【はじめに】
皆さん「Wikipediaで小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回の目的地は南アメリカの「コロンビア共和国」です。素敵な旅をお過ごし下さい。
コロンビア共和国(コロンビアきょうわこく、スペイン語: República de Colombia)、通称コロンビアは、南アメリカ北西部に位置する共和制国家である。
東にベネズエラ、南東にブラジル、南にペルー、南西にエクアドル、北西にパナマと国境を接しており、北はカリブ海、西は太平洋に面している。南アメリカ大陸で唯一、太平洋と大西洋の2つの大洋に面した国である。首都はボゴタ。
コロンビア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )
概要
コロンビアは非常に多様な環境と文化、民族(88の部族と200の言語集団)を持つ国であり、ヨーロッパからの入植者、アフリカ人の奴隷の末裔、ヨーロッパ人が渡来する前からの先住民族が混在している。ヨーロッパ、中東、アジアからの移民が19世紀から20世紀の間に多く移住した。
コロンビアでは1960年代から政府軍、左翼ゲリラ、極右民兵の三つ巴の内戦が50年以上も続いている。1980年代から1990年代、コロンビアは麻薬戦争による暴力が横行し、世界で最も危険な国の1つとなった。しかし、21世紀以降、コロンビアは劇的な治安の回復に成功し、アメリカ大陸における主要国と位置づけられている。
コロンビアの人口は、ブラジル、メキシコに続いて、ラテンアメリカで第3位である。世界的なコーヒー豆の産地として知られるほか、エメラルドの産出量は世界一であり、温暖な気候と豊富な日射量を活かしたバラ、カーネーションなどの栽培と切り花の輸出にも力を入れている。ランは国花である。
コロンビアはNATO唯一のラテン系パートナーであり、38のOECD加盟国の1つである。2020年、フォーブス誌が退職後の移住先として推薦する国々のリストに、コロンビアもランク入りした。
国名
日本語の表記は、コロンビア共和国。通称コロンビア。漢字による当て字は、哥倫比亜、もしくは古倫比亜である。
国名は直接的にはアメリカ大陸の発見者クリストーバル・コロン(コロンブス)に由来し、アメリカが「アメリゴの土地」を意味するように、コロンビアは「コロンの土地」を意味する。
植民地時代はスペインのグラナダに由来したヌエバ・グラナダ(新グラナダ)と呼ばれ、独立後も1858年までこの名称を使用していた。コロンビアの名称を最初に使用したのはベネズエラの独立指導者フランシスコ・デ・ミランダであり、ミランダが新大陸を示す名称としてコロンビアを用いた。
1819年に解放者シモン・ボリバルは南米統一国家の国名にこの名称を用い、ベネズエラとヌエバ・グラナダの連合国家の名称としてグラン・コロンビアが採用された。1831年にヌエバ・グラナダ共和国として独立した後、1858年にはグラナダ連合、1863年にはコロンビア合衆国と国名を変え、1886年に現行のコロンビア共和国の名称が最終的に定まった。
歴史
- 先コロンブス期
- スペイン植民地時代
- 独立戦争とグラン・コロンビアの崩壊
- ヌエバ・グラナダの独立からコロンビア共和国の成立まで
- 党派対立の時代
- 「暴力」の時代
- 「国民戦線」体制
- コロンビア内戦
- 政治腐敗
- 左翼ゲリラ(FARC)との和平交渉
政治
2022年6月19日、大統領選決選投票で、中道左派で元ボゴタ市長のグスタボ・ペトロが実業家で元ブカラマンガ市長のロドルフォ・エルナンデスを破り当選した。伝統的に右派が政権を担ってきたコロンビアで史上初の左派政権が誕生することになる。
南米随一の親米国家で親米路線を堅持してきたコロンビアの外交路線にも影響を与える可能性があり、「米国の裏庭」と揶揄される南米における米国の影響力低下が指摘されている。
国際関係
1908年(明治41年)5月25日、「日本コロンビア修好通商航海条約」調印により、両国間の国交が開かれた。コロンビアに初めて足を踏み入れた日本人は庭師の川口友広とされている。
1908年、商用目的で日本を訪れたコロンビア人アントニオ・イスキエルド(1862‐1922)が川口ら3名の日本人をコロンビアに連れて帰り、川口はボゴタにあるイスキエルド所有の森林を整備し、1910年に開催された独立100周年記念の博覧会場として利用された。
