【はじめに】
皆さん「ウィキペディア小旅行」へようこそ、ツアーコンダクターのRxです。今回の目的地は中央ヨーロッパの「ハンガリー」です。素敵な旅をお過ごし下さい。
概要
ハンガリー(ハンガリー語: Magyarország)は、中央ヨーロッパの共和制国家。西にオーストリア、スロベニア、北にスロバキア、東にウクライナ、ルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国。首都はブダペストである。基本的には中欧とされるが、歴史的には東欧に分類されたことがある。国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる。
- 公用語:ハンガリー語(マジャル語)
- 首都:ブダペスト(ブダペシュト)
- 面積:93,030km2(107位)
- 人口:966万0000人(93位)
- 通貨:フォリント(HUF)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(以下省略)
国名
正式名称はハンガリー語で、 Magyarország。カタカナの大まかな発音は「マジャル・オルサーグ」。通称、Magyar(マジャル)。
日本語の表記はハンガリーであるが、20世紀中盤まではハンガリアと表記する例も散見された。漢字表記では洪牙利で、洪と略される。中国語では、ハンガリーのフン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴から、匈牙利と表記するようになった。
歴史上、ハンガリー王国は多民族国家であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「マジャル人」という表現が用いられることがある。
「ハンガリー」の語源として一般に認められているのは、俗説にある「フン族」ではなく、7世紀のテュルク系のオノグルという語であり、十本の矢(十部族)を意味する。これは初期のハンガリー人がマジャール人7部族とハザール3部族の連合であったことに由来する。
2012年1月1日より新たな憲法「ハンガリー基本法」が施行され、国名が変更された。
- 1920年 – 1946年 ハンガリー王国
- 1946年 – 1949年 ハンガリー共和国
- 1949年 – 1989年 ハンガリー人民共和国
- 1989年 – 2011年 ハンガリー共和国
- 2012年 – ハンガリー
歴史
詳細は「ハンガリーの歴史」を参照
ハンガリーの国土はハンガリー平原といわれる広大な平原を中心としており、古来さまざまな民族が侵入し、定着してきた。
古代にはパンノニアと呼ばれ、パンノニア族・ダキア人などが住んでいた。紀元前1世紀にはローマに占領され、属州イリュリクムに編入。1世紀中ごろ、属州パンノニアに分離された。4世紀後半にはフン族が侵入、西暦433年に西ローマ帝国によりパンノニアの支配を認められ、フン族によってハンガリーを主要領土(一部現在のブルガリア・ルーマニアを含む)とする独立国家が初めて誕生した。
その後、フン族はアッティラの時代に現在のハンガリーだけではなくローマ帝国の一部も支配下に収めたが、アッティラが40歳で死亡したあと、後継者の不在によりフン族は分裂。結果的に6世紀にはアヴァールの侵入を許す。その後、8世紀にはアヴァールを倒したフランク王国の支配下に移るが、フランク王国はほどなく後退し、9世紀にはウラル山脈を起源とするマジャル人が移住してきた。
ハンガリー王国時代(1000年 – 1918年)
10世紀末に即位したハンガリー人の君主イシュトヴァーン1世は、西暦1000年にキリスト教に改宗し、西ヨーロッパのカトリック諸王国の一員であるハンガリー王国(アールパード朝)を建国した。
ハンガリー王国はやがてトランシルヴァニア、ヴォイヴォディナ、クロアチア、ダルマチアなどを広く支配する大国に発展する。
地理
ハンガリーの国土はカルパティア山脈のふもとに広がるカルパート盆地のうちの平野部をなす。ハンガリー平原またはハンガリー盆地と呼ばれる国土の中心は、中央を流れるドナウ川によってほぼ二分され、東には大きな支流のティサ川も流れている。国土の西部にはヨーロッパでも有数の大湖バラトン湖がある。
また各地に温泉が湧き出ており、公衆浴場が古くから建設・利用されてきた。もっとも温度の高い熱水泉ヘーヴィーズ湖を有するヨーロッパ有数の「温泉大国」として知られ、多くの観光客が温泉目当てに押し寄せる。 トランシルヴァニア地方など、ルーマニアとの国境係争地帯を持っている。
