「競馬の歴史」を学ぶ ~中央G1級着差編~【リバティアイランドのオークスを追記】

競馬の歴史を学ぶ

【はじめに】
この度、2022年の「天皇賞(春)」で【タイトルホルダー】が7馬身差をつける逃げ切り勝ちを収めたことを記念して、「G1級で大きな差」をつけて勝ったレースを振り返っていき、競馬の歴史を学んでいきたいと思います。

なお、2023年10月の南部杯でレモンポップが記録した大差勝ちのような『交流・ダートG1/Jpn1』については下の記事をご参照ください。

中央G1での「6馬身差」以上での勝利

6馬身差:3例

1960年代以前は多数あった「6馬身差」の事例ですが、グレード制導入以降は、上記2例のみです。1987年に日本ダービーを勝った【メリーナイス】と、2020年に牝馬として圧倒的な強さを見せて後続を突き放した【クロノジェネシス】です。

そして、2023年の優駿牝馬(オークス)では、2012年のジェンティルドンナを上回る6馬身差をつけた【リバティアイランド】が、約半世紀ぶりの大差となる6馬身差で牝馬2冠を達成しました。

7馬身差:5例(天皇賞(春)で21世紀に2例)

平成以降で5例ある「7馬身差」のG1制覇。いずれも、印象に残るレースです。3冠を達成したときのナリタブライアン、天皇賞・春の2例はどちらも逃げ切り勝ちでした。やはり長距離戦の方が起きやすいですね。

だからこそ、中央のダートG1では最長となる【クロフネ】の圧勝劇と、牝馬限定戦とはいえマイル戦で役者の違いを見せつけた【ウオッカ】の7馬身差には衝撃がありますよね。

8馬身差:3例(芝マイルGIでは最大着差)

グレード制が導入されて以降で、マイル戦での最大がこの8馬身差。どちらも1987年に記録されました。また、【オルフェーヴル】は三冠馬の引退レースとしては最大着差となっています。

平成唯一の8馬身差は、2010年以降での最大着差。3冠馬・オルフェーヴルの引退レース「有馬記念」です。4角で先頭に立つと、全く後続は差を縮められず、結果的に1.3秒=8馬身差という着差での圧勝劇となりました。

9馬身差:2例(グレード制以降では最大着差)

グレード制導入以降の中央平地GIでの最大着差が、この「9馬身差」です。偶然にも2003年に連続して誕生したために、他にも結構例があるのかなと思いましたが、平成以降では最大着差となります。

1966年のヒロヨシのオークスから37年後、同じく東京・2400mを重馬場で逃げ切った「タップダンスシチー」。1.5秒差を付け、画面いっぱいに引いての圧勝劇は後世に語り継がれます。

それから1ヶ月後、雪が残る中山競馬場で行われた、2003年年末の総決算「有馬記念」は、『9馬身差・返し』とも言える様な圧勝劇。ジャパンCで3着と敗れたシンボリクリスエスが、引退レースを堂々と飾りました。

グレード制導入以前の八大競走での圧勝劇

グレード制が導入されて既に40年近くが経ちますが、それ以前の方が大差のつくレースが多かったのは事実です。以下で軽く振り返っていきましょう。なお、対象は八大競走に限定しています。

6馬身差:14例

  1. 1935 東京優駿 ガヴアナー
  2. 1939 天皇賞春 スゲヌマ
  3. 1939 優駿牝馬 ホシホマレ
  4. 1940 天皇賞春 トキノチカラ
  5. 1942 天皇賞春 ミナミモア
  6. 1943 東京優駿 クリフジ
  7. 1947 皐月賞  トキツカゼ
  8. 1951 天皇賞秋 ハタカゼ
  9. 1952 天皇賞秋 トラツクオー
  10. 1954 天皇賞春 ハクリヨウ
  11. 1954 優駿牝馬 ヤマイチ
  12. 1954 菊花賞  ダイナナホウシユウ
  13. 1960 皐月賞  コダマ
  14. 1967 有馬記念 カブトシロー

著名なところでは、1943年の東京優駿(日本ダービー)を制した牝馬の【クリフジ】でしょう。

特に東京優駿競走ではスタートで大きく出遅れの勝利で、このとき鞍上の前田はゴール前で他馬の脚音が全く聞こえなくなったので何かあったのではないかと気になり何度も後ろを振り返ったという。また、レース後の口取りで栗林はレース後なのにクリフジの息が全く乱れていなかったことに驚いたという。なお、牝馬による東京優駿(日本ダービー)の制覇はこの後2007年にウオッカが勝利するまでの64年間、現れることはなかった。

クリフジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

7馬身差:3例

  1. 1963 東京優駿 メイズイ
  2. 1965 天皇賞春 アサホコ
  3. 1980 天皇賞秋 プリテイキャスト

一気に「7馬身差」は減ってしまいます。戦後になって3例と、グレード制以降よりも回数が少ないというのは意外でした。この中で現代でも有名なのはやはり【プリテイキャスト】の逃げ切りでしょう。


プリテイキャスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

8馬身差:6例

  1. 1940 優駿牝馬 ルーネラ
  2. 1941 東京優駿 セントライト
  3. 1946 優駿牝馬 ミツマサ
  4. 1954 皐月賞  ダイナナホウシユウ
  5. 1955 東京優駿 オートキツ
  6. 1975 優駿牝馬 テスコガビー

