競馬歳時記【11月4週】「京阪杯」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「京阪杯」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

京阪杯(けいはんはい)は、日本中央競馬会 (JRA) が京都競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。

寄贈賞を提供する京阪電気鉄道は、大阪市に本社を置く鉄道会社で、京都競馬場の最寄り駅である淀駅は京阪本線の駅である。

京阪杯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和時代:中距離重賞「京都特別」として創設

  • 1956年 – 4歳以上の馬による重賞競走として「京都特別」の名称で創設、京都競馬場の芝2200m(外回り)で施行。当初は秋季に行われた。
  • 1960年 – 京阪電気鉄道が賞を寄贈、「京阪盃」が副名称となる。
  • 1961年 – 名称を「京阪杯」に変更。
  • 1984年
    • グレード制導入によりGIIIに格付け。
    • 開催時期を春季に移行。
    • 競走条件を「5歳以上」に変更。

前身:「京都特別」(1956~1960年)

「京阪杯」の前身となる「京都特別」という重賞が創設されたのは1956年のこと。初回は11月4日に現3歳以上が出走する2200mのハンデ戦として開催。

菊花賞の半月前の開催で、現3歳馬が6着までを占めると共に、62kgで2番人気だった【キタノオー】は、2着に敗れたものの本番菊花賞ではハクチカラなどを抑え1番人気として優勝しています。また、前年のオークス馬【ヒロイチ】や同年の桜花賞馬【ミスリラ】も参戦するなど、「京都特別」という名前に相応しい豪華メンバーが揃っていました。

第2回からは10月上旬開催となって、菊花賞との繋がりはかなり弱まると共に、ハンデ戦だったこともあって地味な存在でしたが、1960年代からこのレースに「京阪電気鉄道」が賞を送るようになります。

ちなみに、「~~特別」という名称は戦前から幾つかの競馬場で使われてきた由緒ある命名で、戦後の1950年代にも「~~特別」が一時期行われたことがありました。(参考:ウィキペディア・重賞)

日本では、古い時代には「重要な競走」を表す用語としては、「特別競走」や「大競走」が用いられてきた。中央競馬では1990年代まで4歳牝馬特別(現在のフィリーズレビューフローラステークス)や阪神牝馬特別(現在の阪神牝馬ステークス)などのように、「特別」という名称がつく「重賞」競走があった。

重賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

例えば「中山特別」というレースは『有馬記念(初回は中山グランプリ)』の前年度まで行われてきた同条件の重賞でしたし、「阪神特別競走」は1956年に創設されるもその翌年から「大阪盃」として開催されています。戦前は、今のローカル重賞「~~記念」に当たるものとして「~~特別」が開催されていました。そうした意味では『京都特別』もそれなりの期待感で創設されたのだろうと想像できます。

秋開催の「京阪杯」(1961~1983年)

1960年に「京阪盃」を副題として行われた「京都特別」でしたが、第5回をもって打ち止めとなり、翌1961年の第6回からは正題を「京阪杯」として開催されることとなりました。

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1961年から1976年まで16年間1番人気が勝てなかったとされますが、その間にもレース条件が変わり続けます。距離は1966年に1800mとなり、1971年に1900m、1972年からは2000mに延長。また、開催時期も1963年から9月に入り、1967年からは11月前半に変更、そして1972年からは11月後半へ変わっています。

1980年代に入ると【ノトダイバー】が連覇を果たし、その翌年にはエリモローラが10番人気で優勝。そしてグレード制導入された1984年に、大きな変革を迎えます。5月・春開催となるのです。

春開催の「京阪杯」(1984年~)

1984年になると、安田記念がG1に昇格したり春競馬が古馬も大きく動く中で、気づけば中距離重賞が新潟大賞典しかなかったため、この春に移ったような形になっています。

その1984年を58.5kgで人気に応えたのが【カツラギエース】です。いわずもがな、この年の秋には、日本馬として初めてジャパンCを制しています。

平成・令和時代:秋に再移設、短距離重賞に

  • 1989年 – 混合競走に指定。
  • 1997年 – 開催時期が秋季に戻り、競走条件を「4歳以上」に変更。

春・2000m級時代(1984~1996年)

