【はじめに】
この記事では、国内の「牡馬混合のG1」を連覇した牝馬についてまとめていきます。そもそも日本の競馬史の中で、『八大競走』と呼ばれるレースが中心だった昭和後期までは「連覇」を達成できる舞台は限られており、牝馬が優勝すること自体が非常に珍しいことでした。
令和に入って(≒牡馬にも互角以上に戦う牝馬の頻度が)頻度が高まった印象がありますが、平成までは非常に珍しいことだったことから確認していきましょう。
20世紀(平成前半)まで
極端に言ってしまえば、日本競馬の歴史も大正以前まで遡ると、牝馬が牡馬を圧倒した時代もあったと伝わります。最初に非常に古い例として、横浜・根岸競馬場で行われた「帝室御賞典」のページには、以下のように同じ馬と思われる牝馬が1年半後に連覇を果たしたケースが見えます。
施行日 | 距離 | 優勝馬 | 性齢 | タイム | 優勝騎手 |
---|---|---|---|---|---|
1896年10月29日 | 6ハロン | イダホ | 牝 | 1:24 0/5 | 杉浦武秋 |
1898年4月27日 | 1マイル | アイダホ | 牝 | 2:13 3/5 | 杉浦武秋 |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もちろん当時は「帝室御賞典」という名称すら全く定まっていませんでしたし、距離も格式も異なりますが、少なくとも複数回出走して勝利するというのはいつの時代も容易でなかったことは想像にかたくありません。
そして、ネット上の情報によると、明治期を代表する女傑「第二メルボルン」は、2400mで行われる「横浜ダービー」という名称のレースを、1907年秋(単走)→1908年春と連覇(…と言って良いのか微妙ですが)していたりと、どこまで対象を広げるかによって判断が分かれそうですが、こういった事象は探せば出てくると思います。
「帝室御賞典」に次いで「連合二哩」が創設されても、基本的にこういったレースは『勝ち抜き制』だったこともあり、連覇を果たす事例は殆どありませんでした。ですから範囲を広げて、当時の競馬開催における主要レースだった「特ハン(特殊ハンデキャップ)」や「優勝戦」ならば、斤量こそ重くなっても複数回出走できますので、可能性は十分出てくるかと思いますね。
しかし、時代が大正から昭和に向かっていくと、どんどんと大レースは「複数回出走」自体が不可能なものばかりとなっていきます。前述の「帝室御賞典」や「連合二哩」は勿論のこと、昭和前半に整備されていった「クラシック競走」も現3歳馬が生涯一度しか出走できない時点で連覇など有り得ません。
仮に、現在の「目黒記念」や「中山記念」、「京都記念」といったG2クラスまで広げればまた話は変わってくるのでしょうが、当時も現在のG1ほどの評価ではなかったように見えました。
戦後に入って、まず「中山大障害」で牝馬による春秋連覇の事例がいくつか登場し始めるところから、時代は動き始めます。
- 1958春・秋:ケニイモア
- 1960春・秋:ロールメリー
フジノオーやグランドマーチスといった歴史的名ジャンパーの誕生する前の時代において、こういった牝馬が「中山大障害」連覇を達成していたのです。現代にあっては牝馬が障害に挑戦すること自体が少なくなっていることを思うと隔世の感があります。
そして、秋と春に「グランプリ」が創設され、1981年には「ジャパンC」、更に1984年にはグレード制が導入され一気に「牡馬混合G1」が増設されますが、なかなかこの「牝馬による連覇」が果たされることはなく、時代は平成へと移ります。
結局、20世紀には達成されなかった牝馬による「混合G1の連覇」。これに最も近かったものとして思い浮かんだのが、1996・97年にかけて【ホクトベガ】が連覇した事例です。(↓)
第45回 | 1996年1月24日 | 2000m | ホクトベガ | 牝6 | JRA | 2:07.5 | 横山典弘 |
第46回 | 1997年2月5日 | 2000m | ホクトベガ | 牝7 | JRA | 2:06.7 | 横山典弘 |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川崎記念がダート競走格付け委員会にGI(統一GI)に格付けされるのがこの翌年の1998年だったということもありますが、事実上の平成初期の事例として着目されるべきかと思います。そもそも、レースの格がどうだったかはさておき、ホクトベガの強さは牡馬を相手にしても全く臆することがなかった様に思いますからね。
21世紀(平成後半)
2008・09年・安田記念:ウオッカ
条件をしっかり達成した女傑の21世紀最初の例といえるのが、言わずと知れた【ウオッカ】でしょう。もちろん、牡馬を相手に『64年ぶりの夢叶う』日本ダービー制覇でその実力は知らしめていましたが、東京競馬場・そしてマイルでの強さが際立ちました。
