【はじめに】
毎年3月28日は「み(3)つ(2)や(8)」の語呂合わせからアサヒ飲料が制定した「三ツ矢サイダーの日」だそうです。今日は日本語版ウィキペディアや、俳句作品や広告曲(ソング)を振り返っていきます。
日本語版ウィキペディア「三ツ矢サイダー」を読む
三ツ矢サイダー(みつやサイダー)は、アサヒ飲料が発売している炭酸飲料のサイダー。同社の登録商標(日本第850875号ほか)でもある。
日本語版ウィキペディア > 三ツ矢サイダー より
歴史
三ツ矢サイダーは、兵庫県川辺郡多田村字平野(現在の川西市平野 多田銀山の一部)で平野鉱泉が発見されたことにはじまる。かつてこの地では摂津三湯に数えられた名湯「平野の湯」と呼ばれる炭酸泉の湯治場があったが、江戸時代末期には廃れていた。
明治時代に入り、外国人接待用の炭酸水を調達するために宮内省の命を受けて全国の水源を調査していたイギリス人理学者ウィリアム・ガランによって平野鉱泉が再発見され、炭酸水の御料品工場が建設された。1884年に三菱財閥が宮内庁から多田銀山の払い下げを受け、三菱商会が「平野水」として炭酸水を販売。1885年には明治屋が採取権を得て、源満仲にまつわる当地の言い伝えから「一本矢礦泉」に改名して販売。1889年には「三ツ矢平野水」の名称で販売された。しかし販売不振が続いたため、1905年には三ツ矢平野礦泉から販売された。
なお平野水は夏目漱石も愛飲しており『行人』・『思い出す事など』にも登場、また大正天皇の皇太子時代の1897年には御料品としても採用された。1907年に帝国鉱泉株式会社が設立され、従来の平野水を元に、砂糖を煮詰めた茶褐色のカラメルやイギリスから輸入したサイダーフレーバーを加えた「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」を発売し、1921年に「三ツ矢シャンペンサイダー」に改称されて販売された。
太平洋戦争ではサイダーは軍需品だったため製造が続けられていたが、末期には工場を軍需工場として貸し出されたり、戦災で設備の一部を焼失するなどしていたため、終戦の翌年の1946年7月まで製造が中断されていた時期があった。
( 同上 )
1946年7月から製造が再開されたが、政府による砂糖の配給が行われていたため、使用が解禁されたばかりの人工甘味料ズルチンに切り替えて製造再開(のちにズルチンの安全性に疑問が出たため、自主的に使用中止)。1951年には砂糖の配給が終了したことから、砂糖を使った「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」も発売。
なお「シャンパン」の名称使用について、フランスのシャンパン企業から全国清涼飲料連合会に抗議が来たため、1968年に「三ツ矢サイダー」に改名した。なおアサヒビールは、1950年代半ばからビールの販売低迷が始まり、一時は市場占有率10%を切り、会社存続が危ぶまれたが、1987年にアサヒスーパードライのヒットで、業績復活するまでの約30年間の経営を支えたのは、三ツ矢サイダーの利益だった。
( 同上 )
名前の由来
平安時代中期、摂津源氏の祖源満仲が住吉大社の神託に従い三つ矢羽根の矢を放ち、矢の落ちた多田(現在の兵庫県川西市多田)に居城(新田城、多田城)を建てた伝説による。
( 同上 )
満仲はこの矢を探すのに功労が大きかった孫八郎という男性に、領地と「三ツ矢」の姓と三本の矢羽の紋を与えた。満仲はある日鷹狩りに出かけた際、偶然居城近くの塩川の谷間で、一羽の鷹が湧き出ている水で足の傷を治して飛び立つのを目撃した。
この湧水が霊泉としてあがめられ、付近の住民がこの天然鉱泉を入浴として利用し、明治初年頃まで「平野温泉郷」として存続した。(後略)
関連項目
- 宮沢賢治 – 好物であったとされ、コマーシャルにも使用された。
農学校教員時代は菜食にこだわらず、同僚や知人と外食を楽しんだ。花巻の蕎麦屋「やぶ屋」を「ブッシュ」と呼び、よく通っていた。天ぷら蕎麦とサイダーを一緒に注文するのが定番だった。
日本語版ウィキペディア > 宮沢賢治 より
「(三ツ矢)サイダー」が詠まれた俳句たち
上に書いたように、夏目漱石など戦前から文豪などに愛した「三ツ矢サイダー」。俳句歳時記を捲ってみると、幾つか、夏の季語「サイダー」の例句として『三ツ矢サイダー』が詠まれています。
『三つ矢サイダーきやうだい毀れやすきかな』/奥田筆子
現代俳句協会・編の『現代俳句歳時記』の「サイダー」の例句に見えた作品です。
中七の『きやうだい毀れ』は、「きょうだい こわれ」と読みます。この「きやうだい」の性別や年齢、また「毀れ」という表現が単なる喧嘩なのか数年単位での疎遠を指すのかは句だけでは明言されていません。漢字が3文字しかなく仮名が殆どを占める構成で、詠み手に多くを委ねた作品かと思います。
他の固有名詞でもそうですが、この「三ツ矢サイダー」という商品は、本来『透明』であるにも関わらず、ロゴの存在などで色濃く映像となりますし、各々の記憶に訴えかける「喚起力」も抜群です。こういう「固有名詞」を使えるようになると、素晴らしい切り札になりますのでぜひご参考に。
『三ツ矢サイダー三島由紀夫の覚悟』/立川志らく
こちらは、2020年7月2日に放送された「プレバト!!」で、立川志らく名人2段が披露した作品です。この句で昇格を果たし、立川志らくさんは名人3段となっています。
