【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは、「菅原洋一」さんです。
菅原 洋一(すがわら よういち、1933年(昭和8年)8月21日 – )は、日本の男性歌手。兵庫県加古川市出身。兵庫県立加古川東高等学校卒業。国立音楽大学大学院修了。
菅原洋一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rxヒット指標にみる「菅原洋一」さんの代表曲
まず、私(Rx)のヒット指標にみる「菅原洋一」さんの代表曲をみていきましょう。こちらです(↓)
ちなみに集計方法や企画の主旨については、下の記事に纏めてありますので初見の方はぜひご覧下さい(↓)。
3位:70万pt(1965年)恋心
- 国立音楽大学卒業後、1958年にタンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」に参加し、歌手デビューをする。
- 1962年、ポリドールよりレコードデビューするが、しばらくの間はヒット作に恵まれない不遇を味わった。
- 1965年、小澤音楽事務所参画メンバーとなり、所属していた(後に独立)。
恋心(原題:L’amour, C’est pour rien ) -アルジェリア生まれのエンリコ・マシアスによるシャンソン。日本語訳詞によって越路吹雪や岸洋子、菅原洋一などにも歌われた。訳詞は永田文夫によるもの(越路・岸ほか)となかにし礼によるもの(菅原)とがある。
恋心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今から約60年前にデビューし、男性の歌う同曲の代名詞的な存在となるヒットとなったのが、1965年に発表された“なかにし礼”バージョンの『恋心』です。
1位:170万pt(1965・67年)『知りたくないの』
日本では、まずエディ・アーノルドのバージョンが『たそがれのワルツ』という曲名でヒットしたが、1964年になかにし礼が『知りたくないの』という曲名で日本語詞をつけ、菅原洋一が歌って1965年に発表されたバージョンが、1967年になってからヒット曲となった。
菅原盤は1965年10月に「恋心」のB面として発売されたが、1967年にジャケットを入れ替えて再発、有線放送をきっかけに同年春から夏にかけて大ヒットし、80万枚を超える売上を記録した。なかにし礼にとっては、作詞家としての最初の成功作となった。
知りたくないの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カバー楽曲としては最大ヒットとなったのが、この『知りたくないの』でしょう。昭和年間の後半に、22年連続「NHK紅白歌合戦」出場という偉業を成し遂げた菅原さんの初出場楽曲が、この『知りたくないの』でした。本人の中で、最多の3度歌っているのが本曲でもあります。
2位:130万pt(1967・69年)『今日でお別れ』
1968年に「誰もいない」で第10回日本レコード大賞歌唱賞、
( 同上 )
1970年には「今日でお別れ」の大ヒットにより第12回日本レコード大賞を受賞し、実力派シンガーとして確固たる地位を確立。
その後「愛のフィナーレ」(1970年)、「忘れな草をあたなに」(1971年)、「愛の嵐」(1974年)などの曲がヒットした。
このジャンルからは数少ない「日本レコード大賞」の“大賞”を受賞している『今日でお別れ』は、菅原さんのオリジナル曲としては最大のヒットとなっています。オリコンチャートでは、1970年の年間チャートで8位(Top10入り)を果たしています。
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