競馬歳時記【8月4週】「新潟2歳S」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「新潟2歳ステークス」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

新潟2歳ステークス(英:Niigata Nisai Stakes)とは、日本中央競馬会(JRA)新潟競馬場1600メートルで施行する中央競馬重賞競走GIII)である。

新潟2歳ステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和中期:1968年、オープン特別として創設

1968年 – 3歳(現2歳)馬による3歳重量のオープン競走として新潟3歳ステークスが新潟競馬場・芝1200mで施行された。

( 同上 )

「新潟2歳ステークス」の前身となる「新潟3歳ステークス」の更なる前身が創設されたのは1968年。1965年に新潟競馬場が戦後再開されて3年後のことでした。

第1回を勝ったのは、既にデビュー5戦にして3勝2着1回を挙げていた【スイテンイスズ】でした。個人的には、スイテンもイスズも1902年に生まれた日本競馬史上に残る名馬の名前なので、そこから馬名を付けたのかな? などと勝手な妄想を広げてしまったのですが(^^

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当初は、時期も秋開催だったり、開催距離が1400・1600mの年があったりと条件もコロコロ変わっていましたが、1970年代中盤には、秋の初め頃の1200m戦という条件がほぼ確定をしていました。

  • 1971年:トクザクラ
    デビュー戦6馬身差圧勝、2戦目の新潟3歳Sもレコード勝ち4馬身差。続く、京成杯3歳Sも7馬身差(2戦続けて後の重賞馬ノボルトウコウに勝利)。白菊Sは4着と敗れるも、5戦目の朝日杯3歳Sを紅一点で勝利し、現2歳時5戦4勝。
    花の47年組」世代の中でも、啓衆社賞最優秀3歳牝馬 → 優駿賞最優秀4歳牝馬 と2年連続で賞を受ける屈指の実績。
  • 1975年:スピリットスワプス
    アメリカ産馬なためクラシック競走には出走できずも、現3歳5月までで9戦8勝という抜群の成績。そこまでの唯一の敗戦は朝日杯3歳Sでボールドシンボリに半馬身差の2着となっただけ。TTG世代の隠れた期待馬。
  • 1977年:タケデン
    岡部騎手を鞍上にデビュー3戦目の新潟3歳Sを不良馬場でも完勝。京成杯3歳Sではのちの皐月賞馬に勝って無傷の4連勝。年末の朝日杯3歳Sでは、アメリカ産馬のギャラントダンサーに初めて敗れるも5戦4勝2着1回で現2歳時を終える。

1970年代には、ほぼ完璧な成績で朝日杯に挑み、連対を果たす馬が3頭も輩出しており、夏開催の現2歳戦としては非常にハイレベルな実績を残していました。

昭和後期:1981年に重賞昇格(→ GIIIに格付け)

こんな新潟3歳Sが重賞となったのは1981年。8月5週(~9月1週)の1200m戦として重賞に昇格、第1回とされました。この初回を制したのが【ビクトリアクラウン】でした。

ビクトリアクラウンは、日本競走馬繁殖牝馬。1981年の優駿賞最優秀3歳牝馬、1982年の優駿賞最優秀4歳牝馬である。怪我により牝馬クラシックに出走することができず「幻のクラシック」と称された。重賞の新潟3歳ステークス初代王者である。

ビクトリアクラウン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初回こそGI級ホースを輩出しましたが、その後は数奇な運命を辿る馬だったり、早熟で本競走が唯一の重賞勝ちという馬が続きます。ちなみに、特記事項として、第6回まで6回連続で牝馬がこのレースを制していたことが挙げられるでしょう。

平成前半:徐々に距離延長しマイルに、後のGI馬も敗戦

平成に入ると、1200mの短距離戦が続いていた本競走の距離が徐々に延長していきます。1996年までは基本的に1200mでしたが、1997~2001年は1400m、そして新潟競馬場の改装の翌2002年からは、マイル戦として開催されるようになりました。

これによって21世紀の9月第1週の2歳戦は、新潟2歳Sがマイル、小倉2歳Sが短距離という棲み分けが明確化することとなり、2歳戦も路線の変更・拡充が具体化していくこととなりました。

話は10年ほど遡って1991年、第11回の新潟3歳S(1200m)で11着と大敗したのが、後にステイヤーとして名を馳せることとなる【ライスシャワーです。流石に距離適性から考えても、現3歳秋ぐらいまでは活躍の場が少なかったことは(ウマ娘に限らず)その後の活躍距離を思えば想像に難くなさそうです。

そして、1200mで行われた最後の年(1996年)は、8番人気のパーソナリティワンが勝利。そしてこのレースで敗れた馬たちの中から、牝馬のGI馬が2頭輩出されます。

