競馬歳時記【12月3週】「朝日杯FS」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「朝日杯フューチュリティステークス」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

朝日杯フューチュリティステークス(あさひはいフューチュリティステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。

競走名の「フューチュリティ(Futurity)」は、英語で「未来」「将来」を意味する。

正賞は朝日新聞社賞、日本馬主協会連合会会長賞。

朝日杯フューチュリティステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

概要

欧米では1786年のニューマーケット競馬場(イギリス)を皮切りに2歳馬の競走が行われていたが、日本では1946年秋の東京競馬場で初めて3歳(現2歳)馬による競走が行われた。
その後も各地の競馬場で3歳(現2歳)馬の競走が行われるようになり、1949年には関東地区の3歳(現2歳)馬チャンピオン決定戦として「朝日杯3歳ステークス」が中山競馬場で創設された。
以来、2013年まで長らく中山競馬場で行われてきたが、2014年より施行場を阪神競馬場に変更した。競走名は2001年より馬齢表記を国際基準へ改めたことに伴い、現名称に変更された。

創設当初の施行距離は芝1100mで、1959年より芝1200mへの変更を経て、1962年以降は芝1600mで定着している。

競走条件は1991年に牡馬・牝馬のチャンピオン決定戦を明確にすることを目的として「牡馬・セン馬限定」となったが、2004年より「牡馬・牝馬限定」に変更され、以降はセン馬(去勢した牡馬)が出走できなくなった。外国産馬は1971年から、地方競馬所属馬は1995年から出走可能になったほか、2010年からは国際競走となって外国馬も出走可能になった。

翌年の3歳クラシックレースにも直結する重要なレースとして位置づけられているほか、過去の優勝馬からは古馬になっても大レースを優勝する馬が出るなど、様々なカテゴリーで活躍馬を送り出している。

昭和時代:関東の現2歳チャンピオン決定戦

歴史の発端については、ウィキペディアに顛末が詳しく書かれているので、こちらをご覧ください。

  • 1949年 – 「朝日盃3歳ステークス」の名称で創設、中山競馬場の芝1100mで施行。
  • 1953年 – 騎手谷岡敏行が落馬により死亡する事故が発生。
  • 1959年 – 施行距離を芝1200mに変更。
  • 1962年 – 施行距離を芝1600mに変更。以後、この施行距離で定着。
  • 1970年 – 競走名を「朝日杯3歳ステークス」に変更。
  • 1971年 – 混合競走に指定され、外国産馬が出走可能になる。
  • 1984年 – グレード制施行によりGI に格付け。

昭和20年代:1100mの関東の現2歳王者決定戦、トキノミノルの優勝

戦前は現2歳馬による競走がなく、戦後の馬資源不足の中(苦肉の策)始まったのが現2歳戦でした。戦後数年は目標となるような大レースがなく、初めて現2歳馬に向けて創設された東西の重賞のうち、関東を担っていたのが「朝日杯3歳ステークス」でした。

当時はまだ「国営競馬」の時代であり、国営のものが民間の報道機関から許可を出すということ自体が、今と比較にはならないほど難しかったことは想像できます。結果的に昭和20年代に多くの報道会社が競走を創設すると共に、日本中央競馬会での開催に移っていく過渡期にあたる勝ち馬をみましょう。

回数施行日競馬場距離優勝馬性齢タイム
第1回1949年12月3日中山1100mアヅマホマレ牡21:07 3/5
第2回1950年12月10日中山1100mトキノミノル牡21:06 3/5
第3回1951年12月9日中山1100mタカハタ牝21:06 1/5
第4回1952年12月21日中山1100mサンゲツ牝21:07 0/5
第5回1953年12月13日中山1100mタカオー牡21:07 4/5
第6回1954年12月12日中山1100mメイヂヒカリ牡21:07 3/5

初回は12月3日、小雨降る中、稍重馬場で開催され、アズマホマレが勝ちました。そして9頭立ての最下位に沈んだのがブービー人気で、前走新馬戦を6着と大敗し1戦0勝だった馬です。しかし、そんな馬が現3歳春になって成長を遂げ、どちらも不良馬場だった皐月賞・ダービーを優勝、菊花賞も2着とし準三冠馬となっています。【クモノハナ】というこの馬が出走していたのは注目に値するでしょう。

しかし脚が曲がっていた上、装蹄の失敗によりの形が左右不揃いという欠点も抱えており、デビュー前に鈴木が騎乗依頼をした中村広二本柳俊夫といった面々にはいずれも断られた。田中朋次郎が騎乗した初戦を経て、2戦目から「近所にいた」橋本輝雄が騎手として定着。

