競馬歳時記【2月3週】「フェブラリーS」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「フェブラリーS」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

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フェブラリーステークスは、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。

競走名の「フェブラリー(February)」は、2月を意味する英語。この名が示す通り、基本的には2月の第3、もしくは第4日曜日に開催される(1998年と1999年は除く)。JRA主催でGIに格付けされる競走としては毎年最初に行われる競走である。

フェブラリーステークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

20世紀:ダート初の中央G1に昇格

  • 1984年 – 5歳以上の馬によるハンデキャップの重賞競走「フェブラリーハンデキャップ」を新設。東京競馬場のダート1600mで施行、GIIIに格付け。
  • 1994年 – GIIに昇格。、名称を「フェブラリーステークス」に変更。
  • 1995年 – 指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬が出走可能となる。
  • 1997年 – GIに昇格。

創設当初からその名の通り2月開催だったものの、G3のグレード(それでも当時は数少ないダート重賞だった)で、ハンデ戦だったため名称は「フェブラリーH」でした。第10回まで続きます。

回数施行日優勝馬性齢タイム
第1回1984年2月18日ロバリアアモン牡51:40.1
第2回1985年2月16日アンドレアモン牡61:36.9
第3回1986年2月15日ハツノアモイ牡51:36.7
第4回1987年2月21日リキサンパワー牡61:36.5
第5回1988年2月20日ローマンプリンス牡71:37.7
第6回1989年2月18日ベルベットグローブ牡61:37.2
第7回1990年2月17日カリブソング牡41:36.7
第8回1991年2月16日ナリタハヤブサ牡41:34.9
第9回1992年2月22日ラシアンゴールド牡41:35.4
第10回1993年2月20日メイショウホムラ牡51:35.7

ハンデ戦ではあったものの50kg台後半(55kg以上)の馬しか勝っておらず、今や少なくなったもののいわゆる『実力馬が順当に勝ちやすい部類のハンデG3』でした。
平成に入ると波乱も増えますが、条件戦上がりの馬がこのレースで初重賞制覇を飾り、その後もオープンクラスで活躍したことを思うと、レースレベルは常に日本ダート界の最上格でした。

第11回1994年2月19日チアズアトム牡51:37.8
第12回1995年2月18日ライブリマウント牡41:36.4
第13回1996年2月17日ホクトベガ牝61:36.5

1994年にはダートでG2に昇格。札幌記念は芝に移っており、当時の中央競馬では他にない唯一のG2となっていました。そして、1995年のライブリマウントと1996年のホクトベガは、この年に地方を中心に走っていき、翌年にドバイワールドCへ日本代表として出走しています。

そして、1997年に中央競馬初のダートG1として王者を決めると共に、年明け最初で中央のG1シーズン開幕戦を告げるレースとなりました。この2年間だけは1月最終週(~2月第1日曜日)に開催されたことがありましたが、基本的に2月後半開催は2000年以降維持されています。

第14回1997年2月16日シンコウウインディ牡4JRA
第15回1998年2月1日グルメフロンティア牡6JRA
第16回1999年1月31日メイセイオペラ牡5岩手
第17回2000年2月20日ウイングアロー牡5JRA

特にドラマチックなのは1999年の【メイセイオペラ】でしょう。交流元年と言われた1990年代後半からの流れを組み、地方所属のまま中央のG1を勝つというドラマは現時点で史上唯一の快挙です。

21世紀:春の中央ダート王決定戦から海外との重複へ

2000年に2月後半開催に戻ると、ここからは中央所属馬が意地を見せています。名だたるダート王が、威厳すら感じるレースを見せるかと思えば、【メイショウボーラー】のような新星がその勢いのまま、ダート王に輝くなど、連覇もなく群雄割拠の時代を感じさせます。

2000年代は特に「ジャパンCダート」が秋に開催されるようになって、春秋でダートG1が中央に設けられたことで、マイルの春と中長距離の秋で棲み分けがなされていたほか、交流G1との区別も薄かったことからタフに何度も舞台を変えて激突する一流馬が揃っていたことが思い起こされます。

第18回2001年2月18日東京1600mノボトゥルー牡51:35.6
第19回2002年2月17日東京1600mアグネスデジタル牡51:35.1
第20回2003年2月23日中山1800mゴールドアリュール牡41:50.9
第21回2004年2月22日東京1600mアドマイヤドン牡51:36.8
第22回2005年2月20日東京1600mメイショウボーラー牡41:34.7
第23回2006年2月19日東京1600mカネヒキリ牡41:34.9
第24回2007年2月18日東京1600mサンライズバッカス牡51:34.8
第25回2008年2月24日東京1600mヴァーミリアン牡61:35.3
第26回2009年2月22日東京1600mサクセスブロッケン牡41:34.6

2010年代に入ると【コパノリッキー】が史上初の連覇を達成するなど、少しずつレースに変化が訪れ始めます。レースレコードはモーニンが1分34秒0を記録した一方で、層の薄い年がいささか目立つようになりました。

第27回2010年2月21日エスポワールシチー牡51:34.9
第28回2011年2月20日トランセンド牡51:36.4
第29回2012年2月19日テスタマッタ牡61:35.4
第30回2013年2月17日グレープブランデー牡51:35.1
第31回2014年2月23日コパノリッキー牡41:36.0
第32回2015年2月22日コパノリッキー牡51:36.3
第33回2016年2月21日モーニン牡41:34.0
第34回2017年2月19日ゴールドドリーム牡41:35.1
第35回2018年2月18日ノンコノユメ騸61:36.0
第36回2019年2月17日インティ牡51:35.6

