ウィキペディア小旅行「ラオス」

【はじめに】
皆さん「ウィキペディア小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回の目的地はアジアの「ラオス人民民主共和国」です。素敵な旅をお過ごし下さい。

ラオス人民民主共和国英語: Lao People’s Democratic Republic)、通称ラオスは、東南アジアインドシナ半島に位置する社会主義共和制国家。首都はヴィエンチャン。24万平方キロメートルに約50の民族からなる約710万人(2019年時点)の国民が暮らす。東南アジア唯一の内陸国で、北は中華人民共和国(中国)、東はベトナム、南はカンボジア、南西はタイ王国、北西でミャンマー国境を接する。

ラオス人民革命党による一党独裁体制が敷かれている。

ラオス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

概要

1353年ラオ人最初の統一国家であるランサン王国が成立。18世紀初めに3王国に分裂。1770年代末に3王国はタイに支配されたが、1893年フランスがタイにラオスへの宗主権を放棄させて植民地化し、1899年フランス領インドシナ(仏印)に編入された。この時に現在の領域がほぼ定まった。

第二次世界大戦中の日本軍による仏印進駐第一次インドシナ戦争などを経てインドシナ半島におけるフランス植民地体制が崩壊過程に入る中で1949年フランス連合内でラオス王国として独立、ついで1953年に完全独立した。その後パテト・ラオなどの左派と王政を支持する右派、中立派に分かれてラオス内戦が発生したが、ベトナム戦争後に右派が没落し、1975年に王政は廃され、社会主義体制のラオス人民民主共和国が成立した。

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その政治体制はラオス人民革命党(パテト・ラオの政党)による一党独裁体制である。

地理としてはASEAN加盟10か国中唯一の内陸国で、面積は日本の約63%に相当し、国土の約70%は高原山岳地帯である。その間をメコン川とその支流が流れている。

地理

ラオスは、海と接しない内陸国である。国土の多くが山岳で占められており、隣国に比べて比較的森林資源が多く残っていた地域であるが、急激な森林破壊が問題となっている。国土面積の61%は二次林(2006年)。そして、この森林地帯でも多くの人々が生活している。原生林は、国土面積の6%である。

メコン川
メコン川周辺には小さく平地が広がっている。メコン川はラオスを貫いて流れており、ミャンマーと、またタイとの国境をなしている。タイとの国境線の3分の2はメコン川である。また、国境として隔てるだけでなく、人や物が行き来する河川舟運にも利用されている。
1866年にフランスは、雲南サイゴンを結ぶ通商路としてメコン川を利用しようと探検隊を派遣した。探検隊は中国まで到達はしたが、カンボジアとラオスとの国境にあるコーンパペンの滝が越えがたかったので、通商路としての可能性は否定された。それでも今日(2000年代)、ヴィエンチャンと雲南・景洪(中国とラオスの国境にある)との間で物産を満載した船が行き来し、大切な交通路となっている。

メコン川は栄養塩類が少ないが、雨季に洪水となる後背地氾濫原の底土からの栄養塩類を受けられる。そのため藻類プランクトンなどが多く発生し、草食性・プランクトン食性の魚類藻場になっている。このようなことから川には魚が多く、周囲の人たちの漁場になっている。

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経済

主要産業は、人口の78%が従事し、国内総生産(GDP)の41%を占める農業である。

観光のほか、国土の約半分を占める森林から得られる木材、ナムグム・ダムを始めとする水力発電の隣国タイへの売電、対外援助などが主な外貨源となっている。この中でも特に水力発電によってラオスは東南アジアのバッテリーと呼ばれている。

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農業
少ない人口が満遍なく分散して暮らすラオスでは、大部分の人は稲作を基盤とする農業を営んでいる。まず、自給米を確保して余剰分を販売し、現金収入とする。ラオス人の主食もち米である。自給農業を基盤とした分散型社会である。
労働人口の約8割が農業に従事しており、GDPは低いが食料は豊富で、飢餓に陥ったり物乞いが増えたりするといった状況にはない。「貧しい国の豊かさ」と言われるゆえんである。

観光業
1986年のソ連のペレストロイカの影響を受け、ラオスでもチンタナカーン・マイ(新思考)と呼ばれる市場経済導入が図られた。これは、中国の改革開放、ベトナムのドイモイ(刷新)と同様の、社会主義体制の中に資本主義のシステムを取り入れようという試みである。共産主義政権樹立以降ほぼ鎖国状態にあったラオスであったが、チンタナカーン・マイ以降自由化と開放が進み、上記の経済の項目にある通り、政府がラオス観光年を設定しプロモーションを行って観光産業の育成に努力した結果、観光産業が急速に発達した。ルアン・パバンの町ワット・プーなどの2つの世界文化遺産や、ジャール平原、多くの仏教寺院などが年間300万人を超える外国観光客を呼び、外貨獲得の大きな産業となっている。

世界遺産

ラオス国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が3件存在する。

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