【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「ダービー卿CT」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。
ダービー卿チャレンジトロフィー(ダービーきょうチャレンジトロフィー)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GIII)である。
ダービー卿チャレンジトロフィー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和時代:
1969~1980年:東京1800m時代
1969年に、イギリスからレスター・ピゴットなど騎手3名を招いて東京競馬場と京都競馬場で「英国騎手招待競走」が4競走行われた際、そのひとつの競走に第18代ダービー卿エドワード・ジョン・スタンリー伯爵からトロフィーの寄贈を受けたことを記念し、「ダービー卿チャレンジトロフィー」が創設された(このときのみ回次が振られず、「第2回英国騎手招待」の副称がつけられた)。
( 同上 )
第1回(1969年)は11月に開催され、1番人気のニットエイトにはピゴット騎手、2番人気のヒカルタカイにはジョンソン騎手が騎乗、しかし3・6着と連対を果たせず、斤量のやや軽い56kgだった2頭がワンツーとなりました。
当時のレーシングカレンダーを見ると、翌週に「天皇賞(秋)」が開催されますが3200mという長距離戦であり、京都記念も2400mなどだったことを考えると、この1800mという中距離の古馬重賞は貴重でした。だからこそ、重賞クラスの馬が初期から多く揃ったのだと思われます。
そして開催時期が11月だったこともあって、「菊花賞」という3000mに挑まなかった現3歳勢も出走し、むしろ古馬よりも軽い斤量で出走できた若い素質馬が優勝していった傾向が1970年代を通じて起こりました。今で言う「毎日王冠」から「天皇賞(秋)2000m」や「マイルCS」に挑むような陣営がこの時期の「ダービー卿CT」に挑んでいたのではないかなと想像します。
1980~1989年:中山開催時代
1981年に「ジャパンC」が創設されると、それに沿って「ジャパンC」の翌週の中山開催に移設され、その翌年から12月第1週に移ります。
そして、距離は1983年までは1800mでしたが、1984年のグレード制導入(G3格付け)のタイミングで1600m戦となりました。これは半月前に「マイルCS」というG1が開催されることを踏まえると、一気に層が薄くなってしまうことに繋がりました。
第12回 | 1980年11月16日 | 東京 | 1800m | ニチドウアラシ | 牡4 |
第13回 | 1981年11月29日 | 中山 | 1800m | タケノハッピー | 牝4 |
第14回 | 1982年12月5日 | 中山 | 1800m | トウショウゴッド | 牡5 |
第15回 | 1983年12月4日 | 中山 | 1800m | テュデナムキング | 牡3 |
第16回 | 1984年12月2日 | 中山 | 1600m | トウショウペガサス | 牡5 |
第17回 | 1985年12月1日 | 中山 | 1600m | スズパレード | 牡4 |
第18回 | 1986年11月30日 | 中山 | 1600m | スズパレード | 牡5 |
第19回 | 1987年12月11日 | 中山 | 1600m | ウインドストース | 牡4 |
第20回 | 1988年12月4日 | 中山 | 1600m | ウインドストース | 牡5 |
第21回 | 1989年12月3日 | 中山 | 1600m | アイビートウコウ | 牡4 |
その結果、連覇を達成する馬がいきなり2頭あらわれ、しかも斤量が比較的重たくても(58~60kg)、その適性で勝ちきってしまう事例が出てきていたことは注目に値すると思います。
平成・令和時代:
1990~1995年:春の短距離戦に大変革
マイルCSの半月後のマイル重賞ではメンバーが揃わないということもあるし、春の短距離~マイル路線の拡充を目的に、1990年、春(3~4月)の中山開催に移設され、春1200m重賞に変化を遂げます。
第22回 | 1990年3月18日 | 中山 | 1200m | ヤマノタンポポ | 牝4 |
第23回 | 1991年3月17日 | 中山 | 1200m | ナイスパーワー | 牡4 |
第24回 | 1992年4月5日 | 中山 | 1200m | トモエリージェント | 牡4 |
第25回 | 1993年4月4日 | 中山 | 1200m | トモエリージェント | 牡5 |
第26回 | 1994年4月3日 | 中山 | 1200m | サクラバクシンオー | 牡5 |
第27回 | 1995年4月2日 | 中山 | 1200m | オギティファニー | 牝4 |
まだ高松宮杯が中距離で行われていた時代ですが、その時は「安田記念」などの1400~1600m重賞に向けたレース帯の一角に迎えられたのです。1994年には、前年に初G1を制した【サクラバクシンオー】が年明け緒戦に選び、58kgでも完勝しています。
1996年~:4月上旬のマイル重賞へ
そして、高松宮杯が短距離G1となり、そのステップレースが整備された1996年からは、距離が1600mに戻され、「安田記念」などに繋がるマイル路線の重賞の一つに組み替えられます。そうなってからの有名馬を何頭かピックアップすると、
第28回 | 1996年4月6日 | 中山 | フジノマッケンオー | 牡5 |
第30回 | 1998年4月11日 | 中山 | ブラックホーク | 牡4 |
第32回 | 2000年4月2日 | 中山 | フサイチエアデール | 牝4 |
第37回 | 2005年4月3日 | 中山 | ダイワメジャー | 牡4 |
第42回 | 2010年4月4日 | 中山 | ショウワモダン | 牡6 |
第45回 | 2013年3月31日 | 中山 | トウケイヘイロー | 牡4 |
第46回 | 2014年4月6日 | 中山 | カレンブラックヒル | 牡5 |
第47回 | 2015年4月5日 | 中山 | モーリス | 牡4 |
この様にG1級の馬も明け4歳などの緒戦として迎えるレースとなっていきました。スプリンターの本貫である「高松宮記念」でなく「ダービー卿CT」を選ぶ馬は、生粋のマイラー~中距離路線の馬だと思います。メンバーを見ても結構そんな感じですよね?
第48回 | 2016年4月3日 | 112.50 | マジックタイム | 牝5 | 1:32.8 |
第49回 | 2017年4月1日 | 106.75 | ロジチャリス | 牡5 | 1:34.7 |
第50回 | 2018年3月31日 | 104.25 | ヒーズインラブ | 牡5 | 1:32.2 |
第51回 | 2019年3月30日 | 112.75 | フィアーノロマーノ | 牡5 | 1:31.7 |
第52回 | 2020年4月4日 | 110.75 | クルーガー | 牡8 | 1:32.8 |
第53回 | 2021年4月3日 | 108.75 | テルツェット | 牝4 | 1:32.6 |
第54回 | 2022年4月2日 | 105.75 | タイムトゥヘヴン | 牡4 | 1:32.3 |
ここ数年のレースレーティングをみても、年によってかなり差があります。2018・2022年は重賞としてもかなり低くなってしまいましたが、ロゴタイプ・サトノアラジンが敗れた2016年、プリモシーン、マイスタイル、ダイアトニックなどが敗れた2019年などはG2に近いレーティングとなっています。
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