華やかな面としては、2011年に【トランセンド】がこのレースを制した後、東日本大震災を挟んで迎えた3月下旬の「ドバイワールドC」で、ヴィクトワールピサと日本ワンツーを達成しています。

ただ、賞金面であまりにも差が大きくなっていることから、ダートの強豪は春の最大目標を「フェブラリーS」ではなく海外遠征に向けるようになり、その国内前哨戦として間隔の狭いフェブラリーSだけでなく、「川崎記念」やその前年の12月のG1/Jpn1を使うことも増えていったのです。
裏を返せば、平成の中頃まで中距離ダート馬が必ずといって良いほど使っていた「フェブラリーS」が徐々に「ダートマイル王決定戦」の様相を呈し始めたのです(厳密にはダートとも言い切れないが)

第33回2016年2月21日115.00モーニン牡41:34.0
第34回2017年2月19日114.25ゴールドドリーム牡41:35.1
第35回2018年2月18日114.25ノンコノユメ騸61:36.0
第36回2019年2月17日111.75インティ牡51:35.6
第37回2020年2月23日112.75モズアスコット牡61:35.2
第38回2021年2月21日112.75カフェファラオ牡41:34.4
第39回2022年2月20日115.25カフェファラオ牡51:33.8

2016年以降のレースレーティングを併記しましたが、古馬G1の国際基準である「115ポンド」を割り込む年が5年連続となり、2019年に至っては「芝を含めたG2の平均値:112ポンド」すら下回ってしまっています。これは、2歳戦を除いた中央G1の中では最も低い値(2017~22年の6年平均:113.50ポンド)であり、深刻な状況となっています。

国際的な降格検討基準には今のところ至っていませんし、もちろん、JRAがG1を減らしたいと思うはずがありませんし、G1を新設・昇格させる辛さを思えば今のまま「G1」を維持するのが賢明でしょう。ただ、20年近く前と比べて現実的にはメンバーの手薄さが顕著となっている事実は見過ごせません。

特に数年の低レートの根底には、新たな中東の国際競走「サウジC」の存在が大きいのだと思います。

上でも取り上げた2016年以降の「一線級馬の出走状況」を簡単にまとめるとこんな感じとなりました。

秋の中距離G1戦線で連対したような馬は、川崎記念を使うことが多く、フェブラリーSに出走することすら稀となっています。そして、フェブラリーSに出走する馬と中東遠征する馬は全くかぶらなくなっており、トランセンドのようなローテーションを組む馬は皆無となっています。

「サウジC」がなければ上に書いたような馬の半数近くが「フェブラリーS」を使っていたと思う反面、これだけの馬が「フェブラリーS」以外に流出するようになってしまった以上、もう戻ることは出来ないところまで来ているような印象を受けます。

ちなみに、10年度、20年度前にあたる2002年度と2012年度も同じ表を作ってみました。まずもって、各馬の名前が懐かしすぎて感慨に浸ってしまいましたが……(^^

リージェントブラフやカネツフルーヴ、ワンダーアキュートのように11月から2月にG1を5走する馬も当時はいました。特に2002年に至っては、秋の中距離G1を連対した馬が総じて「フェブラリーS」を使っていたことが特徴だと思います。

こうした時代であれば「春のダート王決定戦」も間違いではなかったですが、「サウジC」や「ドバイワールドC」に出走する馬の方が多くなってしまった現状を見るにつけ、いつまでも『フェブラリーS』を平成中期頃の思考で止めてしまうのは危険だと感じます。それがレースレーティングにあらわれてしまっています。

個人的には、改革すべきは「川崎記念」ではなく「フェブラリーS」だったと思います。地方競馬の交流重賞が全国的な体系を見据えることには賛成ですが、国際基準を目指すのであれば寧ろ海外・中央との棲み分けは必須です。「川崎記念」を4月にする意図が今ひとつ見えませんでした。

これは「フェブラリーS」も同じで、ネット上で議論されているとおり、路線を再編する必要があろうかと思います。すなわち、

  • 内枠不利や芝スタートのコースがあながち好評ではなくトリッキーなのを思えば、東京D1600mに固執せず、例えば「東京D1400m」に変える
  • サウジCやドバイワールドCへのステップとするならば、今のローテーション的に少なくとも1月下旬(今の川崎記念あたり)まで繰り上げる(皐月賞などと比べたら、まだ1月最終週なら「フェブラリーS」も違和感なく受け入れられるはず)
  • あるいはレース名の変更も視野に入れるなら、開催時期を大胆に変更する(例えば1月前半とか5月後半とか夏競馬とかまで)
  • 左回り開催なのに海外勢が平成時代に全く来なかったことに鑑みれば、「チャンピオンズC」と違ってアメリカ勢を意識せず、右回り開催とするのも一つの手では?
  • 仮に呼び込むなら、アメリカ以外の海外勢、それこそオールウェザー勢やヨーロッパの芝・ダート両刀使いの層を取り込む……

といった改革案が考えられます。いずれにしても、海外・地方を無視した『傍若無人』ではいずれ限界が来てしまって、今よりも数ポンド下がれば『G1格下げ』が本格的に取り沙汰されてしまいます。今のままで良いと思考停止せず、我々もフェブラリーSを応援していきましょう!

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