【はじめに】
この記事では、山口県の内陸部を震源として起きた過去の地震についてまとめていきます。確かに地震がそこまで多くない印象のある山口県ですが、実際どんな感じなのか一緒に見ていきましょう。
有感地震は、約100年で100回あまりの観測歴
早速、気象庁の震度データベース検索を、以下の条件で検索してみた結果を表示します。こちらです。
震度1以上(小規模な地震を含む)に拡大すると、こうしてみると、本当に満遍なくというか、一部を除いて地域は限定せず散発的に発生していることが画像からも分かります。
同じく、震度データベース検索から、2022年4月21日までの地震回数を、10年代ごとに集計してみました。下の表をご覧ください。(注意点も多いので合わせて解説していきます)
一見すると、1990年代以降に急増しているようにも見えます。たしかに後述するとおり、1990年代には1度大きな地震があったことも影響していますが、基本的に「震度観測点」が増えたことで、小さい地震でも揺れを観測しやすくなったことの影響が、「震度1以上」という基準だと大きいです。
震度観測点が昔は少なかったことに注意
今でこそ殆どの市町村に震度観測点が設置されていますが、四半世紀ぐらい前までは、気象台の職員が体感で震度を観測していました。(下の記事も参考にしていただければと思いますが)
山口県内で昭和までに観測歴があったのは、「気象庁震度観測点一覧表」によると以下のとおりです。
地域 | 観測点 | 観測期間 | 備 考 |
---|---|---|---|
山口県北部 | 萩 | 1948~ | |
山口県西部 | 下関 | 1922~ | |
山口県中部 | 山口 | 1966~ | 山口通報所としては1955年~ |
山口県中部 | 防府 | 1946~1969 | 防府通報所として |
以上4地点しかなく、山口県東部は「広島県呉」の観測点がその役目を代用している様な状況でした。上に示した「10年代ごとの有感地震の回数」も、上の4地点での観測数をカウントしただけであり、今の密な観測網とは大きく異なる点に注意が必要です。
また、戦前(1940年代前半以前)に関しては、山口県の西端にある「下関地方気象台」でしか観測されていないことから、県内の内陸部を震源とする地震は、よっぽど大きくなければ有感にならずカウントされていなかったと見られる点にも注意が必要です。
ですから、上の回数の表に戻ると、2000・2010年代という直近10年間が10回台となっていますので、足許の状況からして、「年に1回(多い年は3~4回)」というのが平均的な値という事になります。
M4以上の有感地震は約100年で十数回
ではもう少し目立った地震に注目していきましょう。少し基準を高めて「M4以上」としてみます。
実は、2008年から十数年間、内陸部を震源とするM4クラスの地震は起きておらず、2022年4月23日に起きた事例が県内14年ぶりということになるのです。たしかにこうして見ると珍しいですね。
大半は震度2~3に留まっていて、気象庁の「震度データベース検索」に基づくと震度4が1回、震度5強が1回という数字になっています。これはやはり少ない部類と見て良いでしょう。
ではもう少し基準をあげて、M5(中規模地震)クラス以上を見ていくことにします。
M5以上の中規模地震は、昭和以降で3例のみ
山陰地方では大地震が時折発生しているのですが、山陽から山口県にかけては比較的、規模の大きめな地震は少なく、山口県でも内陸部を震源とするM5以上の中規模地震は、昭和以降で3例のみです。
震度観測点の有無にも左右されていそうな印象はありますが、3例とも「ごく浅い」部類の地震です。1997年の山口県の地震が近年では最大級であり、M6.6・震度5強(以上)となりました。この時は、長野県「諏訪」でも震度2を観測するなど西日本のほぼ全域が有感となっています。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
そして、一つ戻って1987年については、山口市の直下(M5.4・深さ8km)で起きた地震であり、山口で震度4、下関で震度3を観測しています。
さらにもう一つ戻って1941年4月6日の事例です。この地震が取り上げられることは非常に少ないかと思うのですが、震源要素を見ますと、深さ2kmでM6.2ですから、1997年の地震とほぼ同じくらいの揺れとなっていたと想像されます。或いは震央も真上では現在でいう震度6級はあったと思われますね。
この年は、震度6を実測した「長野地震」や、11月に起きた「日向灘地震」など顕著な地震が多いため振り返られることは少ないですが、こういった規模の大きめな地震が起きてきたことを決して忘れてはいけないと思います。(昔の「震度3」って言われている地震も軽視はできないともいえますね。)
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