【はじめに】
俳句歳時記にも載っている正岡子規の「毎年よ彼岸の入に寒いのは」という俳句をご存知でしょうか?
エピソードも含めて結構話題にのぼる作品ではあるので、今回は「本当に彼岸の入りは寒いことが多いのか」を検証していきたいと思います。
「彼岸」について
彼岸(ひがん)とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と呼ぶ。
時節 [編集]
気候
日本の気候を表す慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」があり、残寒・残暑は彼岸のころまで続き、彼岸をすぎるとやわらぐという。季語
俳諧では「彼岸」は春の彼岸を意味し、「彼岸」「彼岸前」「彼岸過」「中日」は春の季語である。これに対し、秋の彼岸は「秋彼岸」「秋の彼岸」という。季節 [編集]
日本語版ウィキペディア > 「彼岸」より 抜粋
春
春のお彼岸は春分の日(3月21日ごろ)を真ん中にした前後3日の一週間を指す。
以上を要約すれば、「春分の日」の3日前を『彼岸の入り』と言うことになります。これに沿う形で、俳句歳時記で「彼岸」と言うと、大抵は春のお彼岸のことを指し、古今東西多くの作品が詠まれてきました。近世の句を幾つかピックアップすると、
- 『何迷ふ彼岸の入り日人だかり』/鬼貫
- 『雲切れのなくて暮れける彼岸かな』/種文
- 『我村はぼたぼた雪のひがんかな』/一茶
などと明治以前から多く詠まれています。
正岡子規の『母の詞自ら句になりて』
冒頭の『毎年よ彼岸の入りに寒いのは』という句は、正岡子規の名で歳時記に収録されています。
しかし、この句(良く知られたエピソードではありますが、)実は正岡子規の母親が口にした言葉を、子規が採取して「俳句」として披露したという経緯があるそうで、『母の詞自ら句になりて』という前書きからも、この句が(夏井先生でいう)『おしゃべり俳句』的に出来上がったものだとして現代にも語られているのです。
自然と口をついて出てきた言葉を採取するところからも句は生まれるという典型例ということからも、時代を超えた「あるある感」という意味でも、俳句歳時記には頻繁に掲載される作品です。
『毎年よ彼岸の入りに寒いのは』
正岡子規(の母の言葉から)
「彼岸の入り」はどれぐらい寒かったのか
ではここから本題に入っていきましょう。「彼岸の入り」、確かにこの頃、一旦寒さが戻る印象があります。ただ、イメージと気象データがズレることもあるので、今回は、気象庁の観測データを使って、振り返ってみることにしたいと思います。
この句は、1893年(明治26年)の作であるといい、正岡子規が新聞「日本」の記者になった翌年で、当時はまだ25歳でした。ちょうど俳句の革新運動をスタートとした直後であり、結核に罹患して吐血をする前の時期のエピソードとのことでした。そこで、以下のルールの下、当時の気象データを遡ってみることにしました。
(参考)気象庁 ホーム > 各種データ・資料 > 過去の気象データ検索
・対象地点:愛媛県「松山」(気象官署)
・対象日時:彼岸の入り(春分の3日前)
その結果がこちらとなります。データのある1890年以降の「松山」の4年間をピックアップしました。
年月日 | 降水量 | 最高 | 最低 |
---|---|---|---|
1890/3/18 | 5.5 | 15.8 | 1.2 |
1891/3/18 | - | 11.8 | 2.5 |
1892/3/17 | 0.2 | 12.2 | 0.7 |
1893/3/17 | 0.0 | 12.7 | 0.6 |
マイナスに至るまでは行かないものの、ぐずついた天気だったり、最高気温が10℃台前半なことも多い印象です。120年前は今よりも寒かった訳ですが、それでも最低気温が5℃以上となる日も、3月にもなれば増えてきていただけに、3月中旬に入って「寒さが戻ってきた」と感じても無理はないなと思います。
「彼岸の入り」は今でも寒いのか
とはいえ、今お見せしたのは明治時代のデータです。「春分の日」は現代でも国民の祝日とされ、彼岸を祝う風習は何とか残っていますが、平成・令和になってもこの句が愛唱されているからには、きっとその傾向は残っているのではないかと思い、再び調べてみることにしました。
《 2011年以降「東京」の彼岸の入りのデータ 》
今回は調査対象を「東京(千代田区大手町)」に変えてみました。全国を代表する観測点としてです。
年月日 | 降水量 | 最高 | 最低 | 3月中 最高比 |
---|---|---|---|---|
2011/3/18 | - | 10.1 | 1.2 | ▲10.1 |
2012/3/17 | 24.0 | 10.3 | 4.6 | ▲5.4 |
2013/3/17 | - | 16.5 | 8.5 | ▲8.8 |
2014/3/18 | 0.0 | 20.3 | 8.2 | ±0.0 |
2015/3/18 | 0.0 | 21.7 | 10.7 | ±0.0 |
2016/3/17 | - | 20.4 | 6.4 | ▲0.4 |
2017/3/17 | 0.0 | 15.2 | 3.8 | ▲0.7 |
2018/3/18 | - | 15.8 | 5.4 | ▲6.3 |
2019/3/18 | - | 14.5 | 4.1 | ▲4.6 |
2020/3/17 | - | 12.7 | 2.3 | ▲8.7 |
2021/3/17 | - | 20.1 | 9.0 | ▲1.9 |
2022/3/18 | 48.0 | 10.3 | 3.8 | ▲13.8 |
2023/3/18 | 32.0 | 9.5 | 6.9 | ▲13.4 |
そして、東京では「最高気温:約14.5℃、最低気温:約5℃」というのが彼岸の入りの1991~2020年の平年値です。これと比較してみますと、極端な傾向がある訳ではないものの、「寒い」と感じる要因については、「雨が降ったり天気がぐずついてる」、「最低気温が真冬並み」、「最高気温が平年値に届かない」などと理由が様々出てきそうな感じです。
そして一番右に「3月中最高 比」という列を設けました。これは、3月に入ってから「彼岸の入り」の日までの最高気温と比べて、彼岸の入りの日の最高気温がどれだけ下がったかを示しています。例えば2022年であれば、3月14日に「24.1℃」を記録していて、その4日後の3月18日の「10.3℃」は、「24.1-10.3=▲13.8℃」となる具合です。
要するに、「一旦暖かくなってから、どれだけ下がったか」という『寒暖』における重要ファクターを分析しようと考えた指標となります。平年より暖かいかどうかより、「ここ数日、先週と比べて暖かいか否か」が判断材料として大きいかなと思ったからです。
そういった目線で見ると、最高気温の平年値は約14.5℃ですが、3月中に最高気温20℃を突破することも珍しくないです。(これは↑の記事でもご紹介したとおりです)
一度最高気温20℃を超えて、その「春らしい陽気の3月」に慣れてしまってから、気温が低下すると、実際の数字以上に堪えることも想像に難くありません。きっとそういう温度変化いわゆる「三寒四温」といった気候も、この言葉の裏には含まれているのではないかと感じました。
今回は代表して「東京」だけに限ってみましたが、皆さんの地域では如何でしょうか? ぜひ検証してみて下さい。特に「お彼岸」で3連休などがある方にオススメです。
コメント