【はじめに】
この記事では、2011年3月12日(東北地方太平洋沖地震の翌日)に起きた「長野県北部地震」(最大震度6強、M6.7)を振り返っていきます。
日本語版ウィキペディアで振り返る
まずは、概略を掴むという意味で、日本語版ウィキペディアから冒頭部分を引用していきましょう。
2011年(平成23年)の長野県北部地震(ながのけんほくぶじしん)は、同年3月12日3時59分ごろ、長野県北部と新潟県中越地方に跨る地域、長野県下水内郡栄村と新潟県中魚沼郡津南町との県境付近で発生した地震。逆断層型の内陸地殻内地震で、マグニチュード (M) 6.7 (Mw6.4)、最大震度6強。本震に続いてM5以上の2回の余震が2時間内に相次いで発生した。
日本語版ウィキペディア > 長野県北部地震 (2011年)
新潟・長野県境地震、信越地震ともいう。最も大きな被害の出た長野県下水内郡栄村ではこの地震を栄村地震、その地震被害を栄村大震災と呼ぶ場合がある。
当時を覚えていらっしゃる方は、その余震の活発さでも記憶していることと思います。また、地震域に関しては、長野県北部のみならず新潟県中越地方にも分布していました。確かに「長野県北部地震」という名前でウィキペディアは立項されていますが、他の地震と区別する意味でも私は(最大震度を観測した)栄村の名前をフィーチャーして記事を書いていこうと思います。
2004年(平成16年)の新潟県中越地震と1847年(弘化4年)の善光寺地震の震源域の中間付近に存在していた新潟-神戸歪集中帯の空白域を埋めた地震で、東京大学地震研究所や産業技術総合研究所の研究者らにより発生が予見されていた。
( 同上 )
この他、本地震および一連の余震の特徴として、潮汐に関係するとみられる地震が全体の約50%と通常より高い相関がみられている。
などという記載もありますが、今回は深追いするのをやめておきます。今後の地震に活用される発見が見いだされることを微かに期待しておきましょう。
震源の位置について
ではここから各論を見ていきます。まず地震の発生した場所についてです。
長野県と新潟県のまさに県境付近にまたがって地震が発生していることが分かります。県境の線上にある最も大きな円が本震(M6.7)の震源地です。気象庁の現在の解析では「長野県北部」と推定されていますが、最初は新潟県中越地方と推定されている時もありました。
夜が明けるまでに2度、中規模地震(M5以上)が起き、最大震度6弱を観測しています。いずれも緊急地震速報が発表され、広範囲に影響を及ぼしました。
震度分布について
大きな震度の地点はウィキペディアからの表でご確認いただければと思いますが、実は揺れの大きい/小さいがかなり特徴的でして、震度4~3の分布をみると東南東-西北西方向に良く伝わっていることが見て取れます。具体的にいえば、震源の南西側より北関東の方が揺れが大きくなっている感じです。
震度 | 県 | 観測点 |
---|---|---|
6強 | 長野県 | 栄村北信 |
6弱 | 新潟県 | 十日町市上山・十日町市松之山・十日町市松代・津南町下船渡 |
5強 | 群馬県 | 中之条町小雨 |
新潟県 | 上越市三和区井ノ口・十日町市水口沢 |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(参考)「旧震度」……最大でも上越の震度4
そして、私の独自指標である「旧震度」も参考までに掲載させていただきましょう。
《 旧震度 》
平成以降に震度観測点が急増したことで、過去の地震との震度比較が難しくなってしまった。それを解消する手立てとして、“敢えて”体感の時代の震度観測網(粗い密度)に落とすことで単純比較をしやすくしようという試みです。
旧震度 | 気象官署地点 |
---|---|
中震: 震度4 | 上越 |
弱震: 震度3 | 酒田、小名浜 宇都宮、熊谷、千葉 長野、諏訪、軽井沢 新潟、相川、輪島 |
軽震: 震度2 | 福島、白河、会津若松 水戸、柿岡、前橋、日光 秩父、銚子、東京、横浜 松本、飯田、甲府、三島 富山、伏木、金沢 |
微震: 震度1 | 仙台、秋田、新庄、山形 勝浦、館山、河口湖 福井、高山、岐阜 静岡、御前崎、浜松 伊良湖、名古屋 四日市、彦根 |
現行震度階級で「震度6強」を観測した「長野県北部地震」ですが、長野県と新潟県の県境付近で発生したこともあり、ちょうど気象官署を始めとする昭和の震度観測点の空白地帯に当たります。
震度5(強震)以上を観測した地点はなく、唯一「震度4(中震)」を「上越」で観測したのみです。要するに、昭和の時代であれば「最大震度4(中震)」の地震と扱われていただけだった恐れがある、そういった地震なのです。
【まとめ】「震度7相当」と推定されることもある震災
また、気象庁の推計震度分布図によると、長野県と新潟県の県境において、比較的広い範囲で震度7相当の揺れがあったとみられている。
日本語版ウィキペディア > 長野県北部地震(2011年)
推計震度分布図によれば、上の図の「✕」の下に広がるピンク色の領域は「震度7程度」と推定されています(なお、気象庁からの留意事項は下記のとおり)。
<推計震度分布図利用の留意事項>
気象庁 > 推計震度分布図 より
地震の際に観測される震度は、ごく近い場所でも地盤の違いなどにより1階級程度異なることがあります。また、このほか震度を推計する際にも誤差が含まれますので、推計された震度と実際の震度が1階級程度ずれることがあります。
このため、個々のメッシュの位置や震度の値ではなく、大きな震度の面的な広がり具合とその形状に着目してご利用下さい。
ですが、そもそもこの「推計震度分布図」で、観測震度震度が7でない地震で「震度7が推定」されること自体が珍しいですし、加えて「震度7」のピンク色がこんなに広いのは珍しいのです。
ちなみにもう一つ補強する情報としてお伝えしたいのは、建物の全壊率です。
「長野県北部地震」の被害として特筆すべきは「直接死」の方がいらっしゃらなかった点です。(災害関連死の方が3名いらっしゃる点も補記いたします。)その一方で、住宅全壊が63棟、非居住構築物に至っては全半壊が653棟に上りました。決して人口の多くない栄村から十日町市、津南町にかけてこれだけの被害が出た点で、『震害による家屋被害』が特に注目されるべき地震だったと言えるでしょう。
事実、2011年内の実地調査では「全壊率が3割を上回った」地域があったことが分かっています。この「全壊率3割」というのは、かつて「震度7」を適用する基準にもなっていたものです。ひょっとすると、かつての基準が継続されていたら、この「長野県北部地震」は『震度7が適用』されていた可能性すらゼロではないのです。
結果的に人的被害は少なかったですし、東日本大震災の被害が予断を許さない状況だったために、災害報道がほとんどなされなかったことは致し方ない面もあります。しかし、単独で起きていれば、大きな話題になっていてもおかしくなかった「震災」であったことを、(今日)3月12日に今一度思い返していただければ幸いです。
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