ウィキペディア小旅行「ブータン」

【はじめに】
皆さん「ウィキペディア小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回は「ブータン王国」を巡っていきます。素敵な旅をお過ごし下さい。

ブータン王国ゾンカ語: འབྲུག་ཡུལ་、英語: Kingdom of Bhutan)、通称ブータンは、南アジアに位置する立憲君主制国家首都ティンプー。北は中国、東西南はインド国境を接する。

ブータン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

概要

国教仏教ドゥク・カギュ派)。民族チベット系8割、ネパール系2割。公用語ゾンカ語

国旗はその模様が複雑で、うろこが細かく描かれている。国花メコノプシス=ホリドゥラ、国樹はイトスギ国獣ターキン国鳥ワタリガラス、国蝶はブータンシボリアゲハ。長年鎖国政策をとっていたが、1971年に国際連合加盟。翌年に国民総幸福量という功利主義を採用した。

国名

この国名の起源については様々な説がある。例えば、サンスクリット語で「高地」を意味する「ブーウッタン」説がある。これはインドの側からの呼称で、インドからみればブータンは標高の高いところに位置していることによる。

ブータンの人々は自国を「ドゥック・ユル」と呼ぶ。これは13世紀以降、仏教のカギュ派に属するドゥック派を国教としてきたので、自分たちをドゥクパ(カギュ派の中のドゥク派)、自国を「ドゥクパの国」(雷龍の国)と呼んでいる。

政治

詳細は「ブータンの政治」を参照

ジェ・ケンポが宗教界の長を、デジが政治・行政の長を務めるというチョエン制度が、1907年に世襲王政が成立するまで約300年間維持された。1907年ワンチュク朝成立以降、国王を中心とする絶対君主制だったが、近年の四代国王主導の政治改革により議会制民主主義への移行準備を開始、代替わり後の2008年に憲法が公布され、民選首相が選出されるなど立憲君主制に移行した。国会は国王不信任決議の権限を持ち、国王65歳定年制が採用されている。

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外交関係

非同盟中立政策をとり、国際連合安全保障理事会常任理事国のいずれとも外交関係を持っていない。

詳細は「日本とブータンの関係」を参照

  • 1957年、大阪府立大学助教授(当時)の中尾佐助が、お忍びで京都を訪れていた当時の王妃に直談判し、翌1958年、日本人として初めて入国を許された。
  • 1964年当時のブータンの農業の収穫は非常に少ないもので、状況を改善すべく、海外技術協力事業団(現・国際協力機構)は農業技術者として西岡京治を派遣、彼はブータンの環境が日本の農業技術使用に適合している事を発見し、翌年の1965年には多くの収穫を得る事に成功。その後もブータン農業の改善に尽くした事から西岡は1980年に国王から「ダショー(最高の人)」の称号を授与され、1992年に没するまでブータンで仕事を続けた。外国人としては初の国葬で葬られ、現在も「ブータン農業の父」として敬われている。
  • 1971年のブータン国連加盟の際、日本は共同提案国となり黙示的な国家承認を行った。
  • 1986年の外交関係樹立以来、日本とブータンの関係は、皇室・王室間の交流、経済協力等を通じて友好関係にある。また、日本人とブータン人は、外見が非常に良く似ているとされる。ブータンは大の親日国として知られ、その為、国際機関での選挙・決議等において常に日本を支持する重要な支援国でもある(安保理改革に関するG4枠組み決議案の共同提案国、国連人権委員会等)。
  • 1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が、昭和天皇大喪の礼参列のため、民族衣装」の礼服姿で数人の供を連れて来日、自国も1ヶ月間喪に服す。
  • 2011年3月12日 東日本大震災の翌日に国王主催の「供養祭」が挙行され、18日には義援金100万ドルが、日本に贈られた。
  • 2011年11月15日ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が結婚したばかりのジェツン・ペマ王妃とともに震災後初の国賓として来日、被災地のほか、東京国会議事堂衆議院本会議場での演説・京都などを訪れた。

領土問題
国土面積は、従来約46,500km2であったが、2006年に発表した新国境線では、北部の多くが中国領と主張されているため、約38,400km2にまで減少した。国境線をめぐる問題が長期化している(領土問題も参照)。

地理

詳細は「ブータンの地理」を参照

インドとは東をアルナーチャル・プラデーシュ州と、西をシッキム州と、南を西ベンガル州アッサム州で接しており、その国境線は605kmに達する。また、北の国境線470kmは中華人民共和国チベット自治区と接している。中華人民共和国との国境の大部分はヒマラヤ山脈の上を走っており、国境線が確定していない部分が多く、国境画定交渉が現在も進められている。