この句には、着想のもとになった作品があります。志らく名人の句の中にも登場する【三島由紀夫】が若かりし頃に詠んだという俳句です。
『ワイシャツは白くサイダー溢るゝ卓』
詠者:三島由紀夫
(↑)この句を念頭に、立川志らく名人は、妄想を相当に働かせて、文豪に思いを寄せた上記の俳句を詠んだそうです。『三ツ矢サイダー三島由紀夫の覚悟』。
勿論、「三ツ矢サイダー」の「三」と「三島由紀夫」の「三」で韻を踏んだ意図が強かったかと思いますが、この強い言葉を重ねて17音に収める技量はさすがですよね。
Rx独自のヒット指標にみる「三ツ矢サイダー」広告曲
そして「三ツ矢サイダー」のみならず、「清涼飲料水」は「CMソング」が爽やかでヒットソングの宝庫です。特にこの「三ツ矢サイダー」は、昭和の時代から、実力あるPOPSのソロ歌手だったり、あるいはバンドだったり、アニメなどとコラボしたりと、売上記録だけでなく記憶に残るコマーシャル・ソングを輩出してきました。
あまりにも多すぎて引用画像が極めて小さくなってしまいましたが、毎年のようにテレビCMを賑わせてきました。今回は、「私(Rx)独自のヒット指標」にみるヒット曲3選と、個人的に好きな楽曲3選をご紹介したく思います。
「Rxヒット指標」にみるヒット曲3選
私のヒット指標を使い、「三ツ矢サイダー」コマーシャルソングのヒット曲をピックアップしました。ちょうどボーダーが「100万pt(ミリオン)」になりましたので、切りよく、発表順に並べています。
昭和でいえば、古くは大滝詠一、昭和50年代には『勝手にシンドバッド』がブレイク後の1980年にCM抜擢されて再注目されました。その後も、大貫妙子や大沢誉志幸(クロール)、そしてBARBEE BOYS(女ぎつね On The Run)などが次々とテレビから話題になりました。
平成前半には、1992年『Woman/中西圭三』がヒットし、その後はチャートを賑わせるアーティストの起用が続きます。そして、私の指標で最も高得点となったのが1998年のT.M.Revolution代表曲の一つである『HOT LIMIT』です。YouTube再生回数は起稿時点で既に4,000万回を突破しています。
21世紀に入ると、「Whiteberry」や「ゆず」、「LAUNDRYS」、「GOING UNDER GROUND」などと続き、2000年代後半になると「コブクロ」、「嵐」など知名度の高いアーティストが名を連ねます。
それと同時に、作品やアーティストとの「コラボ」系に主軸が移るようになります。2006年の「テルーの唄」だったり、2010年代前半の替え歌シリーズだったり、前述のサザンなどとの40周年コラボ企画だったりです。そんな中で、コラボ曲扱いではありますが、この曲は外せないでしょう。
お馴染み『崖の上のポニョ』です。わがヒット指標によれば、本当に満遍なく得点を伸ばしています。特に、ジブリ楽曲といっても50以上のアーティストにカバーされているところからも、平成終盤の主題歌としては大きく話題になったことが示されています。
Rxが好きな「三ツ矢サイダー」の広告曲3選
清涼飲料水のCMソング好きな傾向が強い私にとって、「三ツ矢サイダー」のコマーシャルソングで好きだった3選をご紹介します。
(1987年)『女ぎつねon the Run』/BARBEE BOYS
歌詞の「女ぎつね」がCMソングのイメージに合う/合わない問題はあったにしても、このBARBEE BOYSのカッコ良い歌声と、白島靖代さんがシャドーボクシングに痺れます。昭和の楽曲すべてを抑えている訳ではないですが、個人的に昭和では一番心に残っています。
(2006年)『VISTA』/GOING UNDER GROUND
世間知名度的には「STAND BY ME」の方が高いかとは思いますが、個人的には2年目にあたる楽曲『VISTA』の方が、耳にインパクトがあって記憶に残っていました。CDショップの試聴コーナーで検索して聴いた時のインパクトは、15年以上前のことですが今でも強く覚えています。
(2007年)『しおり』/Aqua Timez
そして何やら令和に入って「R-1グランプリ」経由で再注目されていると噂のAqua Timezですが、この『しおり』という楽曲のタイアップソングとしての完成度の高さは垂涎モノでした。
AL『空いっぱいに奏でる祈り』の「等身大のラブソング」や、Sg『決意の朝に』等でブレイクした翌年にあたる2007年発売のメジャー3rdシングルであります。
これぞ! といった感じで、バンドと商品のシナジー効果が発揮された良曲だと思います。(個人的な好きな曲ランキングでは同年の年間2位にランクインするぐらいには好きです)
ちなみに、CMはと言うと、当時18歳だった【新垣結衣】さんが、ハードルを走る陸上部の男子に淡い恋心を抱くという、こちらも王道の内容となっています。機会があればぜひ振り返ってみて下さい。
皆さんは、三ツ矢サイダーのどんな思い出がありますか? あるいはどの“CMソング”が好きですか? 毎年3月28日が「三ツ矢サイダーの日」だそうなので、ぜひ暖かくなってきた春の中頃にどうぞ。
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