【はじめに】
この記事では。競馬の中央競馬G1レースで「初めて親子制覇」を達成した馬たちを思いつく限り纏めています。令和に入って2年連続「初の母子制覇」が達成されたことを踏まえ、過去にはどういった血のドラマが紡がれてきたのか、知る機会としてください。
流石に……全部のレースをご覧になってご存知という方はいらっしゃらないでしょうが、きっと目の前でこれらのレースを観戦された方はそのドラマが強く印象に残っていることかと思いますので。初心者の方々を中心に新たな発見があれば幸いです。早速、競馬の歴史を紐解いていきましょう!
昭和時代:八大競走の初の親子制覇
戦前には例えば以下の様な親子制覇が達成されたという記録が断片的に残されています。しかし基本的には国内で走った馬の産駒が大レースを勝つことは珍しく、大正時代ぐらいまで稀なことでした。
以下、1930年代に整備されたクラシック競走と天皇賞について、初の親子制覇の例を見ていきます。
1947年 東京優駿:カブトヤマ → マツミドリ
マツミドリとは日本の競走馬。父・カブトヤマと母・栄幟の間に生まれた鹿毛の牡のサラブレッドである。1947年に行われた第14回東京優駿競走(現・東京優駿〈日本ダービー〉)に優勝し、父カブトヤマに次ぐ親子2代での日本ダービー制覇を史上初めて達成した。
1945 – 1946年は日本ダービーにあたる競走が中止されており、この年は第二次世界大戦後初の開催であった。また、父・カブトヤマは1933年に第2回東京優駿大競走(日本ダービーにあたる)を制しており親子2代のダービー制覇を達成したことで「ダービー馬はダービー馬から」という言葉が生まれた。
マツミドリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1952年 菊花賞:セントライト → セントオー
種牡馬時代
セントライト
競走馬引退後は小岩井農場に戻り種牡馬となった。太平洋戦争を経て、1947年にはオーエンスが「平和賞」として再開された春の天皇賞に優勝した。
しかし、戦後進駐したGHQによって三菱財閥は解体され、小岩井農場もサラブレッド生産を禁じられると、セントライトは1949年より岩手畜産試験場に移された。その後オーライトが1951年秋の天皇賞に優勝、1952年にはセントオーが菊花賞父子制覇を達成した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東上して2番人気で迎えた「日本ダービー」を12着と大敗した【セントオー】でしたが、6月から秋にかけて9戦8勝(阪神記念3着)で菊花賞を制し、【スウヰイスー】の3冠を阻んでいます。
1954年 優駿牝馬:クリフジ → ヤマイチ
その後はオークスを親子2代で制覇したヤマイチを始め3頭の重賞勝利馬を輩出したが、1964年に老衰により25歳の生涯を閉じた。
主な産駒
クリフジ
・ヤマイチ(繁殖名:朝藤) – 桜花賞、優駿牝馬、菊花賞3着。史上初の優駿牝馬母仔制覇を達成。だが現在子孫は残っていない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
母・クリフジは桜花賞に間に合わずだったため、牝馬2冠を達成した娘【ヤマイチ】と重複しての娘子制覇となったのは「優駿牝馬」のみ。しかもクリフジは秋開催、ヤマイチは春開催のオークスを制しているため同一レースかは微妙かも知れませんが、それでも、母は10馬身、娘が6馬身差をつける強さには感服です。
1955年 天皇賞 春:シーマー → タカオー
シーマーは、日本の競走馬、種牡馬である。当時は重賞が少なかったこともあり、重賞勝ち鞍は天皇賞(春)だけだが、種牡馬としては同期のマツミドリを超える成功を収めた。
だが、古馬になって本格化を果たし、1948年5月16日開催の天皇賞(春)で大波乱の立役者となった。6頭立ての5番人気の低評価であったが、有力馬の体調不良にも助けられ最低人気のカツフジを鼻差で振り切り、レコードタイムでの逃げ切りで天皇賞優勝を果たした。
種牡馬となったシーマーは、早くも2年目の産駒からダイナナホウシユウ・タカオーの2頭が天皇賞馬となり、同競走親子制覇を成し遂げた。