川口は日本で皇族の庭仕事をしていただけでなく、大隈重信の下でも働いていた経験があり、大隈の推挙によりイスキエルドとともにコロンビアに渡ったとされる。渡航後の川口の消息は不明だが、ボゴタに墓碑があるとの未確認情報もある。
川口の次にコロンビアに入国した日本人は1915年(大正4年)、広島県竹原市出身の水野小次郎である。水野はカリブ海沿岸のバランキージャに移住し、同郷の者を呼び寄せ、これが日系コロンビア人の源流となった。1921年(大正10年)に商社員の星野良治がボゴタに移住。星野は2年後の関東大震災で東京の本社が壊滅したため永住を決意。ローラ・トレドという現地女性と結婚。子供のホルヘ・ホシノは造園業者として成功し、昭和天皇崩御の際は当時のバルコ大統領の代行で来日した。
1923年には島清、中村明ら5名が「安洋丸」でブエナベンツーラ港に入港。1926年、海外興行会社社員の竹島雄三らにより移住候補地の調査開始。1929年(昭和4年)、主に福岡県などから入植が始まり、農業で成功した。ブラジルやペルーに比べて少ないが、現在もカリを中心に1800人ほどの日系コロンビア人が存在し、南米の日系移民では最も成功したとされる。
1941年の太平洋戦争で一時国交を断交したが、戦後の1952年に再開した。また戦後の食糧難の時代にコロンビアは日本に米を送った。貿易関係ではコロンビア産のコーヒー、花卉が多く日本に輸出、自動車、電子機器がコロンビアに輸入されている。
現在は官民の各部門で両国の文化・人材交流事業を積極的に展開している。
地方行政区分 首都:ボゴタ
ボゴタ(スペイン語:Bogotá)は、コロンビアの首都。人口約770万人の都市で、2020年時点での都市圏人口は1,000万人を超えるメガシティである。
アンデス山脈の盆地、標高2640メートルに位置しており、南アメリカ大陸でもラパスとキトに次いで3番目に標高の高い首都である。ボゴタには図書館や大学が多いことから、文化の中心という意味で「南米のアテネ」というニックネームがついている。
ボゴタ
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文化
コロンビアの文化はラテンアメリカの交差点に位置しておりインディヘナ、ヨーロッパ系、アフリカ系、中東系をはじめとするアジア系の伝統が複雑に織り交ざって構成された多文化的な社会によって特徴づけられている。
文学
ラテンアメリカ文学ブームが始まると、魔術的リアリズムの担い手であり『百年の孤独』『族長の秋』などで知られるラテンアメリカの声を代表する大作家ガブリエル・ガルシア=マルケスがノーベル文学賞を受賞し大活躍した。
音楽
フォルクローレにおいては、20世紀初頭にバンブーコが発達した。カリブ海沿岸地方の伝統音楽クンビアは、ガイタ(スペインのガリシア地方のバグパイプ)や、黒人の太鼓など様々な要素から構成されている。クンビアはサルサ以前に汎ラテンアメリカ的な成功を収めてアメリカ合衆国にも進出し、今もラテンアメリカ諸国のポップスに大きな影響を与えている。
スポーツ
コロンビア国内でも他のラテンアメリカ諸国と同様に、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。1948年にプロサッカーリーグのカテゴリア・プリメーラAが創設されており、主なクラブとしてはアトレティコ・ナシオナル、ミジョナリオス、アメリカ・デ・カリ、デポルティーボ・カリなどが挙げられる。コロンビア人の世界的に有名なサッカー選手としては、イバン・コルドバ、ラダメル・ファルカオ、ハメス・ロドリゲスなどが挙げられる。
コロンビアサッカー連盟(FCF)によって構成されるサッカーコロンビア代表は、これまでFIFAワールドカップに6度出場しており、2014年大会と2018年大会では連続して日本代表とグループリーグで同組となっている(なお2014年大会は、過去最高位のベスト8となった)。さらにコパ・アメリカでは、自国開催となった2001年大会で初優勝を果たしている。
著名な出身者
- ガブリエル・ガルシア=マルケス – 小説家(ノーベル文学賞受賞)
- アンドレス・エスコバル – 元サッカー選手
- ハメス・ロドリゲス – サッカー選手
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