【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは「藤圭子」さんです。
藤 圭子(ふじ けいこ、1951年7月5日 – 2013年8月22日)は、日本の演歌歌手。本名:宇多田 純子(うただ じゅんこ)。旧姓:阿部(あべ)。最後の夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘はシンガーソングライターの宇多田ヒカル。元夫は歌手の前川清。
1960年代末から1970年代初頭にかけ、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(『怨歌』)を、ドスの効いたハスキーボイスと凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。
代表曲は『新宿の女』『女のブルース』『圭子の夢は夜ひらく』など。
他の歌手のヒット曲も幅広くカバーしており、多くの曲で本家を凌駕する歌唱力と表現力を発揮したと評される。『うそ』をカバーされた中条きよしは「こんなにうまく歌われたらたまんないよ」と作曲した平尾昌晃に伝えた。
藤圭子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rxヒット指標にみる「藤圭子」さんの代表曲
早速、Rxヒット指標で「藤圭子」さんの代表曲をみていきましょう。表の基準は100万pt以上です。
レコード売上に関してはEP盤のみですが、公称売上を採用しているために、実売売上として知られている値よりかなり大きくなっています。今回は特にミリオン相当の上位曲をみていくことにしましょう。
3位:140万pt(1969年)『新宿の女』
作詞は石坂まさをとみずの稔の共作、作曲が石坂まさをによる、藤圭子のデビューシングル。当時のフレーズは「演歌の星を背負った宿命の少女!!」であった。
東京・新宿の盛り場を舞台とした、ご当地ソングのひとつ。発売は1969年9月だったが、1970年1月になってオリコン・チャートのトップ10に初登場。なお、この年の藤圭子は2枚目のシングル「女のブルース」から5枚目「女は恋に生きてゆく」まで計4枚のシングルで、42週間連続のトップ10入りを記録している。
「新宿の女」が収録され、タイトルにもなったファースト・アルバム『新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて』は、オリコンアルバムチャートで20週連続で1位を獲得した。詳細はアルバムの項目を参照のこと。なお、オリコンがアルバムチャートを集計し、発表し始めたのは1970年からであった。
新宿の女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平成年間では信じられないようなロングヒットを記録した昭和40年代中盤の「藤圭子」さんの楽曲の中でも、デビュー曲ながらアルバムが年間1位を獲得。アルバムに収録されたカバー曲を含め、その歌唱力が高く評価されたことで一気に“演歌の星”となっていきました。
2位:180万pt(1970年)『女のブルース』
自身初のオリコンチャート1位を獲得し、累計売り上げは110万枚(公称)を記録。
「女のブルース」・「圭子の夢は夜ひらく」で18週間連続1位。またこの「女のブルース」から5枚目「女は恋に生きてゆく」まで計4枚のシングルで、42週間連続のトップ10入りを記録している。
女のブルース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デビュー曲『新宿の女』を上回る勢いでヒットしたのが2ndEP/LPの『女のブルース』でした。こちらはシングルでも週間1位を獲得し、年間チャートの4位に到達しています。
1位:180万pt(1970年)『圭子の夢は夜ひらく』
前作の「女のブルース」の後を受けて10週間連続オリコン1位にランクされた。また、1位「圭子の夢は夜ひらく」・2位「女のブルース」と2週間にわたり1位・2位を独占した。レコード売上は累計77万枚(オリコン調べ)。公称では累計120万枚とされる。
藤は本楽曲で第1回日本歌謡大賞を受賞し、年末の「第21回NHK紅白歌合戦」に紅白初出場を果たした。「夢は夜ひらく」は八代亜紀・五木ひろし・美空ひばり・西田佐知子など多くの歌手によりカバーされている。
圭子の夢は夜ひらく
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曲名に「圭子」というお名前が含まれていることもあって、現代において振り返られる際にほぼ間違いなくBGMとしてオンエアされるのがこの『圭子の夢は夜ひらく』です。
現代における知名度という点では右に出る曲はなく、得点では他の曲と極端な差はないですが、まさに「代表曲」と呼ぶに相応しい人気ぶりかと思います。
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