その朝日杯3歳ステークスは9頭立ての最下位に終わると、以後も連敗を続け、翌1950年4月9日に8戦目でようやく初勝利を挙げた。なお、これは日本ダービー歴代優勝馬の中で、初勝利までに要した最多出走記録である。

クモノハナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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そして、第2回は、勝ち馬が翌年に春二冠を達成します。その馬こそ【トキノミノル】です。

以降、トキノミノルは連勝を続ける。2戦目のオープン戦を快勝した後、3戦目の札幌ステークスでは、ここまで3戦3勝のトラツクオーに10馬身以上の大差を付け、レコードタイムで優勝。

初めて関東に移動しての4、5戦目もレコードタイムで優勝し、関東の3歳王者決定戦・朝日盃三歳ステークスを迎える。ここで重馬場での競走を初経験するが全く問題とせず、2着イツセイに4馬身差を付けて優勝。6連勝で3歳王者となった。

トキノミノル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この第2回をして翌年に牡馬クラシック戦線を盛り上げる馬がほぼ勢ぞろいするなど、現2歳馬が年内最後に迎える目標という位置づけは当初から変わらず、距離は違えど翌年春を見据えたレースでした。

さらに第3回を勝ったタカハタは、9戦7勝で牡馬を相手に現2歳を終え、翌年には皐月賞・ダービーに出走して共に2着となるなど、その時代の一線級が勝ち馬に名を連ねていました。

もう毎年のように名馬が誕生しており、第5回を勝った【タカオー】は結局、皐月賞の前までで11連勝を達成しますが、その5連勝目がこの「朝日杯3歳S」でした。更に第6回を勝った【メイヂヒカリ】は後の初代グランプリホースとなり、JRA顕彰馬にも選出されています。

距離は短けれど、クラシックからそれ以降に直結するようなレースとして、関東馬の目標で有り続けた「朝日杯3歳S」の歴史を、昭和30年代以降も追っていきましょう。

昭和30年代:2度の距離延長でマイル戦に

施行条件的に大きかったのが、2度の距離延長に伴うマイル戦への変更です。1959年に1200mへ僅かながら延長され、1962年には一気に400mも伸びています。

第7回1955年12月11日中山1100mキタノオー牡21:05 4/5
第8回1956年12月23日中山1100mキタノヒカリ牝21:06 2/5
第9回1957年12月15日中山1100mカツラシユウホウ牡21:09 0/5
第10回1958年12月14日中山1100mウネビヒカリ牡21:07 0/5
第11回1959年12月13日中山1200mマツカゼオー牡21:12.3
第12回1960年12月11日中山1200mハクシヨウ牡21:11.2
第13回1961年12月17日中山1200mカネツセーキ牡21:10.9
第14回1962年12月16日中山1600mグレートヨルカ牡21:38.7
第15回1963年12月15日中山1600mウメノチカラ牡21:38.9
第16回1964年12月20日中山1600mリユウゲキ牡21:38.8

「有馬記念」が年末の風物詩となっていく過程で、その直前に行われることの多かった「朝日杯」は、来年春への期待を高める舞台となっていきます。中山競馬場の12月中旬に開催されるマイル重賞という構図は約半世紀にわたって守られ続けました。

オーストラリアから導入された豪サラ・バウアーストツクの血を持つため「サラブレッド系種」とされた【キタノオー】が菊花賞を制し、その直後に妹の【キタノヒカリ】が朝日杯を牝馬として制覇。初の兄妹制覇を達成したのも昭和30年代です。

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結果的には、キタノオー、カツラシユウホウ、グレートヨルカ、ウメノチカラなど、春のクラシックで勝ちきれなかった馬が多く名を連ねていますが、むしろ距離延長した菊花賞など現3歳秋以降にかけて活躍する馬を輩出するようになったのも、現2歳としては距離の長い扱いだったマイルへの延長の功績といえたのでしょう。

