競馬歳時記【7月1週】「CBC賞」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返る「競馬歳時記」。今回は「CBC賞」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

CBC賞(シービーシーしょう)は、日本中央競馬会(JRA)が中京競馬場で施行する中央競馬重賞競走GIII)である。

寄贈賞を提供する中部日本放送(およびCBCテレビCBCラジオ)は、名古屋市に本社を置く放送局。

CBC賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )

1958~64年:砂コース時代(非重賞)

この「CBC賞」は、施行条件が何度も変更されてきました。前身となるオープン(準オープン)時代から遡ると、60年以上の歴史があります。今回は、施行条件の変更を節目として、時代ごとにトレンドを振り返っていくことにします。

( 同上 )

一般に「重賞としてのCBC賞」が創設されたのは1965年とされていますが、重賞ではない形でも「CBC賞」という名前のレースが行われていたことが、ウィキペディアに纏められていました。(↑)

中部日本放送
1951年9月1日に、日本で最初の民間ラジオ放送局として開局。同時にこれまで日本放送協会が独占的に放送を行ってきた時代が幕を閉じ、日本の民間放送の草分け的存在となった放送局である。1956年12月1日テレビジョン放送を開始し、ラジオ・テレビ兼営局となった。

中京競馬場
1953年8月22日 – 第1回中京国営競馬が開幕。翌日には中京開設記念競走(翌年から中京記念として施行)が行われ、この年の春の天皇賞を制したレダが優勝した。

そもそも、日本で民放が発足したのも、中京競馬場が創設されたのも1950年代であり、それから数年後には「CBC賞」が設立されていたことになります。

(準)オープン時代の著名馬
  • 1959年1月
    ブレツシング

    米国産馬として83戦17勝。クラシック出走叶わずも、現3歳時は4頭が落馬したクイーンSで3馬身半差の快勝。現6歳時には中京競馬開設5周年記念→スプリングHと重賞連勝。明け(現)7歳の緒戦で「CBC賞」を勝利。

  • 1960年1月
    スイートワン

    4連勝でダービー出走し6着。クモハタ記念でウイルデイールの2着から年明け2戦目で半年ぶりの勝利で、後に重賞2勝。天皇賞馬・メジロアサマの半兄。

  • 1961年1月
    トキノキロク

    母父セントライト。4連勝で桜花賞を制覇。年明け3戦目での勝利で、年内6勝し、啓衆社賞最優秀5歳以上牝馬選出。通算49戦19勝。

  • 1964年8月
    ヤマトキヨウダイ

    本格化した4歳時、日本経済賞に続く3連勝でCBC賞を制覇。秋は、目黒記念→天皇賞秋→有馬記念と重賞3連勝を決め、啓衆社賞最優秀5歳以上牡馬に。

この当時は、ダート適性が未知数でも創設間もない中京開催に、積極的に出走してくる馬が多かったということかも知れません。ヤマトキヨウダイが有馬記念を制した翌年から、重賞に昇格します。

1965~69年:砂コース時代(重賞昇格)

「CBC賞」は、1965年に重賞に昇格し、「12月」開催のダート重賞(1800m)戦となりました。初回はハンデ戦として行われたのですが、12頭立て11番人気で50.5kgのシヨウゲツが優勝。58kgのコウタローが2着、現3歳牝馬のエイトクラウンは5着と波乱の結果でした。

その翌年から別定戦となりますが、第3回(1967年)には、11頭立て最低人気のミドリオーが58kgで優勝。結局、砂コースでの開催の最終年で1度だけ夏開催となった1969年に「アトラス」が優勝するまで1番人気は複勝圏内にも入れませんでした。

  • 1969年11月26日 – 大規模改築工事着工。芝馬場の新設やスタンドの改築等、創設以来の諸施設のほとんどを造り替える大工事に(1970年10月26日竣工)
  • 開場当時は砂コースしか存在しなかった。この砂コースはアメリカ合衆国の施設を参考にして建設された。砂コースは現在のダートコースとはやや異なるもので、当時の重賞競走の記録等でも「砂」と表記されている。1970年に砂コースが芝コースに改修され、1974年に調教用コースがダートコースに改修されている。

「CBC賞」という社杯を、なんとしても地元で開催したいという思いがあったからでしょうか、改修工事の始まる1969年は夏開催、1970年からは12月開催に戻っています。

1970~80年:芝1800→1400m時代

これまで砂の中距離重賞として開催されてきた「CBC賞」が、芝開催となった1970年は、コース形態の変更のみで、距離はこれまでと同じ1800mでした。現3歳馬のオウジャが、公営名古屋から中央に転戦したスピーデーワンダーら古馬を下して重賞初制覇を果たしています。

そして、その翌年(1971年)からは、距離が1400mと短縮されます。古馬の牡馬も出走できる重賞のうち、マイル未満の距離のレースは「スプリンターズS」に次ぐ2レース目で、この時から短距離重賞の最前線となりました。

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1972年にスガノホマレ、1976年にシルバーランドとシンザン産駒が強さを見せたり、1977~78年にかけて【リキタイコー】が初の連覇を果たし、1400mでの開催の最後となる1980年には、中京巧者としても知られたマリージョーイが生涯最後の勝利を収めています。

1981~89年:芝1200m時代(GIII・12月)

