旧震度「父島」(小笠原村父島西町)

【はじめに】
この記事では、気象官署「父島(小笠原村父島西町)」で観測された過去の強烈な揺れをまとめていきます。

父島気象観測所(ちちじまきしょうかんそくじょ)は、東京都小笠原支庁小笠原村父島にある気象観測所である。気象観測を行っている。

父島気象観測所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

震度1以上(有感地震)は10年で100回前後

まずは他の地点と同じく、データが固まっているはずの1920年代から2010年代までを「10年間」ごとに区切って表にしてみましたので、こちらからご確認ください。(↓)

期間震度1震度2震度3震度4合計
1910年代8311
1920年代634168
1930年代501610177
1940年代2213237
1950年代0
1960年代0
1970年代34155155
1980年代104438155
1990年代69299107
2000年代71173192
2010年代73152292
合計494155405694
気象庁 震度データベース検索 (震度5弱~震度7を削除する加工をした上で画像引用)
・地震の発生日時 : 1919/01/01 00:00 ~ 2019/12/31 23:59
・観測された震度 : 小笠原村父島西町 で 震度1以上 を観測
・地震回数の集計 : 年代別回数

平成以降は、約100回で推移していて、10年間を単純平均すると「年に有感地震は10回前後」で、月に1回あるかどうかという計算結果になります。体感の時代も数十回程度で推移していたようです。

しかし、1950~60年代が「0回」という表示になっていることが気になります。これは「小笠原村」の歴史をご存知ならばすぐに理由が想像できるかと思います。気象庁の「父島気象観測所」のページを抜粋してみましょう。

気象庁ホーム > 地域の情報 > 東京都 > 沿革

  • 戦前
    • 明治29年(1896年),中央気象台が小笠原島庁職員に業務を委託、観測開始。
    • 明治36年(1903年),八丈島庁職員に観測業務を委託。
    • 明治39年(1906年),中央気象台が「小笠原測候所」開設、1日3回の気象電報を発信。
    • 明治40年(1907年),「父島測候所」に改称。
    • 大正  9年(1920年),「中央気象台付属父島測候所」に改称。
    • 昭和20年(1945年),測候所員全員内地へ引揚げにより観測中止。
    • 昭和21年(1946年),「父島測候所」廃止。
  • 戦後
    • 昭和43年(1968年),小笠原諸島の日本返還に伴い、気象庁が「父島気象観測所」を設置し、米国海軍気象隊より気象観測業務を引継ぐ。
    • 昭和49年(1974年),父島三日月山、地震観測開始。

気象庁の「震度データベース検索」を年単位で調べてみると、1945年から1973年まで「0回」が並んでいました。(厳密には疑問が解消されるどころか深まってしまうのですが、)おおよそ観測を中止していた期間があるということを念頭に置きつつ、過去の震度観測の歴史を振り返っていくことにしましょう。

震度4(中震):6回(ここ半世紀で5回)

実は「小笠原(父島西町)」で、震度5弱以上を観測したことがありません。最高でも震度4(中震)です。過去の6回(うち本土復帰後で5回)の事例をリストアップしておきます。

地震の発生日時震央地名深さ最大震度「父島」
1933/06/06 15:44:47.3父島近海0 km5.7震度4震度4
1978/03/16 07:04:42.3小笠原諸島西方沖280 km6.6震度4震度4
2001/09/13 07:23:48.4父島近海41 km5.9震度4震度4
2010/12/22 02:19:37.2父島近海8 km7.8震度4震度4
2015/05/30 20:23:02.2小笠原諸島西方沖682 km8.1震度5強震度4
2022/01/04 06:08:51.5父島近海77 km6.1震度5強震度4
気象庁 震度データベース検索
・地震の発生日時 : 1919/01/01 00:00 ~ 2022/06/24 23:59
・観測された震度 : 小笠原村父島西町 で 震度4以上 を観測
・検索結果地震数 : 6 地震 (「地震の発生日時の古い順」で検索)

深さに違いはありますが、震源位置は殆ど「伊豆・小笠原海溝」を挟んで、北緯22~25度付近に固まっています。すなわち、小笠原から離れた場所で起きた地震では震度3までしか観測していないということになります。

深い地震では2015年に起きた巨大地震で、浅い地震では2022年1月に起きた地震で最大震度5強を観測しているのですが、「小笠原村父島西町」の観測点に限ると、どちらも震度4止まりでした。

ちなみに、USGS(アメリカ地質調査所)によると、例えば1955年12月に母島の東側で、深さ10km、マグニチュード6.9の地震が起きていますが、当時は本土復帰前で観測情報が気象庁のデータベースにないため、仮に震度4以上の揺れに襲われていたとしても、これだけでは分かりません。

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