競馬歳時記【5月4週】「平安ステークス」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返る「競馬歳時記」。今回は「平安ステークス」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

平安ステークス(へいあんステークス)は、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場で施行する中央競馬重賞競走GIII)である。

競走名の「平安」は、京都に置かれていた平安京の略記。平安京は794年延暦13年)に長岡京から遷都された都であり、東西4.5km×南北5.2kmの長方形に区画された都城。

平安ステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

概要

ダート重賞競走整備の一環として1994年に創設された、5歳(現4歳)以上の馬による重賞競走。

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第1回は阪神競馬場のダート1800mで「地方競馬招待」として行われ、第2回から京都競馬場に舞台を移し定着。距離も創設以来ダート1800mで定着していたが、2013年よりダート1900mに変更され、施行時期も1月から5月に移された。

前史

上記のようにウィキペディアには記載されていますが、「平安」という名を冠したレースは、京都競馬場で古くから行われていて、「netkeiba.com」さんのデータベースでは昭和30年代にまで遡れます。

1957・1962~63年:オープン「平安特別」時代

1957年4月に行われた「平安特別」は、2週間後に行われる天皇賞(春)の事実上の前哨戦的なタイミングで開催され、一線級の馬が揃いました。斤量の軽い馬が大半(前年桜花賞馬で本走2着のミスリラが53kg)の中、1頭60kgを背負った【ホマレモン】が優勝します。

この【ホマレモン】は、同年1月の金盃を制し、次走の天皇賞(春)でもレコード決着となったキタノオーの2着と健闘しています。馬主はトキノミノルでもお馴染みの大映・永田雅一氏で、戦前の名牝・クリフジの息子という注目馬でもありました。

それから5年を経て、1962年は秋9月に復活。断然の1番人気・リユウフオーレルが現3歳の秋緒戦にこのレースを選ぶも、斤量が最も軽い50kgのクインヤマニンに敗れ3着となっています。

翌年の第3回(1963年)を勝ったのは【リユウライト】。4連勝で阪神3歳Sを勝った同馬が、現5歳となって生涯最後のオープン特別を勝ったのがこのレースでした。

1964~1983年:条件戦時代

1964年には条件戦(今で言う準オープン的なイメージ)に格下げとなりますが、毎年のように開催されるようになります。距離は当初中距離だったものが1971年から2200m、1977年から2400mとなり、開催時期は1966年から4~5月の春開催となります。

また、レース名も「平安S」になったり「平安特別」に戻ったりがあって、1971年からは「平安S」として定着しています。前々身としては、このあたりからカウントしてもおかしくないかも知れません。

条件戦時代の主な「平安S」
  • 1964年
    2着:バリモスニセイ

    日本ダービー7着から秋緒戦を条件戦に戻って迎えたバリモスニセイ。2着と敗れるも、翌月には「朝日チャレンジC」、その翌週には「京都杯」と2週連続での重賞制覇。京都杯ではあの3冠を目指すシンザンを2着に下しての勝利でした。

    結果的には、宝塚記念2着のほか、重賞相当を8勝するなど、シンザンと同世代の名脇役としてその名が残っています。

  • 1972年
    1着:ヤマニンウエーブ

    5歳春の「平安S(1000万下条件戦)」を勝つまで2年以上、条件馬の身だったヤマニンウエーブ。レース名をみると、関西の雅な名前が並ぶ条件時代でした。

    平安Sを勝った半年後の京都記念(秋)で重賞初勝利を果たすと、月末には初めて東上して「天皇賞(秋)」に挑戦。3頭が競走中止となる荒れたレースで、稀にみる大逃げをみせたパッシングゴールなどを捉えて、波乱の優勝となりました。

  • 1975年
    1着:ツキサムホマレ

    現5歳時に函館記念を制し、その翌年に「平安S」を勝った現6歳のツキサムホマレ。夏の北海道で記念競走を2つ(札幌記念、函館記念)とも勝つという充実ぶりをみせ、秋には最下位だったとはいえアメリカ遠征「ワシントンDC国際」に出走を果たしています。