昭和40年代:快進撃で現2歳王者にのぼり詰める馬が何頭も

昭和40年代には、何頭か快進撃で連勝を遂げて現2歳を終える馬が誕生します。

第17回1965年12月19日中山1600mメジロボサツ牝21:39.5
第18回1966年12月18日中山1600mモンタサン牡21:37.4
第19回1967年12月17日中山1600mタケシバオー牡21:38.4
第20回1968年12月15日中山1600mミノル牡21:40.8
第21回1969年12月14日中山1600mアローエクスプレス牡21:36.2
第22回1970年12月13日中山1600mオンワードガイ牡21:39.8
第23回1971年12月12日中山1600mトクザクラ牝21:36.2
第24回1972年12月10日中山1600mレッドイーグル牡21:38.3
第25回1973年12月9日中山1600mミホランザン牡21:35.5
第26回1974年12月8日中山1600mマツフジエース牝21:37.1

1965年7月10日にデビュー戦を4着で落としたメジロボサツであったが、その後は快進撃。
6連勝で挑む事となった朝日杯3歳ステークスは、タマシユウホウ、ヒロイサミ、ハイアデス等の有力牡馬を相手に1番人気で快勝。この勝利が原動力となり、この年の最優秀3歳牝馬に選ばれる事となった。

メジロボサツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1965年の【メジロボサツ】は牝馬ながら朝日杯で7連勝を達成。更に【タケシバオー】は秋の福島開催から4連勝を達成、しかもその着差は当時最大の7馬身でした。1969年の【アローエクスプレス】も、まさに現2歳時は無類の強さを誇り、現3歳春までクラシック戦線を盛り上げました。

12月に迎えた関東の3歳王者戦・朝日杯3歳ステークスでは再び加賀が騎乗した。当時のアローは脚部不安を抱え、球節に注射を打つなどしていたが、レースでは芝1600mの3歳レコードを一挙に0.8秒更新して優勝し、5戦5勝でシーズンを終えた。
当年、最優秀3歳牡馬に選出された。翌年のクラシックへの最有力候補と目されると同時に、9戦7勝で関西の3歳王者となったタニノムーティエとの対戦に期待が寄せられた。

アローエクスプレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そして、1971年から外国産馬も出走可能となった「朝日杯3歳S」。その翌年には【レッドイーグル】が3戦3勝で朝日杯を制し、そのまま骨折によりハイセイコーブームのクラシック戦線への出走が叶わず現役を引退しています。

昭和50年代:外国産馬が連続勝利。マルゼンスキーの圧勝劇!

1970年代後半、外国産馬の圧倒的な強さを知る現2歳戦。特にこの2年の勝ち馬は歴史に残る存在感をアピールしたことで記録に残っています。

第28回1976年12月12日中山1600mマルゼンスキー牡21:34.4
第29回1977年12月11日中山1600mギャラントダンサー牡21:35.7

1例目はもはや『ウマ娘』としてもお馴染みの【マルゼンスキー】です。最も圧倒的な強さを示したのがこの「朝日杯3歳S」だったのではないでしょうか。スーパーカーは13馬身・2.2秒差をつけ、平成になるまで塗り替えられないレコードタイム(1.34.4)を叩き出した舞台でもありました。


驚愕の大差勝ち「これは強い!マルゼンスキー圧勝です」【朝日杯3歳ステークス1976】|カンテレ競馬【公式】

その翌年には、アメリカ産馬の【ギャラントダンサー】が優勝。翌年のクラシックホースを退けての3連勝を遂げるまでの2戦は、新馬戦を大差勝ち、条件戦を7馬身差という破格の強さでしたから、外国産馬が出走できないクラシックホースを下す姿はある意味ショックで、ある意味で世代最強馬決定戦の様相を持っていた時期でもありました。

こうした歴史を踏まえ、創設35年の「朝日杯3歳S」は、1984年のグレード制導入の年から「G1」に格付けされ、「阪神3歳S」と共に東西の世代ナンバーワン決定戦の地位を確立したのです。

昭和60年代:四半世紀ぶりに勝ち馬からダービー馬輩出

外国産馬が活躍する年もある中、内国産馬による「日本ダービー」を制する馬をなかなか輩出できなかった昭和の後半。1986年に【メリーナイス】がこのレースを勝ち、翌年にはダービー馬に輝きました。1960年の【ハクシヨウ】以来、四半世紀ぶりのダービー馬輩出でした。

第37回1985年12月15日中山1600mダイシンフブキ牡21:35.4
第38回1986年12月14日中山1600mメリーナイス牡21:35.6
第39回1987年12月20日中山1600mサクラチヨノオー牡21:35.6
第40回1988年12月18日中山1600mサクラホクトオー牡21:35.5

