「建国記念の日」って祝日があるけど、あれも季語なんですか? 季語だとしたら季節は冬? それとも春?
この記事では、日本の祝日『建国記念の日』(+戦前の「紀元節」)からウィキペディアなどを参考にまとめていき、俳句歳時記にある例句などを通じて本意に迫っていきたいと思います。
建国記念の日(けんこくきねんのひ)(きげんせつ)は、日本の国民の祝日の一つ。祝日法により存在は定められたが、祝日法ではなく政令で定められた日付は2月11日。1966年(昭和41年)制定。紀元節をもって世界最古の国となっている。
世界で「建国記念日」を法律で定めて祝日とする国家は多いが、何をもって建国記念日とするかは、国によって異なる。
建国記念の日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィキペディアに学ぶ「建国記念の日」
(1873~1948年)紀元節
日本では、建国の日が明確ではないが、建国をしのぶ日として法律に基づき「建国記念の日」が定められた。日付は政令に基づき、建国神話(日本神話)を基に日本建国日とされている紀元節「紀元前660年2月11日」と同じ日にされた。
2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀によれば辛酉年春正月、庚辰朔、すなわち、1月1日 (旧暦)(『日本書紀』卷第三、神武紀 「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」)とあり、その月日を明治に入り、グレゴリオ暦での具体的な日付として推定したものである。
戦前は宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀(紀元節祭)が行われていたが、GHQの圧力で1948年(昭和23年)に停止され、翌年からは「臨時御拝(りんじごはい)」として天皇が宮中三殿に拝礼し、神武天皇が建立した橿原神宮に勅使を派遣している。
( 同上 )
近代の「俳句歳時記」が編まれ始めた頃は、まだ『紀元節』だったこともあり、かつての俳句歳時記やその例句には『紀元節』という季語のものが多く含まれていることも後ほどの節に関係してきます。
(1949~1966年)非祝日の期間
紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第1党の日本社会党が保守政党の反動的行為であるとして反対した為、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。
その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。1963年(昭和38年)6月20日には、衆議院内閣委員会において、委員長永山忠則が法案の強行採決を行ったが、これに抵抗した社会党議員らに体当たりされ、入院するという一幕もあった。
具体的に何月何日を記念日とするかについても、議論があった。(後略)
結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。
( 同上 )
といった経緯があるので、「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」なのだそうです。※ただ、俳句歳時記では音数的に中七などに収めやすくなる関係から「建国記念日」を使うケースも散見されます。
ちなみに、ウィキペディアには1966年当時の世論調査の結果があったので、表形式にしてみます。
位 | % | 日付 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 47.4 | 2月11日 | もとの紀元節の日 |
2 | 12.1 | いつでもよい | |
3 | 10.4 | 5月3日 | 日本国憲法施行の日 – 憲法記念日 |
4 | 7.5 | わからない | |
5 | 6.1 | 4月3日 | 聖徳太子の十七条憲法発布の日 |
6 | 5.8 | 4月28日 | サンフランシスコ講和条約発効の日 |
7 | 3.1 | 特定の日ではなく、季節、月など | |
8 | 2.1 | 質問の趣旨にそわない回答をした者 | |
9 | 2.1 | 8月15日 | いわゆる終戦の日、終戦記念日 |
10 | 1.4 | その他の日(旧正月、4月1日、11月3日 他) | |
11 | 1.3 | 1月1日 | 元日 |
12 | 0.5 | 立春の日 | |
13 | 0.1 | 1月3日 | もとの元始祭の日 |
そもそもこれだけの案(本質的には政党による案が含まれていたので、世論調査的な意味合いもあったことは留意)があり、ひょっとしたら「2月11日」(=季節も初春)で無かった可能性があることを、令和の時代に今一度確認しておきたく思いました。
同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第2条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない。」と定めた。当の「建国記念日審議会」は、学識経験者等からなり、総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が1966年(昭和41年)12月9日に提出された。
( 同上 )
同日、佐藤内閣は「建国記念の日は、二月十一日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を定めて公布し、即日施行した。
(1967年~)「建国記念の日」
当日は、各地の神社仏閣(神道神社・仏教寺院)にて「建国祭」などの祭りが執り行われる。政府主催の式典はないが、「日本の建国を祝う会」が主催する「建国記念の日奉祝中央式典」が2020年頃には毎年開かれ、駐日大使の参列もある。
( 同上 )
俳句歳時記にみる2月11日の例句
ではここから、俳句歳時記にみる例句を見ていきます。季語としては以上の経緯が傍題を含め複数あるので、ここでは明示せず、作品から時代の移ろいを感じていきたいと思います。
「紀元節」を詠んだ例句
まずは明治生まれの俳人の作品から『紀元節』の句を取り上げます。
そして、俳句歳時記では「建国記念の日」を主季語としている一方で、それを読み込んだ句は極端に少なく、「建国の日」もしくは「建国日」が主流となっています。例えば、
「の」を入れることでリズムが生まれたり、あるいは柔らかい感じになることを期待した面もありそうです。そして、『建国日』となると漢語の固いイメージとなっていきます。例えば、
そして令和の典拠の際にも話題になりましたが、旧暦1月にして新暦2月頃という季節柄、この紀元節の傍題には『梅花節』や『梅佳節』というものがありました。例句を引きますと、
このように、今や影が薄くなってしまっている「建国記念の日/紀元節」という季語を、改めて味わい直すというのも素敵な祝日の過ごし方ではないかと感じました。皆さんはどの句がお好きですか? ぜひコメント欄にお寄せ下さい。
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