ウィキペディア小旅行「タンザニア連合共和国」(United Republic of Tanzania)

【はじめに】
皆さん「Wikipediaで小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回の目的地は、アフリカのタンザニア連合共和国です。素敵な旅をお過ごし下さい。

タンザニア連合共和国、通称タンザニアは、東アフリカに位置する共和制国家。イギリス連邦加盟国。ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ザンビア、マラウイ、モザンビークと国境を接し、タンガニーカ湖対岸にはコンゴ民主共和国があり、またインド洋に面する。

1996年に立法府の議事堂が法律上の新首都ドドマに移転されたが、その他の政府官庁は旧首都ダルエスサラームにある。

タンザニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(以下、表示を省略)

面積:945,087km^2(30位)
人口:5973万4000人(25位)

概要

タンザニアは東アフリカ大陸部のタンガニーカとインド洋島嶼部のザンジバルから構成され、ザンジバルは中央政府から強い自治権を確保したザンジバル革命政府によって統治されている。

また、アフリカでも有数の大自然に恵まれ、文化的にもスワヒリ語を国語とし、アフリカ在来の言語が大きな役割を果たしている数少ない国家である。

国名

国名はタンザニアを構成するために併合したタンガニーカ(Tanganyika)とザンジバル(Zanzibar)の名前に、かつてアフリカ南部で栄えたアザニア文化(Azania)の名前を複合して1964年に命名された。

歴史(目次のみ)

3.1 有史以前
3.2 バンツー系の民族移動
3.3 イスラームの到来
3.4 ポルトガル領時代
3.5 オマーン帝国時代
3.6 イギリス・ドイツ植民地時代
3.7 イギリス・ベルギー植民地時代
3.8 独立と連合
3.9 タンザニア革命党
3.10 経済の自由化

政治

タンザニアは共和制、大統領制を国家体制とする立憲国家である。現行憲法であるタンザニア憲法(英語版)は1977年4月25日に制定(1984年10月に大幅改正)されたもの。

タンザニア政治の特徴として、他のアフリカ諸国に多く見られる、特定部族による政権の独占や民族による投票行動が見られないことがあげられる。これは、国内に特別大きな民族グループが存在しないこと、スワヒリ語による初等教育と、教育プログラムに盛り込まれた汎タンザニア史などを通じてタンザニア人としてのアイデンティティ創出に成功したこと、初代大統領ニエレレがウジャマー社会主義建設の過程で旧来の地方組織を解体したこと、複数政党制導入時に民族を基盤とした政党結成が禁じられたことなどが理由となっている。

ザンジバル

連合共和国政府とは別に、ザンジバルには独自の自治政府であるザンジバル革命政府および議会が存在し、ザンジバルの内政を担っている。統治権が及ぶのはザンジバル島の3州、およびペンバ島の2州である。

地理

タンザニアの面積94万5,087km²は世界31位の広さでエジプトに続き、ナイジェリアとほぼ等しい。

北東部にアフリカ最高峰キリマンジャロ山(5,895メートル)があり、
北部にアフリカ最大の面積を誇るビクトリア湖
西部にアフリカでもっとも深いタンガニーカ湖がある。
この南のニアサ湖を含めアフリカ三大湖が存在する。これらはアフリカ大地溝帯が形成したものである。中部には高原が広がる。東部海岸は蒸し暑い気候で、ザンジバル島(ウングジャ島)がすぐ沖合にある。

経済

1980年代中盤まで、タンザニアはジュリウス・ニエレレ大統領の下ウジャマー社会主義を標榜し、ウジャマー村と呼ばれる集団農場を中心とした社会主義経済を目指していた。しかし旧来の社会制度をまったく無視したこの方式は失敗に終わり、生活必需品の供給すら滞る状態となった。

1985年にニエレレの後を継いだアリ・ハッサン・ムウィニ大統領は、IMFの勧告を受け入れ、貿易制限の緩和などを行い自由経済へと舵を切った。

以後タンザニア経済は緩やかに回復へと向かい、1995年に就任したベンジャミン・ムカパ大統領の行った国営企業の民営化など政府セクターの民間への移動と、南アフリカ共和国などからの投資の拡大により、1995年から2005年までの経済成長率は平均5%を記録した。

農業

タンザニア経済は農業に立脚しており、GDPの半分以上、輸出の80%、雇用の85%は農業によってもたらされている。キリマンジャロは上質のコーヒーとして世界中で愛好される主要輸出品である。ほかに茶が栽培される。
ビクトリア湖周辺では、漁業と綿花栽培を中心とした農業が盛んに行われている。ビクトリア湖で捕獲されるナイルパーチ(スズキに食感が似た淡水魚)は加工され、世界各地に輸出されている。他に、カシューナッツなども主要輸出品となっている。

一方、ザンジバル経済の根幹を成しているのがクローブの栽培である。19世紀半ばにオマーンのサイイド・サイードによって始められたクローブ栽培は、2015年現在ではザンジバルの主要な輸出品となっている。ザンジバルのクローブの90%はペンバ島で栽培されている。

鉱工業

鉱業では、宝石のタンザナイトを産出することで有名である。金はアフリカでは南ア、ガーナに次ぐ産出がある。また、ブルンジと同様、超塩基性岩にともなうNi-PGE鉱床が存在し、ニッケル・コバルト・銅が採掘されている。また、南部海域のガス田から天然ガスが生産されダルエスサラームと地方での発電に使われている。しかしタンザニアの電力の多くは水力発電によってまかなわれているため、旱魃の影響を受けやすく、水不足が電力不足に直結する。

観光

タンザニアの観光業は成長を続けている。タンザニアにおける観光業はGDPの17.5%を占め、外貨収入の25%を占めており、金の輸出に次いで第2位の外貨獲得産業となっている。2004年にタンザニアに入国した観光客数は58万3,000人であり、1995年の2倍に達した。さらに2016年には観光客数は128万4,279人となっており、増加の一途を辿っている。

観光客の目的はンゴロンゴロ保全地域やセレンゲティ国立公園などでのサファリ、キリマンジャロへの登山、ザンジバル島のストーン・タウンなど歴史遺産やザンジバルでのビーチリゾートなど多岐に渡っている。

国民

言語

言語は、スワヒリ語が国語であり、スワヒリ語と英語が公用語である。

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