ウィキペディアで学ぶ「72時間の壁」(?)【+独自研究にみる“科学的な根拠”の薄さ】

【はじめに】
この記事では、日本語版ウィキペディアにある「72時間の壁」について『中立的な観点に基づく疑問』や『独自研究』の注意書きを踏まえつつ、ややウィキペディアよりに学んでいきたいと思います。

72時間の壁(ななじゅうにじかんのかべ)は、災害における人命救助に関する用語である。「黄金の72時間」 (Golden 72 Hours) 「被災から72時間」とも呼ばれる。

72時間の壁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )

現在の「概要」

日本語版ウィキペディアでは、ぼんやりしたこの言葉のポイント・論点がシンプルに纏まっています。

「72時間の壁」という用語は2004年神戸新聞が使用している例が見られ、その後の災害救助の記事でも使用例が見られる。

日本で用いられる「72時間の壁」という用語は、朝日新聞によれば、

  1. 一般に、人間が飲まず食わずで生き延びられる限界が72時間である。
  2. 1995年平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)において、救出者中の生存者の割合が、発生から3日を境に急減した。

という2点を根拠とした表現ということになっている。

受傷からの時間経過と死亡率との間に科学的に明確な関係は認められないとの考察が北米における研究ではなされており、時間経過で区切った「外傷の黄金時間」そのものが疑問視されている。

72時間の壁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  • 用例として遡れるのは21世紀初頭ぐらいまでで、広く使われるようになったのは2010年代あたりからで、要するに古い言葉でもなければ、日本で生まれたローカルな言葉である。(後述)
  • そもそも、いつ、誰が、どういった経緯で考案した言葉かの由緒がはっきりとしておらず、根拠と見做されるもののうち『阪神・淡路大震災での圧死者の推移』が単純化されたきらいが窺える。
  • 『科学的な根拠』どころか、海外では『科学的な根拠』が薄いことへの研究もなされている。

こういったポイントがウィキペディアではつらつらと書かれていましたが、2023年2月9日に大幅に削除されましたので、ここからは2023年2月6日版を画像引用する形で軽く触れておきたいと思います。

トルコ・シリア地震 以前にあった独自研究を振り返る

もともとウィキペディアの「72時間の壁」は、2017年1月に30,000バイトの分量の記事が立てられ、独自研究として多くの人の目に晒される中で記載がマイルドになっていきました。

概要

ここで敢えて2023年2月6日(トルコ・シリア地震でこの言葉が再注目される前)の版をみると、上に引用した『概要』の下に、

72時間の壁 【2023年2月6日 (月) 21:09 版】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

などと、北米の研究で疑問視された『理由』の部分が端的に纏められています。一方で、『用語、および、マスメディアの説明は、科学的根拠が軽薄である』という一文は出典もなく悪意のあるような表現にも取られてしまう節があったため、削除されても致し方ないところかと思います。

日本での用例

日本での用例の冒頭部分には、『表現の使用例はかつて無数に見られ、』のようなやや盛った表現が書かれていました。おそらく、出典のある報道引用の部分は大きく間違っていないのでしょうが、ウィキペディアの執筆方針と相反するため削除された経緯もあろうかと思います。

( 同上 )

長々と書いていますが、要するに『圧死の比率が高いという特徴を持つ阪神・淡路大震災の統計に基づいたとされる用語』を、条件の違う他の事例(同じ地震でも溺死者の多い東日本大震災や、まして地震に起因する被害ですらない各種災害)に当てはめるのは、国の文書も含めて『おかしい』と言っているのです。そもそもの根拠が明らかでない以上は、なんとも軍配を上げづらい部分もありますが、確かに一理あるようにも思えます。

「72時間の壁」と科学的根拠との関係

ここらへんはSNSでも指摘されていますが、『72時間の壁』という言葉全般に大きな疑問符が付いています。すなわち、「72時間」である妥当性と、「壁」という表現が適切なのかという2点です。

( 同上 )

科学的というより経験則的な欧米の「3の法則」によっている部分があったのだとしたら、少なくとも『科学的根拠』ではなく『経験則的に~~~とされる』といった形で報じられて然るべきというのは、報道の裏取りの姿勢として必要な視点なのかも知れません。