  • 2着:シンコウスプレンダ
    アメリカ産馬として2連勝デビューも、本競走2着。怪我を経て現4歳時に本格復帰し、京成杯AHで芝重賞を、そして現6歳時にはエルムSでダート重賞を制覇。
  • 3着:シーキングザパール
    デビュー戦を圧勝して迎えた本競走は3着。しかし翌年には「NHKマイルC」を重賞4連勝で制するなど外国産馬としての破壊的なほどを発揮。
  • 5着:メジロドーベル
    外国産馬が出走可能なレースだった当時に、父内国産馬として挑むも短距離戦ということもあり5着。しかし条件戦から3連勝で「阪神3歳牝馬S(GI)」を優勝。通算GI5勝で4年連続「JRA賞」受賞の快挙。

1994年に混合競走に指定されたこともあり、上記の年は極めてハイレベルなメンバーが揃っていましたが、これはあくまで例外的な格好であり、基本的にはレースレベルは標準的なものでした。

平成後半:2004・2013年はGI馬を複数輩出

「新潟2歳S」は、重賞昇格してから暫くそのトレンドが変わらない数少ないレースかも知れません。

パターン化してしまえば、数年に1回、重賞で活躍する馬を輩出し、十年に1回程度、GI級の馬を輩出する年があります。一方で大半はメンバーのほとんどが生涯重賞未勝利で、勝ち馬も本競走を含めてもオープンクラスで1~2勝という年も珍しくありません。

日本語版ウィキペディア「新潟2歳S」に載っているハイレベルな年としては以下の2例があります。

2004年は1着から6着まで入線した馬が後にオープン入りを果たし、重賞を勝利した。1着マイネルレコルト、2着ショウナンパントルはGIを勝利、3着スムースバリトンと4着フェリシアも後に重賞を勝利している。また5着のアイルラヴァゲインNHKマイルカップで3着に入った後に重賞を勝利している。6着だったインティライミも後に重賞を勝利し東京優駿2着がある。

2013年は優勝馬のハープスターが後に桜花賞を、2着のイスラボニータが後に皐月賞を勝っている。

( 同上 )

直近では、3歳クラシック路線の1冠目を牡牝ともに輩出している2013年が広く知られており、ひょっとすると「出世レース」のような形で盛り上げる媒体があるかも知れませんが、実態としてはそこまでのアベレージではなく、むしろ年によってのバラツキが大きいレースかも知れません。

結局、ハープスターはこのレースで衝撃的な勝利を収め、翌年には桜花賞、札幌記念から凱旋門賞6着という3歳牝馬としての大きな期待に応えていったのですから、昭和・平成を通じ言えることとして、

  • ここ四半世紀(1997~2021年)で、6番人気以下は1勝のみ
    (2010年・マイネイサベル:6番人気)
  • ここ10年(2012~2021年)の勝ち馬は、全て3番人気以内
    (4番人気以下の勝利…2011年・モンストール:4番人気)
  • ここ20年(2002~2021年)で牝馬は7勝
    (重賞昇格から6回連続で牝馬が勝利も、近年は平均的。小倉2歳Sよりは少ないが、札幌2歳Sよりかは多い程度)

こういった少し長めでの傾向は、ひょっとすると今後も継続するのかも知れません。

令和時代:2021年にはセリフォスを輩出

令和に入っても、2019年・ウーマンズハートと2020年・ショックアクションは、初勝利→新潟2歳Sを制して以降、白星を挙げられていません。むしろこういった年の方が多いのは過去の傾向からも見てとれます。

2021年には、新馬→新潟2歳Sと連勝し、更にデイリー杯2歳Sを勝って3連勝とした【セリフォス】を輩出しました。4連勝での2歳王者を目指した朝日杯FSでは1番人気に支持されるも後のダービー馬【ドウデュース】に半馬身差の2着と敗れ、連勝が3で止まりました。

しかし、2歳時に4戦3勝2着1回という成績で終える馬というのは、1970年代には複数誕生していましたが、それ以降はあまり出ていませんでした。そうした意味では、本競走にとっても【セリフォス】の輩出が今後、ターニングポイントになっていくのかも知れませんね。それに、明け3歳時は勝てなかったものの、マイルGIで共に4着という成績は立派です。

レースR勝ち馬年末GI成績
2016102.50ヴゼットジョリー阪神JF5着
2017103.25フロンティア朝日杯8着
2018105.50ケイデンスコール朝日杯13着
2019108.25ウーマンズハート阪神JF4着
2020102.50ショックアクション朝日杯13着
2021107.25セリフォス朝日杯2着
2022

2016年以降のレースレーティングをみると、「(3歳以上の)GIIIの目安:105ポンド」を基準として見た時に、年によってバラツキの大きさが目立ちます。特に令和に入ってからは、2019・2021年は高レートである一方で、2020年はGIIIの目安を大きく下回っています。

基本的にはマイル志向の馬が中心で、ここで好成績をあげた馬は年末の阪神GIに出走する傾向です。 出走パターンは固まっているものの、そこで結果を挙げられるかは、まさに馬、そして年によって違います。そのことはレーティング一つ取ってみても分かりますよね。

2022年は人気が割れていますが、過去の傾向がハマるのかどうか注目していきましょう。そして、伝説に残るようなレースが次いつ訪れるのかを期待して。

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