牝馬を相手には一頭だけ役者が違いすぎたヴィクトリアマイルから、周囲を囲まれ絶対絶命な中でも、安田記念を勝ち切ってしまうウオッカの強さは、その後の時代の兆しを予感させるものでした。
2012・13年・ジャパンC:ジェンティルドンナ
これに続いたのが、三冠牝馬【ジェンティルドンナ】のジャパンCです。3歳時には先輩三冠牡馬・オルフェーヴルを接触しながらわずかに抑えたことで、結果にケチがついてしまっていますが、
ウオッカまで日本の牝馬が一度も勝てておらず、外国馬を含めて2勝馬のいなかった中で、連覇という実績を残したことは、まさに歴史に残る偉業だったと思います。
21世紀(令和時代)
2019・20年:天皇賞秋・アーモンドアイ
アーモンドアイ(欧字名:Almond Eye、2015年3月10日 – )は、日本の競走馬、繁殖牝馬。
2018年から2020年にかけて、史上5頭目となる牝馬三冠制覇、史上2頭目となる天皇賞(秋)連覇、史上2頭目となるジャパンカップ2勝を達成。ドバイターフとヴィクトリアマイルを加え、日本調教馬として初めて芝GI級競走9勝を挙げた。
アーモンドアイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牝馬でありながら、その勝ったG1の過半が「牡馬混合戦」という【アーモンドアイ】は、かつて「勝ち抜け制」で達成することが叶わなかった「天皇賞(秋)」の連覇を成し遂げています。特に2019年の勝ちタイムである1分56秒2は衝撃的でした。
2020・21年:宝塚記念・クロノジェネシス
クロノジェネシス(Chrono Genesis、2016年3月6日 – )は、日本の競走馬・繁殖牝馬。
主な勝ち鞍は2019年の秋華賞、2020年・2021年の宝塚記念連覇、2020年の有馬記念。
馬名の意味は、母名の一部 + 創世記。2020年に春秋グランプリ連覇を達成し、翌年の宝塚記念ではスピードシンボリ、グラスワンダーに次いで史上3頭目のグランプリ3連覇を果たした。
クロノジェネシス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
それまで連覇が不可能だったところに「連覇」の可能性をもたらしたのが東西のグランプリ・レース。しかし、牝馬による連覇が成し遂げられたのは、令和の【クロノジェネシス】を待たねばなりません。
そもそも牝馬があまり勝てていなかった宝塚記念を連覇するだけでなく、有馬記念を含めたグランプリ3連覇というのは歴史的にも大偉業だったと言えるでしょう。
2020・21年:マイルCS・グランアレグリア
グランアレグリア(欧字名:Gran Alegria、2016年1月24日 – )は、日本の競走馬・繁殖牝馬。
主な勝ち鞍は2019年の桜花賞、2020年の安田記念、スプリンターズステークス、2020年・2021年のマイルチャンピオンシップ、2021年のヴィクトリアマイル。
2021年に史上初となる古馬の芝マイルGI完全制覇を果たすなど、ロードカナロアと並ぶ1600m以下で歴代最多のGI競走6勝を挙げた。馬名の意味は、スペイン語で「大歓声」。
グランアレグリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウオッカと同じマイル路線での連覇を令和に果たしたのが【グランアレグリア】でした。同じ年に牝馬による連覇が果たされるのも初めてだったようですし、ウオッカと異なり生粋の短距離路線組がこれを成し遂げたことの意味は大きいです。
2022・23年:安田記念・ソングライン
6月4日に東京競馬場で行われた第73回安田記念では、ジャックドールやセリフォスを外から差し、背後から迫るシュネルマイスターから逃げ切りGI通算3勝目を挙げた。安田記念連覇は、1952年と1953年のスウヰイスー、1992年と1993年のヤマニンゼファー、2008年と2009年のウオッカ以来史上4頭目、ヴィクトリアマイルと安田記念を連勝した馬は2009年のウオッカ以来史上2頭目となった。
ソングライン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まだ現在のような地位になく「安田賞」だった時代のスウヰイスーも、G1となって初めて牝馬として連覇を成し遂げたウオッカも競馬史に残る名牝ですが、これに並んだのが【ソングライン】です。
2023年は、前年の覇者であり、ヴィクトリアマイルを制していながら大外枠なことなどもあってか人気は他馬に譲っていましたが、終わってみればG1馬10頭というレースを完勝しての連覇。新たな牝馬による強い連覇の記憶を刻むことに成功しています。
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