競馬歳時記【2月3週】「ダイヤモンドS」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「ダイヤモンドS」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

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ダイヤモンドステークスは、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬重賞競走GIII)である。競走名の「ダイヤモンド(Diamond)」は炭素原子からなる鉱物で、創設当初の開催時期であった4月誕生石に由来している。

ダイヤモンドステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和時代:誕生石な4月に中山2600mで創設

「ダイヤモンドS」の名称は、意外に思う方も多いかも知れませんが、いわゆる『誕生石』です。ダイヤモンドは4月の誕生石とされていますが、単純に創設時は4月に開催されていたという意味でのネーミングなのです。

言い方を変えれば、レース時期が変わったのにネーミングがそのままという事例は結構あります。JRAはそこらへん結構無頓着だったりするのですが、『ダイヤモンドS』は他の事例に比べて「季節感」が薄かったこともあって、1~2月開催になって40年が経って異議を唱える方は殆どいなくなりました。

さて、創設されたのはまだ国営競馬時代だった1951年4月8日。創設当初の条件を確認すると、中山2600mというコース。後に「中山グランプリ(現・有馬記念)」が開催されていた条件となります。 実は4月のこのレースが、この当時は年明け最初の中央「重賞」だったりします(この頃は「皐月賞」もちゃんと5月開催でした)。

第2回からはハンデ重賞となり、第3回からは基本的には60kg未満の馬が優勝していきます。当初は、非常に手薄な少頭数な形で開催されていましたが、第3回になると菊花賞・天皇賞秋を制したトラツクオーが66kgで出走し3着クラシックで3度2着に入った牝馬(!)【タカハタ】が57kgでレコード勝ちを収め、ここから6連勝を飾ったりもしていました。

昭和30年代に入ると、クラシック級の馬も斤量と相談しながら出走するようになり、特にまだハンデが重くない現4歳世代が第3回から第14回まで2600m時代に12連勝を飾っています。その中には、

  • 1956:オートキツ(東京2500代替開催、前年の日本ダービー馬)
  • 1961:ホマレボシ(同年の安田記念と有馬記念をレコード勝ち)

といった馬たちが古馬になってからの重賞初勝利を飾った舞台ともなりました。

昭和40年(1965年)になると開催条件が「中山芝3200m」と大胆な変更を遂げます。開催時期は3月となり、実質的に関東からの『天皇賞(春)』の前哨戦を意識した形となりました。

第15回1965年4月4日ミハルカス牡53:23.3
第16回1966年3月27日ヤマドリ牡53:25.9
第17回1967年5月28日コレヒデ牡53:24.5
第18回1968年3月31日オノデンオー牡43:27.6
第19回1969年3月30日スピードシンボリ牡63:36.4
第20回1970年3月29日ダイシンボルガード牡43:27.1
第21回1971年3月28日スピーデーワンダー牡53:21.8
第22回1972年5月21日バンライ牡43:23.5
第23回1973年4月1日トーヨーアサヒ牡43:21.0

長距離になってから数年は、やはり経験豊富な5歳以上が一時優勢になっていて、シンザンのライバルだったミハルカスや前年の有馬記念を制していたコレヒデ、古豪スピードシンボリなど、いわゆる「有馬記念」にも適正のあるような中山巧者的な存在が活躍しています。

1970年に前年の日本ダービー馬【ダイシンボルガード】がこのレースを勝っていますが、徐々にG1級のレースを勝つ馬がハンデ戦に出走する時代ではなくなり、徐々に『長距離のハンデ戦なら』という思いの強い陣営によるメンバーが大半を占めるようになっていきました。

第30回1980年3月16日中山3200mプリテイキャスト牝53:23.1
第31回1981年4月19日東京3200mピュアーシンボリ牡53:25.6
第32回1982年4月25日東京3200mキョウエイプロミス牡53:19.4
第33回1983年4月24日東京3200mタカラテンリュウ牡43:22.4
第34回1984年1月16日中山3200mダイセキテイ牡53:21.8
第35回1985年1月15日中山3200mホッカイペガサス牡43:25.5
第36回1986年1月15日中山3200mトレードマーク牡43:23.5
第37回1987年1月31日東京3200mドルサスポート牡43:25.0
第38回1988年1月30日東京3200mダイナブリーズ牝53:23.1