グレード制が導入されてから次の大幅変革1996年まで、基本的には、「春5月」に「2000m(1996年のみ2200m)」で開催されていました。

1993年ぐらいまではG3らしいメンバーが揃っていましたが、1994年からは底上げした格好となり、

第39回1994年5月14日阪神ネーハイシーザー1分58秒9牡4
第40回1995年5月13日京都ダンツシアトル1分58秒9牡5
第41回1996年5月11日京都ダンスパートナー2分12秒8牝4

これまで2分台での決着だったところから1分58秒台での決着となり、1996年の2200m戦での開催時も【ダンスパートナー】が牡馬相手に重賞を初勝利しています。

秋・1800m時代(1997~2005年)

そして、1990年代中盤の変革によって「京阪杯」は1997年、14年ぶりに秋開催に戻ります。今と同じ11月下旬、すなわちジャパンCと同じ週に開催されるようになったのです。

当然、ジャパンCに挑むような馬は「京阪杯」に見向きもしないため、G3の格付けにふさわしいようなメンバーが揃い、2003年の不良馬場のレースを14番人気で勝った【チアズブライトリー】に代表されるような波乱も定常化しました。

しかし2004年にオークスを勝った【ダイワエルシエーロ】が36年ぶりに現3歳牝馬として「京阪杯」を制すると、続く2005年には【カンパニー】がこのレースを1番人気で制し、福永(祐)騎手が連覇を達成。この第50回をもって中距離重賞としての「京阪杯」は幕を閉じます。

秋・1200m時代(2006年~)

2006年は、以下のとおり、短距離~マイル路線の充実が図られました。目立った変革はこちら(↓)。

2006年の日本競馬(2006ねんのにほんけいば)では、2006年平成18年)の日本競馬界についてまとめる。

重賞競走の主な変更点
・オーシャンステークス、キーンランドカップの重賞昇格。
・ヴィクトリアマイル、阪神カップの設立。
・CBC賞、セントウルステークスのグレード変更。

2006年の日本競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

しかし、地味ではあったものの、「京阪杯」の距離短縮(1800m → 1200m)も伝統的な中距離重賞の短距離化の流れを感じさせるには十分でした。ある意味で、ジャパンC(ジャパンCダート)の週の裏開催に個性の違う短距離の重賞が据えられたのは画期的だったかも知れません。

そして、2011年から平成の最後までの勝ち馬をみていきましょう(↓)。ちなみに【ネロ】は、短距離になって初、中距離時代を含めてもノトダイバー以来35年ぶりの連覇を達成していました。

第56回2011年11月26日ロードカナロア牡3
第57回2012年11月24日ハクサンムーン牡3
第58回2013年11月23日アースソニック牡4
第59回2014年11月30日アンバルブライベン牝5
第60回2015年11月29日サトノルパン牡4
第61回2016年11月27日ネロ牡5
第62回2017年11月26日ネロ牡6
第63回2018年11月25日ダノンスマッシュ牡3

さて、太字にした通り、3歳で京阪杯を制したロードカナロア、ハクサンムーン、ダノンスマッシュは、古馬になってG1に連対を果たす活躍を見せました。やはり3歳秋に古馬を相手に優勝するような馬は、その路線で長く活躍する素質を見せていると言えるでしょう。

ただ国際化の波はこの頃から強まってきています。「阪神C」が年末の名物重賞となっていく一方で、香港国際競走でも日本馬が善戦するようになると、「阪神C」に至る国内路線をスキップして、香港に遠征する一流馬が一気に増えることとなったのです。

その結果、重賞勝ちは京阪杯の連覇のみの【ネロ】を始め、勝ち馬は重賞級が大半を占めるようになると共に、各回G1馬がほとんど見られなくなってしまうメンバーの寂しさとなってしまっているのです。

2016年11月27日105.75ネロ牡5
2017年11月26日107.00ネロ牡6
2018年11月25日108.75ダノンスマッシュ牡3
2019年11月24日107.00ライトオンキュー牡4
2020年11月29日107.25フィアーノロマーノ牡6
2021年11月28日108.25エイティーンガール牝5

令和に入ってからは、G3の真ん中あたりのレーティングで推移していますが、やはりイマイチ、レースとしての盛り上がりに欠ける印象を受けてしまいます。将来のG1馬が、ジャパンCの裏で誕生することを願いたく思います。

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