【はじめに】
今回は、「青葉賞」の歴史を、Wikipediaと共に振り返っていきましょう。
青葉賞(あおばしょう)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GII)である。競馬番組表での名称は「テレビ東京杯 青葉賞」と表記される。
青葉賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1950~70年代:条件戦として東西に「青葉賞」が
重賞として第1回「青葉賞」が行われたのは1994年のことですが、実はその前にも「青葉賞」はありました。その10年前から「オープン特別」として開催されていたのです。距離・コースも同じでした。
「青葉賞」は1984年から「日本ダービー指定オープン」とされ、4歳(現3歳)馬限定の特別競走として東京競馬場の芝2400mで行われていた。
( 同上 )
しかし、「netkeiba.com」さんのデータベースで『青葉賞』と検索してみると、1984年よりはるか昔からそういったレース名での競走が開催されていたことが分かります。条件戦だったため、あまり話題にならないのだとは思いますが、ネーミングとか時期とかはきっとこの条件戦を念頭に置いていたのだと思いますので、今回は条件戦時代から取り上げます。
- 1958年5月に東京競馬場の1800m戦として創設
初回はオープン特別級だったようで、勝ち馬の「テツシユウ」は、2週間後の本番「日本ダービー」でダイゴホマレから2馬身半差の4着と健闘。
- 1959年現3歳の条件戦として東京競馬場での開催が定着
東京競馬場では、距離1800mでの開催が続く
- 1960年京都競馬場でも「青葉賞」という条件戦が創設、東西で同名レースが開催
4月29日・京都1600m、5月22日・東京1800m と東西で同名レースが開催も、日本ダービーとは直結しづらい開催が続く(1961・62年は未開催)
- 1967年ニツトエイトが中山マイル開催の条件戦で3着
ニツトエイトは、後の菊花賞・天皇賞馬。当時は条件戦で3戦連続3着
この東西体制が昭和50年代一杯まで続きますが、開催時期もクラシック緒戦に近く、さすがに活躍馬を輩出することは殆どありませんでした。
1980年代:オープン特別として創設(事実上の昇格)
上記のとおり、1984年にオープン特別として“創設”となっていますが、事実上は1958年から続いてきた条件戦を「オープン特別」に格上げとみた方が実態に合っているのではないかと思います。
2年間の休止を挟んでいるので、通算で第25回ぐらいになる東京開催の「青葉賞」。1980年には2000m、1982年には2300mと距離が延長され、オープン特別となった際に本番と同じ2400m戦に。
そして、もう一つの「青葉賞」だった関西(京都)開催の方はというと、1984年(関東がオープン特別に昇格した年)まで開催されていたのですが、やはり同名レースは避ける風潮となったのか、1960年代から続いていた関西開催は四半世紀で歴史に幕を閉じています。
1990年代:94年にはGIIIに格上げ
1991年には後の菊花賞馬・レオダーバン、1993年にはステージチャンプを輩出するなど本番と同舞台であるという唯一無二の条件を期待され、1994年、晴れて重賞に昇格します。条件戦時代を含めると、実質35回目相当での重賞昇格です。
歴史
( 同上 )
1994年 – 4歳馬による重賞 (GIII)に昇格、東京競馬場の芝2400mで施行。「ダービー指定オープン重賞」として3着までの馬に東京優駿(日本ダービー)の優先出走権を付与。
1995年
ダービートライアルに指定。
指定交流競走、および東京優駿(日本ダービー)のステップ競走に指定。地方競馬所属馬(日本ダービーの出走候補馬)が3頭まで出走可能になる。
2回目以降は少しレースレベルが落ちて本番に直結しにくかったのは…さておき。初回(1994年)は、日本ダービーへの切符を掴んだ3頭がかなり豪華でしたので振り返ります。
上記3頭はいずれも活躍をみせ、初代優勝馬であるエアダブリンがいきなり日本ダービー2着となったこともあり、東京2400mでの現3歳重賞の出現は、新たな風を吹かせました。
2000年代:シンボリクリスエス、ゼンノロブロイも本番2着
2001年にはGIIに格上げされ、当然、青葉賞からの日本ダービー馬の輩出に期待がかかります。
事実、青葉賞で権利を掴んだ馬は、その実績以上に人気を集めることが常です。それでも、GII昇格後の6年間では、
年 | 青葉賞勝ち馬 | 本番人気 | 本番結果 |
---|---|---|---|
2001 | ルゼル | 4番人気 | 14着 |
2002 | シンボリクリスエス | 3番人気 | 2着 |
2003 | ゼンノロブロイ | 3番人気 | 2着 |
2004 | ハイアーゲーム | 3番人気 | 3着 |
2005 | ダンツキッチョウ | 3番人気 | 13着 |
2006 | アドマイヤメイン | 4番人気 | 2着 |
そもそも平成10年代の「青葉賞」は、勝ち馬が青葉賞で人気を集めていた事もあって、本番でも揃って3~4番人気に支持されていました。そしてルゼルやダンツキッチョウは2桁着順に大敗したものの、その他で日本ダービー2着3回3着1回という凄まじい成績を残していたのです。
さらにこのうち、シンボリクリスエスとゼンノロブロイは今更言うまでもなくダービー以降も当代の一流馬として活躍を続けています。
2010年代:前半は注目馬を次々輩出
どうやら「青葉賞」は、10年代で区切ると前半に注目のレースが集中する帰来があるのでしょうか? 2010年代もそういった傾向が続きます。前半5年の活躍馬をピックアップしてみますと、
以上のように、日本ダービー2着馬を2年連続で輩出したほか、勝ち馬以外からも重賞級の馬を次々と輩出していました。2010年代後半以降はその傾向にも陰りが出始めていますが。
最後に、足許(2016年以降)のレースレーティングを振り返っていきましょう。こちらです。(↓)
年 | レースR | 勝ち馬 |
---|---|---|
2016 | 109.00 | ヴァンキッシュラン |
2017 | 111.75 | アドミラブル |
2018 | 110.75 | ゴーフォザサミット |
2019 | 109.25 | リオンリオン |
2020 | 110.25 | オーソリティ |
2021 | 110.00 | ワンダフルタウン |
2022 |
「スーパーG2」の記事でも取り上げましたが、「GIIの目安」は110ポンドです。そうしてみると殆どGIIの目安付近に収斂していますが、他の3歳重賞に比べるとやはり派手さに欠ける値が続いています。
ここ数年の勝ち馬では、2020年の「オーソリティ」が4歳秋から本格化してジャパンC2着 → ネオムターフC1着 → ドバイシーマクラシック3着と活躍していますが、その他の馬では【リオンリオン】がセントライト記念を勝ったのみで、他は青葉賞を最後に勝利もあげられていません。
本番と同じ舞台を経験できるのは強みのはずなのですが、現代の感覚からすると、レース間隔が本番の「日本ダービー」に近く、しかも3歳の若駒が2400mを走る事の疲れも多少はあるのかも知れません。
正直言って、レース条件は良いのに本番を勝てないのには、表面的にはレース間隔の近さなどがあり、本質的には「GIIながら、メンバーの層の薄さ」があるのではないかと感じました。
実は昭和の中盤から続いてきた「日本ダービー馬」の輩出という悲願を、令和の時代に、『青葉賞』が達成できるのか、注目していきましょう!
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