シーマー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事では、天皇賞(春)と(秋)を区別して集計しますが、【ダイナナホウシユウ】が制したのは(秋)だったため、「天皇賞(春)」に限っての親子制覇は【タカオー】の方になります。
1978年 天皇賞 秋:トウメイ → テンメイ
テンメイ(1974年4月13日 – 1993年10月7日)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬・種牡馬。牝馬初の啓衆社賞年度代表馬・トウメイの代表産駒で、1978年の天皇賞(秋)で史上初の天皇賞母子制覇を成し遂げた。
初重賞制覇が天皇賞となると共に、史上初の母子天皇賞制覇を成し遂げた。同一馬主・同一調教師・同一騎手による勝利となったほか、母と同じ大外12番枠スタートからの半馬身差勝利という偶然も重なった。
テンメイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(春)での偉業達成から四半世紀が経って昭和後半、「トウメイ→テンメイ」、そして「メジロアサマ→メジロティターン」という母子・父子制覇が成立。年2回・勝ち抜け制の昭和の「天皇賞」制度になってからの母子制覇はまさに偉業でした。
1983年 皐月賞:トウショウボーイ→ミスターシービー
牡馬三冠のうち最も達成が遅れたのが「皐月賞」。史上初の父・クラシックホースからの三冠馬ともなった【ミスターシービー】が、父・トウショウボーイとの親子制覇で、皐月賞史上初の偉業達成に。
なおミスターシービーの産駒のうち【シャコーグレイド】は16番人気ながら2着と善戦し、あわや親子3代での皐月賞制覇の可能性があった点も興味深いところでしょう。
平成前半:G1競走の初の親子制覇
時代は進み、グレード制導入以降、多くのG1競走が誕生し、それぞれに特化した舞台で「親子制覇」が達成されていきました。早速みていきましょう。
1992年 安田記念:ニホンピロウイナー→ヤマニンゼファー
ヤマニンゼファーは日本の競走馬、種牡馬。中央競馬にて2度の安田記念、天皇賞(秋)で優勝、更にスプリンターズステークスでも2年連続で2着の成績を残すなど、1200メートルの短距離から2000メートルの中距離まで幅広い距離で活躍した。1993年度JRA賞最優秀5歳以上牡馬、 最優秀短距離馬および最優秀父内国産馬。
出生 – デビュー
ヤマニンゼファー
父ニホンピロウイナーは競走馬時代に3度の最優秀短距離馬に選出され、日本における「短距離路線の開拓者」とされたGI3勝馬。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
G1に昇格して間もない1985年の安田記念を制した【ニホンピロウイナー】を父に持ち、その産駒であった【ヤマニンゼファー】との親子制覇は、短距離の血が国内で見事に遺伝した例といえるでしょう。
1992年 ジャパンC:シンボリルドルフ → トウカイテイオー
1984年のカツラギエース、1985年のシンボリルドルフと日本馬が連勝してからは外国勢に6連勝を許していた「ジャパンC」。7年ぶりの日本馬優勝を果たしたのがルドルフの子【トウカイテイオー】。
八大競走と同格かそれ以上とされてきた「ジャパンC」での史上初の親子制覇が果たされます。
1993年 有馬記念:シンボリルドルフ → トウカイテイオー
そしてこの親子によって成し遂げられたもう一つの「初の親子制覇」が有馬記念です。『奇跡の復活』と語り継がれるこのレースですよね。
今以上に超一流馬が揃う目標となるG1レースで、癖の強いこの中山2500mの舞台を制した両頭というのは、日本競馬史上に残る名親子だったと言って差し支えないと思います。
平成後半:充実の90年代世代が次々、親子制覇
2008年 阪神JF:ビワハイジ → ブエナビスタ
母ビワハイジも前身の阪神3歳牝馬ステークスを制していることから、母仔制覇を達成。初勝利から2連勝を果たしたのは、牝馬限定戦となって以降初めてであった。
母ビワハイジが勝利した阪神ジュベナイルフィリーズ、父スペシャルウィークが勝利した天皇賞(秋)、ジャパンカップを勝利し、両親と同一GI級競走親仔制覇を果たした。