ヒマラヤ山脈南麓に位置し、ブータン最高峰は標高7,561mガンカー・プンスム。国土は、南部の標高100mから、北部の標高7,561mまで、7,400m以上の高低差がある。

経済

IMFの統計によると、ブータンの2020年GDPは25億ドルであり、日本の人口6万人程度の市町村に相当する経済規模である。同年の一人当たりのGDPは3359ドルであり、世界平均と比較すると大幅に低い水準である。2011年アジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は17万人と推定されており、国民のおよそ25%を占めている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国(最貧国)に分類されている。

主要産業はGDPの約35%を占める農業(米、麦など、林業も含む)だが、最大の輸出商品は電力である。国土がヒマラヤの斜面にあることをいかし、豊富な水力による発電を行い、インドに電力を売却することにより外貨を得ている。

観光業は有望だが、文化・自然保護の観点からハイエンドに特化した観光政策を進めており、フォーシーズンズなどの高級ホテルの誘致に成功した。外国人観光客の入国は制限されており、バックパッカーとしての入国は原則として不可能。
かならず旅行会社を通し、旅行代金として入国1日につき200米ドル以上(交通費、宿泊代、食事代、ガイド代を含む。ローシーズンは若干減額される)を前払いし、ガイドが同行する必要がある。ただし、治安の悪い南部地域への渡航制限を除き、自由旅行が禁止されているわけではない。

1972年代にワンチュク国王が提唱した国民総幸福量(いわゆる幸せの指標、GNH (Gross National Happiness))の概念に基づき、「世界一幸せな国ブータン」として、特にGDP/GNP増加を主眼としている先進国から注目されている。
日本も経済援助などを通じブータンのGNH発現と実現に貢献をしている。昨今、日本においてもGNHに関するシンポジウムが行われるなど、その最先端の概念の理解と導入への取り組みがみられる。ただしGNH達成はいまだ目標の段階にとどまっており、2010年の調査で示された平均幸福度は6.1と、日本の6.6を下回っている。

2012年からは国際連合が世界各国の幸福度をランキング化。当初、ブータンは北欧各国と並び世界第8位と「世界一幸せな国ブータン」を裏付ける結果となっていたが、年を追うにつれて急激にランキングが低下。2010年代後半にはランキング外となった。これは国内に経済の発展とともに様々情報が入るようになり、国民が他国との立ち位置を把握するようになったためと見られている。

(出典)ギャップマインダー財団 > Bubble Chart
  • 1,000ドル相当突破(Lv1.5):1954年
  • 2,000ドル相当突破(Lv2.0):1987年
  • 4,000ドル相当突破(Lv2.5):1999年
  • 8,000ドル相当突破(Lv3.0):2010年

1975年から2019年までで約10倍に増加(2021年にはコロナ禍などの影響で左へ悪化)

文化

詳細は「ブータンの文化」を参照

食文化
詳細は「ブータン料理」を参照
ブータンの主食はである。食文化においてはトウガラシの常食と乳製品の多用という独自の面を有しつつ、ブータンで広く食される赤米たるブータン赤米を中心に、パロ米(日本米)、プタ(蕎麦)の栽培、リビイッパ(ブータン納豆)、酒文化(どぶろくに似た醸造酒「シンチャン」や焼酎に似た蒸留酒「アラ」)などの日本人の琴線に触れる習慣も多い。ダツィ料理」も参照

衣類
ブータンの男性の民族衣装」は日本の丹前どてらに形状が類似していることから、呉服との関連を指摘する俗説もあるが、「ゴ」の起源は中央アジアとされており、日本の呉服とは起源が異なる。

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観光
近年、ブータン政府が打ち出している観光政策は「高品質な旅を少数の人に(High Value, Low Volume)」である。新型コロナで外国人旅行客を制限していたが、2022年9月に受け入れを再開。それに関して観光に関わる政策を大きく2点見直した。
一つはいわゆる観光税の値上げで、これまで旅行者からは65ドルを徴収していたが、これを一人一泊200ドルに大幅に値上げした。
二つ目は公定料金の見直しで、外国人観光客は公定料金と呼ばれる定額料金を支払うのが原則だった。これには、いわゆる観光税、ホテル代、ガイド料金、交通費、食費を含めて250ドル前後であった。この制度は廃止され個別に支払い、料金は業者側が設定できるようになった。

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