模 : M 8.0 以上、M 9.9 以下
検索結果地震数 : 5 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)

これには幾つかカラクリがあります。例えば、1994年(平成6年)の北海道東方沖地震(M8.2)は、平成年間であるため除外しています。1923年(大正12年)の関東大震災(M7.9)も同様です。
また、1944年(昭和19年)に起きた昭和東南海地震については、気象庁マグニチュードではMj7.9と、ギリギリM8に達していないので、こういった出力結果となるのです。

しかし、上に示した4つの地震はいずれも巨大地震です。津波被害が甚大ですが、陸域にも震害で被害をもたらしたのも事実です。列挙しますと、

  • 1933年:M8.1「昭和三陸地震」 犠牲者3,000名超(津波28.7m)
  • 1946年:M8.0「昭和南海地震」 犠牲者1,000名超
  • 1952年:M8.2「十勝沖地震」  犠牲者   33名 (津波6.5m)
  • 1958年:M8.1「択捉島沖地震」

これらの地震も「最大震度5」として分類されるのです。そして、巨大地震に限らず、以下の大地震も同様に最大震度5として処理されています。

海域で起きた大地震(M7以上)

  • 1964年:M7.5「新潟地震」
  • 1968年:M7.5「日向灘地震」
  • 1968年:M7.9「十勝沖地震(青森県東方沖)」
  • 1978年:M7.0「伊豆大島近海地震」
  • 1978年:M7.4「宮城県沖地震」
  • 1983年:M7.7「日本海中部地震」
  • 1993年:M7.8「北海道南西沖地震(奥尻島津波)」

こういった多くの被害をもたらした地震は、いずれも「最大震度5」とされています。1983・1993年などの巨大津波による百名単位での犠牲者を出した地震や、1964・1978年のような県庁所在都市を大きく揺るがした地震もです。

(出典)気象庁 > 震度データベース検索 > 「新潟地震

液状化現象によって団地が横倒しになったり、石油コンビナートの火災が発生したりした「新潟地震」も、東北から関東にかけて「震度5」が広く分布していますが、「震度6」はありません。当時の基準は『建物被害』に強く軸足を置いていたこともあるのかも知れませんね。

陸域(付近)で起きた震度7相当の地震

海域で起きた地震以上に「震度観測網」の穴となりやすいのが陸域で起きた地震です。見ていきます。

日本語版ウィキペディア「震度7」にも登場する地震をピックアップしました。

  • 1939年:「男鹿地震」 犠牲者27名
  • 1945年:「三河地震」 犠牲者3,000名以上
  • 1968年:「えびの地震」犠牲者3名

家屋倒壊率が30%を超える領域があるとされるものの、「最大震度5」とされた地震たちです。男鹿地震と三河地震はM6クラスの後半、「えびの地震」は「えびの」で震度6という記録がありますが、気象官署での最大震度は5となっています。

(参考)【旧震度】気象官署で最大震度5だった21世紀の地震

ここからは参考として、逆の見方をしてみましょう。現代の基準でいうと「震度6強以上」を観測しているものの、かつての震度観測網(旧震度)では「最大震度5」となっていたであろう地震を見ていくことで、現代の皆さんにも、「最大震度5」だった地震の凄みを理解していただければと思います。

  • 2004年:「新潟県中越地震」  (震度7
  • 2008年:「岩手・宮城内陸地震」(震度6強)
  • 2011年:「静岡県東部地震」  (震度6強)
  • 2018年:「北海道胆振東部地震」(震度7
    ※厳密に気象官署に限定すれば「小樽:震度4」が最大

実は21世紀に入って「震度7」を観測した地震のうち、2例(2004・2018年)に関しては、気象官署で「震度6」を観測した地点はなかったのです。どちらも内陸部を震源とするM7未満の地震ではありましたから、近くに気象官署がなければ致し方ない面もあります。

この傾向は、↓の記事にも書いています。
新「震度6強」の地震は、その殆どが昔の震度観測網では「震度5」となっていたと思われるのです。

ここでお伝えしたいのは「現在の震度7は、昔の観測網では震度5以下になっている可能性があった」という事実です。逆の見方をすれば、昔の観測網で「最大震度5」とされた上記の地震たちも、現在の観測網・震度階級であったならば「震度6強~7」で、最も大きく取り上げられていたのかも知れないという現実です。

今の感覚で物事を捉えがちですが、その時々の考え方があったという事を忘れないようにしなければ、現実を見誤ってしまう、見損ねてしまう可能性があるので、今一度注意したいと思いました。

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