1984~1993年:オープン特別に復帰、ダート戦に

1984年に芝2200mのオープン特別へと昇格し、翌1985年には短距離戦(芝1400m)となりました。そして1986年には1月開催のダート1400mとなります。30年ほど「芝」レースとして行われてきた「平安S」が、ここから30年以上「ダート」レースという印象に変わる転換点です。

Wikipedia には、1986年以降のみを「前身」としていますが、約60年の歴史のある「平安」を冠したレースのうちの“後半”しか触れていないと同じといえるでしょう。ちなみに、オープン特別時代の最後を制したのは、高齢記録を持つ【ミスタートウジン】です。

1990年代:フェブラリーSの前哨戦として重賞昇格

  • 1994年 – 5歳以上の馬による重賞(GIII)として創設。地方競馬所属馬も5頭まで出走可能とされた。第1回のみ馬齢戦で行われ、第2回以後は別定戦で行われる。

1980年代に1月ダート開催となり、1994年に重賞昇格(実質)を果たします。翌月に開催されるGI・フェブラリーSの前哨戦という実質的な位置づけとなり、ハイレベルな勝ち馬が名を連ねます。

初回(1994年の成人の日)は、NZT4歳Sを勝った【トーヨーリファール】が年明け緒戦に初ダートで重賞制覇。同世代で約1年ぶりにダート転戦をした【ホクトベガ】は、2番人気ながら10着と敗れて、それから約1年半は芝レースに戻ることとなりました。

1995年はライブリマウント(7連勝の3連勝目)、1998年はエムアイブランなどが勝っているほか、1997年には3着バトルラインを含めた接戦となり、トーヨーシアトルとシンコウウインディが2頭同着での優勝を果たしています。

2000年代:オースミジェット、スマートボーイ連覇

1999年から数えて、オースミジェットが連覇、四位洋文騎手は3連覇を達成。続く2002~03年には、スマートボーイと伊藤直人騎手が連覇を達成しています。

ちなみにこの10年間は1度も1番人気が勝てず、後のGI馬【タイムパラドックス】が2004年に本レースを制していますが、なかなか本番であるはずの「フェブラリーS」に直結しない年が続きます。東京ダ1600mのフェブラリーSと求められる能力が多少違ったのかも知れません。

2010年代:5月開催、1900m戦に変更

2010年代に入ると、特に2013年になって変革が起き、実質的に「東海ステークス」と開催時期が交代します。5月後半のダート重賞となり、「フェブラリーS」との関連性が弱まる一方で、例えば、帝王賞などのダート中距離路線を行く中央(JRA)勢にとって選択しやすいレース環境となります。

開催条件が変わった2013年には、実に14年ぶりに1番人気(ニホンピロアワーズ)が勝利を収めており、単勝74.9倍のクリノスターオーが勝ったりもしましたが、高斤量でも実力のある馬が勝ち切ることが増え、レースレベルの回復に繋がりました。

レースR勝ち馬
2016112.00アスカノロマン
2017110.00グレイトパール
2018109.25サンライズソア
2019111.50チュウワウィザード
2020111.25オメガパフューム
2021108.50オーヴェルニュ
2022

レースレーティングをみると、3年に1回程度「110」を割り込む年もありますが、そもそも「GIII」の目安は国際的には105なので、それを遥かに上回っています。「GIIの目安:110」も平均では余裕のクリアとなっていて、開催時期を交換した「東海S」と同じGII格にしても、ダート重賞としてはまったく問題ないのではないかと思うほどです。(地方競馬との兼ね合いなどは別にして)

実は近年はGIIの「東海S」よりもレースレーティングの平均値が上回っています。それも、2016・2019・2020年とGI級の馬が勝ったことが大きく影響しています。

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