戦前ではセントライト、戦後ではダイナナホウシユウが、クラシック競走で8馬身差を付けていますが、平成以降ではありません。平成以降のクラシック最大着差は、3冠馬・ナリタブライアンの菊花賞での7馬身差です。

9馬身差:1例

9馬身差は2003年の2例を含めても、計3例しかないということになります。泥んこの不良馬場で3角あたりから2頭で後続を突き放すと直線では差を広げての9馬身差。まさに、タップダンスシチーのJCと同じようなレースを同じ距離舞台で達成していたのでした。

10馬身差:2例

平場のレースでも滅多に目にせず、存在感が薄い印象のある「10馬身差」。八大競走級でも史上2例しかありません。1943年(当時は秋に開催していた)オークスでの【クリフジ】と、1955年・菊花賞の【メイヂヒカリ】です。どちらも「JRA顕彰馬」になっています。

  1. 1943 優駿牝馬 クリフジ
  2. 1955 菊花賞  メイヂヒカリ
メイヂヒカリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大差勝ち:5例

日本競馬では10馬身を超える差が付いた場合、具体的な数字を示さず「大差」と表現します。ですから八大競走最大着差は、以下に示す5例の大差勝ちということになります。

  1. 1938 天皇賞秋 ヒサトモ
  2. 1943 菊花賞  クリフジ
  3. 1947 優駿牝馬 トキツカゼ
  4. 1968 天皇賞春 ヒカルタカイ
  5. 1975 桜花賞  テスコガビー

昭和10年代を代表する女傑2頭【ヒサトモ】と【クリフジ】は、どちらも牡馬混合競走での大差勝ち。戦後の【トキツカゼ】もオークスが大差勝ちでした。それから21年後の1968年、実に「2秒8」差という“大差勝ちの中の大差”で天皇賞(春)を制したのが【ヒカルタカイ】です。

オープン競走を3戦連続2着で迎えた天皇賞(春)では2着馬タイヨウに2秒8差の大差(記録上は「大差」。馬身に換算すると17馬身[注 2]と推測される。着差の項目を参照)という八大競走史上最大の着差をつけ優勝。「雨天に助けられた」と見る向きもあったが、続く宝塚記念も2分14秒7のレコードタイムで優勝したことでこれを払拭。この功績により同年の啓衆社賞最優秀古馬牡馬を受賞した。同年は6戦2勝。

ヒカルタカイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

続く7年後の1975年、【テスコガビー】が桜花賞で大差勝ちを記録したのを最後に、半世紀近く八大(G1級)競走では「大差勝ち」が出ていません。


テスコガビー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(参考)その他の印象的な大差勝ちのレース

ちなみにグレード制導入前の(現在のG1級競走での)大差勝ちといえば、【マルゼンスキー】の朝日杯3歳Sでしょうか。「桁違いのスピード」の最たる例かと感じます。

そして平地に限れば2秒台が最大ですが、障害に広げると……あのレースを取り上げざるを得ません。

そして迎えた中山大障害(春)。8頭立てで行われ、シンボリクリエンスは近走の不振もあって前走1番人気のシンボリモントルー、2番人気のワカタイショウの2頭の中山大障害優勝経験馬に次ぐ3番人気に推されていた。レースはスタートからディビーグローが離して逃げる展開。シンボリクリエンスは中団で追走する。しかしこのレース最大の難関、1.6mの大竹柵障害でワカタイショウ、パンフレット、スピードキャスターが次々と落馬。更に転倒したスピードキャスターに乗り上げたオンワードネバダまで落馬したためこの時点でわずか4頭によるレースに変わる。相変わらず逃げるディビーグローだが大生垣障害を越えたあたりでシンボリクリエンスがこれを捉え、あとはひたすら独走。2着入線のシンボリモントルーはカラ馬のパンフレットにすら追い越され、シンボリクリエンスとの差は8.6秒。実に50馬身近い圧勝劇であった。

シンボリクリエンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

レースを目にする機会があればぜひ一度ご覧ください。こういうことがあるのが障害レースの恐ろしさです。【他の例は下の記事からもお楽しみください。】

【おわりに】

旧・八大競走と、現・G1級競走における「圧勝劇」を振り返ってきました。

一つ言えるのは、1秒以上の差を付けての圧勝は、数年に1回あるかないかであり、人気薄の大逃げであるとか、道悪であるとかに関係なく「偉業」だと言い切れることです。
戦中戦後に比べてレース体系が整備された現代において、大きな差が付くこと自体が減ってきていることを改めて認識する機会になれば幸いです。最後に、各着差の「直近例」を纏めることにします。

着差直近例勝ち馬
6馬身差2020 宝塚記念クロノジェネシス
7馬身差2022 天皇賞春タイトルホルダー
8馬身差2013 有馬記念オルフェーヴル
9馬身差2003 有馬記念シンボリクリスエス
10馬身差1955 菊花賞メイヂヒカリ
大 差1975 桜花賞テスコガビー

令和の時代、この表に初めて名を刻んだのは、クロノジェネシス、そしてその上(7馬身差)に名を残したのはタイトルホルダーでした。果たして、次はどの馬はどのレースで、どんな勝ち方で刻むのでしょうか。楽しみに待ちたいと思います。最後までご覧いただきありがとうございました~

コメント

タイトルとURLをコピーしました