更に、1987年にもダービー馬【サクラチヨノオー】を輩出し、その弟・サクラホクトオーが昭和最後の「朝日杯」を制して、2年連続の兄弟制覇を達成しています。

しかし、勝ちタイムは1分35秒台の年が多く、あのマルゼンスキーの1分34秒4というレコードタイムを更新することは15年近く出来ませんでした。

平成時代:東西統一から牡馬の2歳王者決定戦へ

  • 1991年 – 競走条件を「3歳牡馬・騸馬」に変更。
  • 1995年 – 特別指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬が出走可能になる。
  • 2001年
    • 馬齢表記を国際基準へ変更したのに伴い、競走条件を「2歳牡馬・騸馬」に変更。
    • 名称を「朝日杯フューチュリティステークス」に変更。
  • 2004年 – 競走条件を「2歳牡馬・牝馬」に変更。
  • 2007年 – 日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をJpnIに変更。
  • 2010年
    • 国際競走に指定され、外国調教馬が出走可能になる。
    • 格付表記をGI(国際格付)に変更。
  • 2014年 – 施行場を阪神競馬場に変更。

1990年代:八大競走活躍馬を次々輩出の充実期

平成に入ると、いきなりダービー馬【アイネスフウジン】を輩出。この時の勝ちタイムはあのマルゼンスキーに並ぶ1分34秒4でした。

そしてその翌年にはアメリカ産馬【リンドシェーバー】が1分34秒0を記録し、遂にマルゼンスキーのあの大レコードを更新します。惜しくも6戦4勝2着2回で弥生賞を最後に現役を引退しますが、内外国産馬を問わず、強い馬が勝ち馬に名を連ねている印象です。

その1990年には、これまで牡馬も出走可能だった関西のG1「阪神3歳S」が、牝馬限定戦の「阪神3歳牝馬S(現・阪神JF)」に変更されるという大変革がありました。これによって、関東馬と関西馬が一同にG1ホースの座を目指して中山に集結することとなったのです。そうしたこともレースの充実に寄与したことでしょう。

第41回1989年12月17日アイネスフウジン牡21:34.4
第42回1990年12月9日リンドシェーバー牡21:34.0
第43回1991年12月8日ミホノブルボン牡21:34.5
第44回1992年12月13日エルウェーウィン牡21:35.5
第45回1993年12月12日ナリタブライアン牡21:34.4
第46回1994年12月11日フジキセキ牡21:34.7
第47回1995年12月10日バブルガムフェロー牡21:34.2
第48回1996年12月8日マイネルマックス牡21:36.3
第49回1997年12月7日グラスワンダー牡21:33.6
第50回1998年12月13日アドマイヤコジーン牡21:35.3
第51回1999年12月12日エイシンプレストン牡21:34.7
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内国産馬としては、2冠馬【ミホノブルボン】、そして朝日杯史上初の三冠馬【ナリタブライアン】、幻のクラシックホースとされた4戦4勝の【フジキセキ】、現3歳にして天皇賞を制した【バブルガムフェロー】など、2000m以上で活躍した名馬がずらりと顔を揃えています。【マイネルマックス】も、現3歳以降は不振が続きましたが、現2歳時は5戦4勝(4連勝、重賞3連勝)で活躍が期待される存在だったことは忘れられません。

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エンスカイ(ENSKY)
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外国産馬としては、リンドシェーバーのほか、エルウェーウィン、エイシンプレストンなどもこのレースを制し、NHKマイルCなどクラシック以外の路線で活躍を遂げていきます。しかし、やはりこの時代の外国産馬として最も著名なのは、“マルゼンスキーの再来”と言われた【グラスワンダー】でしょう。

グラスワンダーの走破タイムは1990年の同レースで的場が騎乗して優勝したリンドシェーバーが記録した従来のレコードタイムを0秒4更新、同日・同距離で行われた古馬(4歳以上馬)の準オープン競走を0秒7上回る驚異的なものであった。

当年はこれで出走を終え、翌1998年1月に発表された年度表彰・JRA賞では最優秀3歳牡馬に選出された。また、2歳馬ながら年度代表馬投票において得票数10票を獲得した。2歳馬が年度代表馬に投票されるというのは極めて異例である。当然ながらグラスワンダー以降、年度代表馬に投票された2歳馬は存在しない。

