Rxヒットクリエイター列伝 ~中野忠晴~

【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき作詞家・作曲家などのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは、「中野忠晴」さんです。

created by Rinker
¥2,530 (2024/04/17 14:08:36時点 楽天市場調べ-詳細)

中野 忠晴(なかの ただはる、1909年明治42年)5月27日 – 1970年昭和45年)2月19日) は、愛媛県大洲市出身の歌手作曲家服部良一ディック・ミネとともにアメリカのポピュラーソングを戦前期の日本に広め、和製ポップスの基礎を築く。

中野忠晴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』( 以下省略 )

人物

歌手時代(戦前)

実父がキリスト教会の牧師(オルガン演奏家)だった影響もあり、地元キリスト教会の賛美歌合唱隊に所属していた。武蔵野音楽学校(現:武蔵野音楽大学)在学中にニッポンレコードでレコードの吹き込みのアルバイトをしていたことと、1932年春の音楽学校声楽科の新卒業生を集めて行われた新人音楽会で、クルト・ワイル三文オペラ中の歌、「マック・ザ・ナイフ」を歌って脚光を浴びたことがきっかけで、作曲家・山田耕筰にスカウトされ、日本コロムビアに入社する。

コロムビアに入社した当初は、日本ビクターレコード(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)所属の徳山璉のライバルとしてデビュー。

当初は歌謡曲路線を中心に活動していたが、アメリカのジャズコーラスユニット「ミルスブラザーズ」の影響を受け、コロムビア(ナカノ)リズムボーイズという中野が培ったジャズ・コーラス・グループを結成。1934(昭和9)年、彼らをバックに歌った「山の人気者」が大ヒットし、ジャズコーラスのジャンルを日本に定着させた。ほかのヒット曲には『バンジョーで唄えば』『チャイナ・タンゴ』(いずれも服部良一作曲)『ダイナ』『小さな喫茶店』。

ロサンゼルスオリンピック日本選手団応援歌の「走れ大地を」などがある。また、六甲颪の愛称で知られる大阪(阪神)タイガースの歌を初めて吹き込んだのも中野であった。

戦争の激化とともにジャズが制限され1941(昭和16)年ごろにはリズムボーイズが解散。以後は音楽活動も芳しくなく慰問活動で唄うぐらいであった。戦時中は高知の土佐(中部第八十四部隊)に召集された。幸いにも無事帰還する。

作曲家時代(戦後)

戦後は自身が喉を傷めたこともあり歌手活動から引退してキングレコードに移籍、主に作曲活動を中心にして当時の人気歌手である江利チエミ松島詩子若原一郎三橋美智也春日八郎らに楽曲を提供し続けた。作品としては三橋美智也が歌った「達者でナ」「赤い夕陽の故郷」。若原一郎の「おーい中村君」。松島詩子「喫茶店の片隅で」などがある。

その後も歌手として再びステージに復帰することなく1970年2月肺癌のため60歳で永眠する。

Rxヒット指標にみる「中野忠晴」制作の代表曲

私の(Rx)の独自指標をもとに振り返ってみると、売上が突出している『三橋美智也』さんの得点が抜けています。ミリオン相当の大ヒット曲は、いずれも三橋美智也さんの楽曲となりました。

全体1位:達者でナ/三橋美智也

全体1位は、レコード売上が200万枚を突破したといわれる『達者でナ』。1960年のNHK紅白歌合戦で自身3度目のトリ(大トリは初)を飾った著名曲です。

中野忠晴さんは何十曲も三橋美智也さんに提供していますが、その中でも上の表で示した3曲は、累計100万ptを超えるミリオン相当のヒットとなっています。

全体4位:おーい中村君/若原一郎

1948年NHKのど自慢で入賞し、翌1949年キングレコードから「船に灯がつきゃ」でデビューする。若原も伸びのある美声に豊かな声量、歌の歯切れの良さにはデビュー当時から定評があったものの、ヒットが出ず、長い下積み時代が続いた。

1956年に「吹けば飛ぶよな」がヒットすると一躍名が知られるようになり、同年に「風の吹きよで」でNHK紅白歌合戦へ初出場を果たす。この年から5回連続で出場している。

1958年に「おーい中村君」を発売し、50万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。

若原一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
created by Rinker
¥1,400 (2024/04/17 21:55:49時点 楽天市場調べ-詳細)

三橋美智也さんを除いた楽曲の中で最も高得点なのは、恐らく、昭和33年にヒットした「おーい中村君」ではないかと思います。この時代を反映したサラリーマン・ソングですが、これほどまでにキャッチーで明るいメロディーは、非常に印象的だったかと思います。

この翌年に、春日八郎さんが歌った『東京の蟻』(← 個人的に大好き)は、対照的にややシリアスで、哀愁の漂う楽曲となっています。「中野忠晴」さんの持つ引き出しの多さを感じますね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました