【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「七夕賞」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。
七夕賞(たなばたしょう)は、日本中央競馬会(JRA)が福島競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。
競走名の「七夕」は五節句のひとつで、7月7日の行事。織姫星に女性が技芸の上達を祈れば叶えられるとされ、奈良時代から貴族社会では星祭りをしていたといわれる。近世では民間にも普及し、現代でも各地で祭事が行われている。
七夕賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1960年代:8月に創設 → 10月に移った「七夕賞」
- 1965年に4歳(現3歳)以上の馬による重賞競走として創設。第1回は福島競馬場の芝1800mで施行された。
「七夕賞」は、昭和40年(1965年)に夏の福島開催で「福島記念」と共に創設された重賞です。当初は1800m戦でしたが、発足時から「夏の福島で行われる古馬中距離重賞」という立ち位置は同じです。
但し、開催時期は初回が8月15日、第4回は少し繰り上がって7月28日と今よりも1ヶ月ほど遅かったことは特徴的かも知れません。それでも、福島県に隣接する宮城県の行事に『仙台七夕』がある様に、いわゆる「月遅れ」または「旧暦基準」での『七夕』と捉えれば極端な違和感はありませんでした。
それが、「スタンド改築工事」が行われた1969年には秋10月の開催となったあたりから、トレンドが大きく変わることとなりました(後述します)。
レース結果を見ると、初回は4頭立て(ローカル重賞としては致し方ないところだったか)で、牝馬の【パナソニツク】が58kgで勝利しています。初夏に安田記念を6馬身差の圧勝で飾ると、そこから各地を転戦して4連勝目がこの七夕賞でした(最終的に連勝は5まで伸ばす)。
第3回には、メイズイと共にクラシック戦線を沸かせ、菊花賞馬となった【グレートヨルカ】が2年の休養を経て戦線復帰して更にそこから2年が経過。現7歳で生涯最後の連対を果たしたのがこの七夕賞でもありました。
1970年代:8・10月で定着し「東北記念」に改称
1970年には姉・ハクセツ、1971年には妹・ジョセツが連覇をした「七夕賞」ですが、その開催時期は大きく異なっていました。1970年は7月5日とこれまでで最も早く(新暦七夕前)、1971年には10月開催となりました。1972~74年は8月開催に戻り、
1969年・1971年ならびに1975年から1979年は10月に開催されたが、施行時期が名称に合わないことから、1976年から1979年は競走名を「東北記念」に改称して施行。
( 同上 )
ノボルトウコウが優勝した1975年から5年間は、またも10月開催となりました。この5年間に関しては、やはり『七夕賞』という名称が時期と合わないということで「東北記念」と改称されていました。
ちなみに上のようなレースは、地方競馬の岩手・上山競馬場・新潟県競馬組合 などによって開催されていた別物ですが、やはり東北の地で行われる重賞には「東北」と関したくなる傾向があるようです。
1980年代:7月前半開催、GIIIに格付け
その後、1980年からは施行時期が夏季開催に戻されたことから「七夕賞」の名称が復活し、あわせて施行距離も芝2000mに変更した。1984年からグレード制施行により、GIIIに格付け。
( 同上 )
1980年には10年ぶりに7月開催となり、それから40年以上は7月上旬開催で定着します。ある意味、そもそも7月開催じゃなかった時代が長かったことを知らない方のほうが多いと思われます。
グレード制が導入され、GIIIに格付けされた1984年は、1400万下条件戦で連対もできていなかった53kgの【ホクトキンパイ】が優勝。16頭立ての最低人気で、“単勝万馬券”になったと伝わります。
そして、1979年までの15回中14回が良馬場だったのに対し、1980年代の10回のうちで良馬場は僅か3回と、梅雨時の開催による馬場の渋りが顕著になって現代に至ります。
1990年代:ツインターボが初の2分切り
ローカル重賞ではあるものの、GI・重賞路線で活躍する名前が多くみられる1990年代の七夕賞。最も知られているのは、1993年の【ツインターボ】でしょう。
7月に入り、良績を挙げていた福島競馬場で行われる七夕賞に出走。従来見られたスタートの遅さを解消するため、本競走からスタート巧者であり、逃げ戦法を得意とする中舘英二が鞍上に迎えられた。中舘自身、新馬戦からツインターボの走りに注目し、「一度乗ってみたい」と考えていたという。
当日は福島競馬場の入場人員記録となる47391人が集まり、この中で中舘ツインターボは前半1000メートルを57秒4というハイペースで大逃げを打った。そのままゴールまで失速することなく、2着アイルトンシンボリに4馬身差を付けて逃げ切り、約2年ぶりの勝利を挙げた。中舘はこのときのレース振りを「僕は掴まっていただけ。馬が勝手に鮮やかに勝っちゃった」と語っている。
ツインターボ (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- 1993年:1.59.5(55.0kg)ツインターボ
- 1995年:2.02.2(58.5kg)フジヤマケンザン
- 1996年:1.59.0(55.0kg)サクラエイコウオー【中山開催】
- 1997年:2.00.3(58.0kg)マイネルブリッジ
- 1998年:1.59.2(57.0kg)オフサイドトラップ
フジヤマケンザンはこの年の年末に香港国際Cを優勝していますし、オフサイドトラップは七夕賞を起点に3連勝で天皇賞(秋)を制しています。
2000年代:1番人気の連敗ストップ、初の連覇馬も
1979年に現3歳馬・タケノテンジンが勝って以来、2つの記録が続いてきました。1つは現3歳馬の未勝利で、これは令和の時代まで40年以上続いています。(もっと長い記録は他重賞にあり。)
一方、1979年から2004年まで26年間続いていたのが「1番人気の連敗記録」です。これを止めたのが2005年に1番人気に支持された【ダイワレイダース】で、1978年の【カミノハヤブサ】以来、実に27年ぶりの1番人気の勝利となりました。
また、2002年には【イーグルカフェ】が、「NHKマイルC」以来2年ぶりの優勝を果たすと、その年末にはジャパンCダートに挑戦してGI2勝目。また「小倉の鬼」として知られた【メイショウカイドウ】は2006年に59kgで七夕賞を制し、小倉以外での重賞の唯一の勝利となりました。
そして、2008年から2009年にかけて【ミヤビランベリ】が七夕賞初の連覇を決めています。
2010年代:2桁人気3勝も本命サイドも復調
2010年のドモナラズ、2012年のアスカクリチャン、2018年のメドウラークは2桁人気で優勝しています。一方で、2005年から「夏季五輪の翌年は1番人気が勝つ」というジンクス(アノマリー)は2017年まで続き、その他の年も、特に2010年代後半からは3番人気以内の優勝が増えています。
年 | レースR | 勝ち馬 | 斤量 |
---|---|---|---|
2016 | 105.50 | アルバートドック | 57kg |
2017 | 108.00 | ゼーヴィント | 57kg |
2018 | 100.75 | メドウラーク | 54kg |
2019 | 106.25 | ミッキースワロー | 57.5kg |
2020 | 108.00 | クレッシェンドラヴ | 57kg |
2021 | 108.00 | トーラスジェミニ | 57kg |
2022 |
2018年以外は57kg台の馬が人気サイドの中で勝っています。レースレーティングをみても、その2018年は100.75ポンドとオープン並みの低レートでしたが、その他の年は「GIIIの目安:105ポンド」を超えていて、2017・2020・2021年は108ポンドとGIIに近い水準となっています。
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