1980年代は、開催時期が4→1月に、開催場も中山から東京へ移る過渡期でした。そんな時代の最初を飾ったのが天皇賞秋の逃げ切りが伝説となっている【プリテイキャスト】。52kgの8番人気という人気薄でしたが、長距離でのスタミナはこの時に開花していたと言えます。

1981年からは天皇賞(春)に出走しない馬が挑む格下感のあるレース設定となり、更にグレード制導入でG3に格付けされるや否や1月に繰り上がってしまっています。冬の長距離路線の一つとして今は定着していますが、当時は完全に孤立した位置にあった印象だったのかも知れません。

平成・令和時代:2月、東京、3400mでの開催に

昭和時代は結局、1月、東京3200mでの開催で終えることとなりました。現在の様な「2月、東京3400m」での開催となったのは平成の前半です。

第45回1995年1月28日東京3200mエアダブリン牡43:17.8
第46回1996年1月27日東京3200mユウセンショウ牡43:18.4
第47回1997年2月15日東京3200mユウセンショウ牡53:18.4
第48回1998年2月21日東京3200mユーセイトップラン牡53:17.6
第49回1999年2月20日東京3200mタマモイナズマ牡53:19.7
第50回2000年2月13日東京3200mユーセイトップラン牡73:17.5
第51回2001年2月11日東京3200mイブキヤマノオー牡63:18.0
第52回2002年2月10日東京3200mキングザファクト牡53:19.8
第53回2003年2月16日中山3200mイングランディーレ牡43:23.7
第54回2004年2月15日東京3400mナムラサンクス牡53:31.9

まず1997年の大改革によって2月開催となり、距離は2004年から3400mに延長されています。当時は「2マイル」よりも長い距離で若干中途半端に感じる方もいらっしゃったでしょうが、由緒ある「目黒記念(ニ哩一分)」の復活という観点でいくとコアな競馬ファンは喜んだかも知れません(^^。

1989~90年にスルーオダイナが連覇、1992年にミスターシクレノン、1993年にマチカネタンホイザ、1995年にエアダブリンが優勝しています。

そして平成の後半に入っては、中山3200m代替開催時に後に天皇賞春を勝つ【イングランディーレ】がこのレースで重賞初制覇を飾っており、他にも、ナムラサンクストウカイトリックアドマイヤモナークなどのステイヤーが勝ち馬に名を連ねています。

もはや長距離レースが減っている中ですから、ハンデ戦であろうと何だろうと出走できる機会を大切にする陣営がこの舞台を戦うようになった結果、当代の重賞級ステイヤーが顔を揃え、ハンデ戦ながら、実力ある馬が重賞制覇を飾るレースへと変貌を遂げていきました。

第66回2016年2月20日109.75トゥインクル牡53:37.8
第67回2017年2月18日105.25アルバート牡63:35.2
第68回2018年2月17日107.00フェイムゲーム騸83:31.6
第69回2019年2月16日104.50ユーキャンスマイル牡43:31.5
第70回2020年2月22日106.00ミライヘノツバサ牡73:31.2
第71回2021年2月20日109.50グロンディオーズ牡63:31.2
第72回2022年2月19日106.25テーオーロイヤル牡43:30.1

長距離G2が苦戦しているのと対照的に、『ダイヤモンドS』は何とか「G3の基準:105ポンド」を維持し続けています。こういったレースはまずは『グレードの確保』が最優先に考えるべきでしょう。連勝で重賞初制覇を飾った【テーオーロイヤル】のように、ステイヤーの数少ない開花の舞台として、今後も長距離路線の維持に一役買ってくれることを期待するばかりです。

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