主要都市
(参考)シェンゲン協定
ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定である。
経済
国際通貨基金(IMF)による統計では、2018年現在でGDPは1,612億ドル、一人あたりのGDP(為替レート)は1万6,484ドルであり、EU平均の約45%、世界水準の約1.4倍である。
ハンガリーは1989年の体制転換以来、外国資本を受け入れて積極的に経済の開放を進めた。その結果、1997年以降年間4%以上の高成長を続けるとともに、2004年には経済の民間部門が国内総生産(GDP)の80%以上を占め、「旧東欧の優等生」と呼ばれるほどであった。また2004年の欧州連合加盟は、当時のハンガリー経済にとって追い風になった。
しかしその後、インフレーションと失業率が増加して貧富の差が広がり、社会問題として常態化した。また巨額の財政赤字も重要な課題であり、現政権が目標とするユーロ導入への見通しは立っていない。
伝統的な産業ではアルコールが強い。特にワインは有名で、ブルゲンラント、ショプロン、ヴィッラーニなど著名な産地があるが、中でもトカイのトカイワインはワインの王と言われる。農業ではパプリカが名産品で、ハンガリー料理にもふんだんに使われる。ガチョウの飼育も盛んであり、ドナウ川西岸(ドゥナーントゥール地方)が主産地である。ハンガリー産のフォアグラもよく輸出されている。
科学と技術
ハンガリーは歴史的に多数の科学者を輩出している。同国出身の科学者は核兵器やコンピュータの開発に貢献したことで世界的に知られており、ナイマン・ヤーノシュ(ジョン・フォン・ノイマン)はコンピュータの開発に貢献した。ケメーニィ・ヤーノシュは米国人計算機科学者のトーマス・E・カーツ(英語版)とともにBASIC を開発した。
傍ら、ハンガリー人にはさまざまな分野で後世に影響を与える発明をしている人物が多い。ハンガリー人の発明にはルビク・エルネーによるルービックキューブやブローディ・イムレによるクリプトン電球などがある。
(参考)ハンガリー人のノーベル賞受賞者
文化
音楽
ハンガリーは多様な民族性に支えられた豊かな文化を持ち、特にハンガリー人の地域ごとの各民族集団(ロマなど)を担い手とする民族音楽は有名である。また、リスト・フェレンツ(フランツ・リスト)、フランツ・レハール、コダーイ・ゾルターン、バルトーク・ベーラなど多数の著名なクラシック音楽の作曲家も輩出した。多様な民族音楽にインスピレーションを受けて作曲した音楽家も多い。
温泉
ハンガリーでは温泉が湧き出し、温泉文化が古くから伝わっている。ブダペストにおける温泉文化は2000年近くある。ブダペストのオーブダ地区にある古代ローマ時代のアクインクム遺跡に、ハンガリー最初の温泉浴場が建設された。当時の浴場跡を今日でも見ることができる。オスマン帝国に支配されていたときに、ドナウ川河畔に発達した。
スポーツ
サッカー
ハンガリー国内で圧倒的に1番人気のスポーツはサッカーとなっており、1901年にプロサッカーリーグの「ネムゼティ・バイノクシャーグI」が創設された。中でも名門クラブのフェレンツヴァーロシュTCはリーグ最多32度の優勝を誇り、UEFAカップの前身大会であるインターシティーズ・フェアーズカップでは1964-65シーズンに優勝している。
サッカーハンガリー代表は古豪として認識されており、FIFAワールドカップにはこれまで9度出場している。1938年大会と1954年大会では準優勝に輝いており、当時マジック・マジャールと呼ばれ世界屈指の強豪国としてその名を轟かせていた。さらにUEFA欧州選手権には4度出場しており、初出場となった1964年大会では3位入賞を果たした。
オリンピック
詳細は「オリンピックのハンガリー選手団」を参照
2012年ロンドン大会までのハンガリーの獲得メダル数は482個であり、211の歴代参加国・地域のうち獲得総メダル数は8位である。特に水球、陸上競技、フェンシング、競泳、近代五種競技においてもその活躍が見られ、中でも水球は獲得金メダル数が世界最多となっている。特にハンガリー史上初の金メダルをもたらした競泳での獲得メダル数は42個で、これは歴代8位である。
(参考)メルボルンの流血戦でも有名な水球ハンガリー代表。
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