仮定の斤量数値で各馬の序列化を図るJPNクラシフィケーションの作成に当たっては、選考を務めるハンデキャッパーから「次元が違う」「超大物」と賛辞が相次ぎ、数値の決定に際しては、かつて2歳馬として最高評価を与えられたマルゼンスキー(1976年度)との直接比較が行われた。
マルゼンスキーの当時の数値は「57kg」であったが、当世的に「115ポンド」とされたうえで、グラスワンダーはマルゼンスキーよりも相手の層が厚いと考えられること、またマルゼンスキーには一度だけハナ差の辛勝があったことが考慮され、グラスワンダーには1ポンド上積みされた116ポンドが与えられ、事実上「JRA史上最強の2歳馬」という評価となった。

グラスワンダー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「やっぱり強いグラスワンダー!これが新しい栗毛の怪物」実況:三宅正治《1997年朝日杯3歳S》|カンテレ競馬【公式】

仮定の斤量数値で各馬の序列化を図るJPNクラシフィケーションの作成に当たっては、選考を務めるハンデキャッパーから「次元が違う」「超大物」と賛辞が相次ぎ、数値の決定に際しては、かつて2歳馬として最高評価を与えられたマルゼンスキー(1976年度)との直接比較が行われた。
マルゼンスキーの当時の数値は「57kg」であったが、当世的に「115ポンド」とされたうえで、グラスワンダーはマルゼンスキーよりも相手の層が厚いと考えられること、またマルゼンスキーには一度だけハナ差の辛勝があったことが考慮され、グラスワンダーには1ポンド上積みされた116ポンドが与えられ、事実上「JRA史上最強の2歳馬」という評価となった。

( 同上 )

2000年代:急速にクラシックが遠ざかる

しかし、その繁栄は長く続きません。2000年代に入ると、クラシックホースが全くと言って良いほどに出なくなります。勝ち馬の名前を見ても、どちらかというとマイラー路線を受けるような感じです。

第52回2000年12月10日メジロベイリー牡21:34.5
第53回2001年12月9日アドマイヤドン牡21:33.8
第54回2002年12月8日エイシンチャンプ牡21:33.5
第55回2003年12月14日コスモサンビーム牡21:33.7
第56回2004年12月12日マイネルレコルト牡21:33.4
第57回2005年12月11日フサイチリシャール牡21:33.7
第58回2006年12月10日ドリームジャーニー牡21:34.4
第59回2007年12月9日ゴスホークケン牡21:33.5
第60回2008年12月21日セイウンワンダー牡21:35.1
第61回2009年12月20日ローズキングダム牡21:34.0

例えば、2000年を例に取ると、1着賞金5,300万円の「朝日杯3歳S」はマイルのG1でしたが、ウインラディウス3着、カルストンライトオ10着など、中距離以下の馬が多く出走していた印象でした。

対して、翌年のクラシック級の馬が集っていたのが、年末の「ラジオたんぱ杯3歳S」です。こちらは阪神の2000mという舞台で行われており、1着アグネスタキオン、2着ジャングルポケット、3着クロフネという3頭が4着以下を5馬身引き離す豪華なレースとなりました。

優勝賞金こそ3,200万円とG1の半額ほどなG3ではありましたが、クラシックを見定められる距離で行われます。まさに「スーパーG3」の代表格となっていった「ラジオたんぱ杯2歳S」とは対照的に、G1はマイルという距離を前提としてステップが多角化していったのです。

他にもクラシックホースの2歳時の最終戦をみると、オープン特別だったホープフルSや、中京2歳S、京都2歳Sといったマイルより長い距離のオープン特別で終えるケースも多く、何がなんでもG1を2歳時に取ろうというトレンドでは無くなってきていたことが窺えます。

しかし振り返ってみれば、2006年の【ドリームジャーニー】や2009年の【ローズキングダム】はまさに古馬になってからビッグレースを制しており、必ずしもクラシック競走で結果は出せなかったとしても、マイラーだけではないことを証明してくれています。

2010年代:阪神開催移設の大改革!

ここまで1949年から中山競馬場という条件は一切変わりませんでしたが、2歳路線の大改革により、その個性が一気に変わることとなりました。

ひょっとしたら最近競馬ファンになった方は、朝日杯というと阪神開催ですっかり定着しているかも知れませんが、そうなったのは2014年のことであり、中山開催の歴史が65年ほどあったことは知っておいて損はないかと思います。

2014年の日本競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阪神開催となったのは、フルゲートの頭数や紛れの少ない広いコースといった要因があったと聞いていますが、当時は関西で開催されることに相当な違和感を覚えたことを思い出します。関西のG1として、長らく「阪神3歳S」が開催されてきた歴史を思えば、実質的にはそのレースの復活といえるかもしれないですが(^^;