1981年には距離が1200mまで短縮されます。昭和50年代にグレード制が導入されると、古馬の短距離戦線としては、初春のスプリンターズSと初冬のCBC賞がグレード競走に格付けされるなど、当時としては屈指の高い格付けだったと言えます。

1982年にはハッピープログレスが、1983年にはニホンピロウイナーが重賞初制覇を果たすと、グレード制初回の1984年は、春に安田記念を制したGI馬のハッピープログレスが2度目の同レース制覇をもって引退しています。

その後は、ニシノイブ、リードトリプル、トーアファルコンと2桁人気の馬が勝利することもありますが、タイミング(年末)からしても、今で言う「阪神C」のような年の瀬の短距離王決定戦的なニュアンスだったと思われます。

1990~95年:GII格上げ、6月開催

1990年には、「施行時期を6月に変更」と「GIIに格上げ」という大きな変化が起こります。1400mでのGII競走は増えましたが、1200mでのGII以上というのは年末開催でGIに昇格した「スプリンターズS」とこのCBC賞のみだったので、短距離路線におけるそのシーズンの王者決定戦としての位置づけは、この時まで続いていました。

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1990年は牝馬パッシングショットがバンブーメモリーをレコード勝ちに下し、1991年は不良馬場開催で上がり馬の牝馬フェイムオブラスがヌエボトウショウ、ダイタクヘリオスなどを下して完勝。ただ、格付けとしてはGIIに昇格したもののレースの充実は図れず、(マイルも戦える馬は同時期の安田記念に挑戦するなどメンバーの層の薄さが課題……)1番人気は勝つことができませんでした。

1996~05年:GIIIに格下げ、11~12月開催

従来はローカルの中距離重賞だった「高松宮杯」を春の短距離GIにするという大変革があった1996年、「CBC賞」はその役目を実質的に終え、昭和時代のような晩秋のGIIIに逆戻りします。

仮に、初夏のGII時代に「安田記念」にも負けない充実ぶりを見せていたら、「NHKマイルC」の様に、社杯の「CBC賞」が短距離GIになっていた……なんて世界線が無くはなかったかも知れませんね?

平成中期になると、秋シーズンは、年末から初秋に移った「スプリンターズS」の後、「マイルCS」の距離が保たない生粋のスプリンターはこのレースを目標にしていました。歴代優勝馬にも一線級のスプリンターが名を連ねています。

GIIIですが、今でいう「阪神C」と「香港スプリント」を兼ねたようなイメージが近いかも知れません。

2006~11年:6月中旬に再移行

2006年になると、先祖返りを繰り返すかのごとく、6月開催となります。但しこの時はGIIIに据え置かれ、やはり安田記念との時期の重複というウィークポイントは解消されませんでした。それでも、

  • 2006年:シーイズトウショウ(3年ぶりのCBC賞制覇)
  • 2008年:スリープレスナイト(3連勝で初重賞→5連勝でGI制覇)
  • 2011年:ダッシャーゴーゴー(2度の降着を経て重賞3勝目)

GIでも好走するスプリンターがこの舞台を使ってきたことで、かつてと比べて多少、初夏のスプリント重賞としての地位を確立できたかなという風に感じました。

2012年~:7月に繰り下げ

そして、2012年からは開催時期が繰り下がり、7月第1週開催となりました。宝塚記念の翌週、まさに夏競馬シーズンの本格的な始まりを感じることとなった結果、安田記念とも間隔があき、どちらかというと夏競馬のスプリントシリーズの入り口という意味合いが強まった様に感じます。

2012・2013年とマジンプロスパーが連覇を果たすと、2010年代は斤量が比較的重く、人気サイドの馬が勝つことが増えました。

京都競馬場の改装工事などで「CBC賞」が中京競馬場以外での開催となった2020年代になると一転し、阪神開催の2020年は2桁人気の馬がワンツー(馬連:13.86万円)、小倉開催の2021年は8番人気のファストフォースが優勝するなど再び人気薄の活躍する時期が来ています。どちらも、5歳馬としては軽い斤量だったことからも、この流れが続くのかが注目されます。

2021年のファストフォースは、後続もバテバテとなる中、1分6秒0という日本レコードを叩き出し、CBC賞としてのレコードも1秒更新しました。

レースR勝ち馬
2016109.75レッドファルクス
2017106.25シャイニングレイ
2018106.25アレスバローズ
2019107.75レッドアンシェル
2020107.25ラブカンプー
2021110.50ファストフォース
2022

直近のレースレーティングをみると、GIIIの目安:105は全て超えているものの、GIIの目安:110を超えたのは2021年のみだった事を思うと、やはり「初夏のローカルGIII」という体感ともマッチします。

2021年は、逃げ切ったファストフォースを追った中に、2着のピクシーナイト、5着にヨカヨカがいたことを思うと、勝ちタイムだけでなくその層の厚さも光ったのかなと感じました。

初回(1965年)の50.5kgを除けば、2010年代まで53kg未満の馬が勝てなかったのは事実です(もちろん、別定時代を含んでいることはご承知おき下さい。)

そんな傾向が他場開催となった2020年から一転したことをどう見るか、今後、初の50kg未満の軽量馬が優勝していくことはあるのか、初夏のローカル短距離重賞として定着しつつある「CBC賞」の今後に注目していきましょう。

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