Rxヒットアーティスト列伝「小畑実」

【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは、「小畑実(おばた・みのる)」さんです。

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ウィキペディアにみる「小畑実」さんについて

小畑実さんは、数少ない「1940年代前半」デビューのアーティストで、戦後である昭和20年代を中心に活躍されました。NHK紅白歌合戦に3度出場した後、55歳の若さで亡くなるまで、場所を問わず精力的な活動をされました。

ここからは、私(Rx)独自のヒット指標で全盛期と言っても良い昭和前半のヒット曲を見ていきます。

Rxヒット指標的な上位3曲

得点がプラチナ級ともいえる25万ptを突破している楽曲として、以下の4曲を取り上げましょう。

『星影の小径』が20万枚の売上だったとの「ウィキペディア」の記載をもとに、カバーアーティスト数から「レコード売上」の黄色網掛け部分は推定値。再生回数はYouTubeの視聴回数「÷10(万)」換算。

1位:(1942年)100万pt『婦系図の歌/湯島の白梅』

後にビクターへ移籍し、1942年に藤原亮子とデュエットした『婦系図の歌(湯島の白梅)』が出世作となる。

( 同上 )

そして、この『婦系図』というのは、1939年に亡くなった文豪・泉鏡花の小説を原作とした映画です。昭和の前半には小説の映像化作品の定番となっていました。ドラマ・映画主題歌の戦中の名曲ですね。

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YouTubeでは、様々なアーティストにカバーされると共に、カラオケ音源などが世界的に視聴されていて、そこで大きく得点を伸ばし、小畑実さんの楽曲では唯一の「100万pt」相当(ミリオン)に達しています。

2位:(1943年)70万pt『勘太郎月夜唄』

『影かやなぎか 勘太郎さんか~♪』という歌い出しのフレーズが印象的な『勘太郎月夜唄』は1943年という戦時体制が激化した時代にあっても、かなり上質な戦時歌謡だったと思います。

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YouTubeの再生回数などは伸び切らないものの、カバーアーティスト数は上位2選に次ぐ約40組となっており、『股旅もの』(?)というか、時代ものというかの決定版となっていますね。

2位:(1950年)70万pt『星影の小径』

細かく定義づけするのが難しいので、暫定2位タイとしたのが、戦後のヒット曲『星影の小径』です。

特に『星影の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチックな旋律と「アイ・ラブ・ユー」という英語を歌詞に用いた斬新さに加え、小畑の歌唱の特徴が生かされた傑作でもある。

小畑実 (歌手)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そしてこの曲が、トータルでは「カバーアーティスト数」では最多となっています。それに大きく貢献したのが、

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昭和の後半にカバーされ、CMなどにも起用された「ちあきなおみ」さんバージョンでしょう。個人的には、この曲を(おそらくアウディのオシャレな)CMで知ったと思います。

小畑実さんの楽曲は男性中心にカバーされてきましたが、この『星影の小径』は「ちあきなおみ」さんにカバーされたことによって、男性も女性もカバーしやすくなりカバーアーティスト数でも得点を稼いでいます。厳密には得点を区別して計上すべきかも知れませんが、今回は原曲を尊重して2位タイとしました。

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ちなみに、再生回数では「ちあきなおみ」さんバージョンなどが圧倒的シェアを占めていて、小畑実さんが原曲だということを知り得ないレベルとなっています。なので再生回数では得点計上していませんが、どちらのバージョンも大人なのでぜひ聴き比べてみて下さい。

その他のヒット曲について

終戦後には活躍が本格的となる。テイチク→キング→コロムビア→古巣・ビクターと所属会社を転々としたが、甘いクルーナー唱法で『小判鮫の唄』『薔薇を召しませ』『アメリカ通いの白い船』『長崎のザボン売り』『高原の駅よさようなら』『山の端に月の出る頃』『青い流れに』『ロンドンの街角で』『花の三度笠』など太平洋戦争後に多くのヒット曲を飛ばした。

『平凡』の人気投票で美空ひばりと共に男女の1位を続けたが、1957年に春日八郎・三橋美智也の台頭で首位から陥落し、これを機に同年の第8回NHK紅白歌合戦出場を最後に一度引退。

……昭和50年代に入った頃から「もう一度ヒットを出したい」と車で地方に出向き、みかん箱の上に乗ってマイク無しで新曲を歌ってレコードを手売りする歌の行商を始めた。ゆるぎない地位を築いている往年の大歌手が、それらを半ば投げ捨て、出たての新人のようなキャンペーンをするということは多くの波紋を呼んだが、奮闘の甲斐があってか『星のない渚』『湯の町しぐれ』はヒットを記録した。その傍らでステージ活動や刑務所の慰問、後進の指導にも精力的に取り組んだ。

小畑実 (歌手)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『多くのヒット曲を飛ばした』という記述があるだけあって、本文だけで10曲以上が取り上げられています。それだけ人気もあり、ヒット曲があったのが【小畑実】さんです。

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