また、「72時間」についての表に関しても、この表だけで『72時間に壁がある』とは言い切れない様に感じます。「阪神・淡路大震災」や「トルコ・シリア地震」でも痛感させられた様に、人命救助の現場では『生存の可能性のある方』を優先せざるを得ない苛烈な環境となりえます。そもそも分母、分子ともに上の表だけでは何とも言えないはずなのです。例えば、

  • 発災当日に救助された方が、仮に72時間救助されなかった場合の生存率への影響は比較することができないし、そもそも実験などを行うべき事象ではない
  • 仮に統計を取るならば、発災4日目以降に亡くなられた形で救出された方々がどのタイミングまで生存していたかを見極めなければ、「72時間に壁があるかどうか」は意味を持たない
  • そもそも元データは「1日刻み」であるし、暦日基準なので「72時間」というポイントが明確に示されているわけでもない。そして、こういった研究対象とすることを前提としたものでもないため、全幅の信頼を寄せるには心もとない

のではないかという疑問が素人の私でも浮かびますし、ましてこの言葉が独り歩きしている中で、メディアが主導して『72時間の壁』を今一度再検証する場を設けても良いのではないかと感じました。

せめて、『俗に』とか『慣習的に』とか『根拠などは明確でないものの』などの注意書きをしっかりと付けなければ、何か本当に「72時間」に明瞭な壁があって、それが科学的にも立証されているかのような誤解を招きかねない(既に招きつつある)というのは、注目に値するとは感じました。

  • そもそも生存の可能性のある方の救助を最優先して、そういった方々の見込みが少なくなって初めて、ご遺体を救助するという流れになることも想定されることを思えば、当然の結果として『発災から時間が経てば経つほど、(生存確率が高いと思しき方々から救助が試みられているという前提に立てば、)生存率が下がる』という結論に至るのだろうと思います。
  • 言い方を逆にすれば、「72時間を経ってから救助が試みられる方」と「それ以前に救助が試みられる方」で生存期待率のようなものは、残念ながら同じではないという観点も欠落しているように感じられました。

日本語以外での使用例

そして、世界的にも「防災先進国」かのように見做される日本国で用いられる『72時間の壁』という語は、『TSUNAMI』などと似た形で、東アジア諸国で用いられる事例があるとの事実も見過ごせません。

( 同上 )

以上を総合的に考えると、海外でもメディアでも盛んに見かけるから『72時間の壁』という言葉の背景にはきっと科学的な根拠があるのだろう……と考えていると、案外『漠然』としていて、どこに根拠があるのかも半分後付けだったという可能性すらあるのです。

まとめ

もちろん、ウィキペディアに書かれていた“独自研究”が100%正しい訳ではないでしょうが、全てが間違っている訳でもないでしょう。それなりに読むべきところはあるようにも感じました。

独自研究の根拠が薄いこともありますが、どちらかというと『ウィキペディアは何でないか』といったウィキペディア側の方針にそぐわない面があることも削除の一因であったように感じています。

そして(2023年のトルコ・シリア地震)今や、ウィキペディアに書かれていた長文の独自研究は、跡形もなく削除されています。ウィキペディアという場としては正しい判断なのだろうとは思う反面、ここに書かれている事実が“事実ではない”かのように消えてしまい、多くの人の目に触れる機会が減ってしまったことが「プラス」なのか「マイナス」なのかは判断が分かれるところでしょう。

ぜひ、今度メディアが頻りに『72時間』や『72時間の壁』といった文言を使っているのを目撃した際に(他の言葉も含めてですが、)しっかりとファクトチェックを行うように努め、事実はどこにあるのかを把握するよう(私も含め)注意して参りましょう。

最後に。『72時間の壁』が与える負の側面の一つに、『そんな言葉がなければ、救助活動が続けられ、命が助かっていたかもしれないのに』という悲しい出来事が想定されます。時間経過とともに生存率が低下していくことは間違いないでしょうが、72時間を過ぎても生存率はゼロとならず、実際に救助された方も過去何名もおられます。
我々の側が、ありもしない『壁』を『72時間』に打ち立ててしまう側になってしまわないよう、今後の研究の動向やウィキペディアの記載状況などにも気を配りつつ、まずは救助を待っている方々へ祈りを重ねてまいりたいと考えます。最後までお読み頂きありがとうございました。

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