第62回2010年12月19日中山グランプリボス牡21:33.9
第63回2011年12月18日中山アルフレード牡21:33.4
第64回2012年12月16日中山ロゴタイプ牡21:33.4
第65回2013年12月15日中山アジアエクスプレス牡21:34.7
第66回2014年12月21日阪神ダノンプラチナ牡21:35.9
第67回2015年12月20日阪神リオンディーズ牡21:34.4
第68回2016年12月18日阪神サトノアレス牡21:35.4
第69回2017年12月17日阪神ダノンプレミアム牡21:33.3
第70回2018年12月16日阪神アドマイヤマーズ牡21:33.9

勝ち馬をみても、やはり勝ち馬からクラシックホースは少なく、2013年の【ロゴタイプ】が皐月賞を制したことが中山時代最後のクラシックホースとなっています。むしろ、マイルという距離を活かして、翌年のNHKマイルCなどマイル路線に直結した傾向が平成後半以降は強まった気がしています。

実際、出走馬をみても、後にクラシックを沸かせるような馬はそもそも出走しなくなり、短距離~マイルで活躍する馬が増えた傾向は、なかなか止められないといった印象を受ける平成末期でした。

なお、阪神に移った年はフルゲートが揃いましたが、その翌年以降は15~16頭の年が続いており、フルゲート18頭のコースに移った効果は今ひとつかも知れません。もちろんコースの紛れという点では中山よりも阪神の方が格段に良い訳ですが(^^;

そんな中、阪神マイルという全く同じ舞台で前週に牝馬限定G1が行われる中、牡馬に混じって牝馬が参戦し話題になった例もありました。2018年に3着となった【グランアレグリア】です。

クリストフ・ルメール香港国際競走に騎乗するため、同日の牝馬限定戦である阪神ジュベナイルフィリーズを回避して翌週の牡馬相手である朝日杯フューチュリティステークスに出走。1980年テンモン以来38年ぶりの牝馬による同レース制覇が期待され、単勝1.5倍の支持を集めた。しかし、レースでは2番手を追走したものの、直線入口でアドマイヤマーズに交わされると内にモタれる様子を見せ、最後はクリノガウディーにも交わされて3着に敗れた。

グランアレグリア
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令和時代:ドウデュースがダービー制覇、復活の2021年?

2016年以降のレースレーティングを併記しました。2歳牡馬G1の目安は110ポンドであり、それは毎年クリアしています。平均すると「ホープフルS」よりも高いレーティングが続いています。

第68回2016年12月18日112.25サトノアレス牡21:35.4
第69回2017年12月17日111.75ダノンプレミアム牡21:33.3
第70回2018年12月16日112.50アドマイヤマーズ牡21:33.9
第71回2019年12月15日110.75サリオス牡21:33.0
第72回2020年12月20日111.75グレナディアガーズ牡21:32.3
第73回2021年12月19日113.75ドウデュース牡21:33.5

2020年代に入ってメンバーが充実してきた感覚があり、2020年はグレナディアガーズが優勝し、2着にステラヴェローチェが入っています。そして2021年は、朝日杯にとって『復活の年』とも言うべき、好メンバーが揃っていました。

1着に入った【ドウデュース】がナリタブライアン以来のダービー馬となり、2着の【セリフォス】はマイルCSを制覇、そして3着の【ダノンスコーピオン】がNHKマイルCを制し、5着の【ジオグリフ】が皐月賞を制するなど、創設当初や1990年代を思い起こす様な3歳春の牡馬G1独占を果たすのです。

しかしよく見ると、やはり距離としてはマイルから長くて中距離を主戦場とする馬たちであり、ドウデュースも2400mの日本ダービーを制しましたが、勝ちタイム2分21秒9という高速決着だったことを思うと、2022年の春クラシック2冠制覇を寧ろ例外的であり、それ以前の年をみる限りはあくまで、「2歳マイル王決定戦」であり、出走馬はその延長線上で戦ってくのがメインシナリオ……という陣営が出走してきている印象です。

2021年の印象を強く持ってしまうと、翌年の春のクラシック戦線などで誤解を呼んでしまうかも知れません。重賞が増えた昨今において、本気でクラシックを取りに行くなら、敢えてマイルG1を選ぶ必要性は必ずしも高くありません。もっと距離の長い重賞を選んだりしても、賞金を積めて距離も試せるからです。平成初頭からコースが変わった以外にも、周囲の環境の変化によってレースの持つ意義も自然と変わってきている昨今、このレースからどういった路線で活躍していく馬が誕生するのでしょうか?

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