Rxヒットアーティスト列伝「春日八郎」

【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは、「春日八郎」さんです。

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春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたなべ みのる)、1924年10月9日 – 1991年10月22日)は、福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身の演歌歌手。『赤いランプの終列車』『お富さん』『別れの一本杉』などが有名である。

春日八郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Rxヒット指標にみる「春日八郎」さんの人気曲

まず、私(Rx)のヒット指標にみる「春日八郎」さんの代表曲をみていきましょう。こちらです(↓)

発売累計pt
レコード

再生

カバー
曲名
1952年100 501040赤いランプの終列車
1954年2201304050お富さん
1955年150 602070別れの一本杉
1963年 80 401030長崎の女
『長崎の女』のレコード売上は他指標からの推計値。その他は公称売上などの記述が参考。各指標については下の記事もご参照ください。

3位:100万pt(1952年)『赤いランプの終列車』

1952年春に恵子の妊娠が判明し、家族のために歌の道をあきらめて新聞社に就職しようとするが、履歴書を見た恵子に「歌をやめたあなたなんて、魅力もなにもないわ」と猛反対されて撤回。8月に恵子の熱意と本人の努力に心を打たれた師、江口が、春日のために新曲『赤いランプの終列車』を作曲した。

自宅でテープに吹き込み、キングレコードに改めて春日を推薦する。闇屋の経歴、過去の女性関係が問題視されるなど、紆余曲折を経てなんとかレコード化、11月に発売。江口曰く、「キングレコードはこの曲を序列では10枚の一番最後としていた位であまり高く取ってはいなかった」。当時の春日の声、唱法は岡と相当に似ていたらしく、改名するにあたっての名付親は作詞家の藤間哲郎であった。たまたま岡宅に祀られている春日大明神の神棚を目にしたことから、「岡さん以上の歌手になれという意味を含めて」春日とし、末広がりの八の字を「運が開くよう」にと名に入れた。

1953年に『赤いランプの終列車』が名古屋から売れ出し、やがて全国的な50万枚の大ヒットになる。三門の前座歌手を卒業し、秋からは当時大人気の先輩歌手であった岡の前座を務めるようになり、生活のメドがようやく立つ。この年の吹き込みは中ヒットとなった『街の燈台』『雨降る街角』を含む12曲で、青木光一三浦洸一と並ぶ歌謡界の若手三羽烏として注目を集めはじめる。

春日八郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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1位:220万pt(1954年)『お富さん』

1954年8月には移籍した岡の代打で歌舞伎狂言『与話情浮名横櫛』に登場する、お富さんと切られの与三郎の掛け合いを歌にした『お富さん』を吹き込む。
諸事情から練習時間は僅か1時間であったらしいが、発売3か月で30万枚、最終的には125万枚を売り上げる空前の大ヒットとなる。
同年末の第5回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした、子供たちまでが意味も知らぬまま「いきなくろべえみこしのまつに」と口ずさむなど、社会現象化。一躍人気スターの仲間入りをする。当初は代打として若原一郎が想定されていた。

( 同上 )

本人は当初『お富さん』での大ヒットを快く思っていなかった様ですが、いずれにしても年末の「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たすほどの大ヒット。資料によっては『戦後初のミリオンヒット』と語られるほど、この1950年代中盤の代表的な話題作となりました。

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2位:150万pt(1955年)『別れの一本杉』

11月に『別れの一本杉』を発売。望郷演歌の嚆矢ともいえるこの歌は、1年半ぶりに60万枚の大ヒット、まだ売り出し中の船村徹を有名にさせた作品にもなった。

それまでの流行歌とは質の異なる望郷歌謡をたて続けにヒットさせ、流行歌の衰退期において「演歌」という新天地を築いた。春日も歌手としての揺るぎない地位を確立し、『別れの一本杉』は生涯の代表曲の一つとなる。この年には「平凡」の人気投票男性歌手部門に初登場し、いきなり2位以下(小畑、田端義夫、津村、岡、藤山)に大差を付けて第1位に輝く。

( 同上 )

俗に日本の心などと伝統的で代表的なジャンルに語られることの多い「演歌」ですが、むしろイメージよりも新しく昭和30年代(戦後)に確立されていったものという認識が正しそうです。

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そして、『お富さん』のイメージを払拭させるヒットとなった『別れの一本杉』の後、春日さんは生涯を通じて、演歌・歌謡のジャンルで歌い続けられました。

歌唱に自信のある(?)王道派を行きたがる演歌歌手の方などが『別れの一本杉』を積極的にカバーしてきたこともあってか、『お富さん』他を上回りカバーアーティスト数では春日さん楽曲の中でトップです。『演歌』部門でのトップヒットはこの『別れの一本杉』と言って良いかと思いますね。

ちなみに、ミリオン相当には達していないものの、1963年にヒットした『長崎の女』が個人的には最も好きかも知れません。林伊佐緒先生のメロディに乗って伸びやかに歌う姿が印象に残っています。

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