ブエナビスタ (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かつての「阪神3歳S」がG1に格付けされたのは1984年。牝馬限定戦の「阪神3歳牝馬S」になったのは1991年のことです。ビワハイジは1995年に阪神3歳牝馬Sを制し、レース名が変更した2000年代に娘のブエナビスタが優勝し、G1としての同レース初の母娘制覇を達成しています。
2008年 朝日杯FS:グラスワンダー → セイウンワンダー
朝日杯がG1に昇格する前に歴史的圧勝を遂げた【マルゼンスキー】を父に持つ2頭(以下の2例)が、一応「朝日杯の親子制覇」を初めて達成した事例といえます。
※1982年 朝日杯3歳S:マルゼンスキー → ニシノスキー、1987年:サクラチヨノオー
ただ、G1に昇格してからこのレースを制した馬を父にもっての親子制覇に限ると、タイトルにも示した「グラスワンダー → セイウンワンダー」が初の例となります。
2008年に躍進し、4月にはマルカラスカルが中山グランドジャンプで障害GI2勝目を挙げ、11月にはスクリーンヒーローがジャパンカップを制して産駒の平地GI初制覇。
グラスワンダー
12月にはセイウンワンダーが朝日杯フューチュリティステークス(旧称・朝日杯3歳ステークス)でグラスワンダーとの親子制覇を達成した。同競走における親子制覇は、かつてグラスワンダーが比較されたマルゼンスキーと2頭の仔に続く、史上3例目であった。同年、グラスワンダーはJRA種牡馬ランキングで10位となり、初のベスト10入りを果たす
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グラスワンダーが『マルゼンスキーの再来』と言われたことも何かの運命かも知れませんね。
2009年 高松宮記念:キングヘイロー → ローレルゲレイロ
2009年のJRA賞最優秀短距離馬である。同年の高松宮記念(GI)、スプリンターズステークス(GI)を制し、フラワーパーク、トロットスターに続いて史上3頭目となる同一年JRAスプリントGI級競走独占を果たした。
高松宮記念では、2002年ショウナンカンプ以来史上2例目の逃げ切りを果たし、2000年優勝馬の父キングヘイローとともに、レース史上初めてとなる父仔高松宮記念優勝を成し遂げた。スプリンターズステークスでは、ビービーガルダンとの約1センチメートル差「史上最小差」とも言われる争いを制し、史上初めて二桁着順2連敗からの巻き返しGI優勝も成し遂げた。
ローレルゲレイロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
結果的にG1は1勝だったものの、その「高松宮記念」で『キングヘイローが撫で切った!』と実況される鮮やか追い込みを決めG1馬となります。そして、その息子・ローレルゲレイロが短距離~マイル路線で初めてG1のタイトルを手にしたのも、同じ「高松宮記念」でした。
2009年 ジャパンCダート、2010年 フェブラリーS:ゴールドアリュール→エスポワールシチー
ゴールドアリュール(欧字名:Gold Allure、1999年3月3日–2017年2月18日)は、日本の競走馬、種牡馬。
2002年のJRA賞最優秀ダートホース、NARグランプリ特別表彰馬、ダートグレード競走最優秀馬である。同年のジャパンダートダービー(GI)、ダービーグランプリ(GI)、東京大賞典(GI)、翌2003年のフェブラリーステークス(GI)を優勝した。ダートGIを優勝した唯一のサンデーサイレンス直仔である。
種牡馬時代
ゴールドアリュール
また初年度産駒のエスポワールシチー(母父:ブライアンズタイム)は、2009年のかしわ記念を優勝し、産駒初GI勝利。同年秋のジャパンカップダートも優勝し、産駒初JRAGI優勝を果たしている。エスポワールシチーは、通算GI級9勝を挙げた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
芝から遅れること約10年、サンデーサイレンスが日本のダートを席巻することとなった【ゴールドアリュール】。その産駒の中でも抜けた活躍をみせた【エスポワールシチー】が、中央のダートG1・2つで史上初の親子制覇を達成しています。
2011年 宝塚記念:グラスワンダー → アーネストリー
グレード制が導入される前には、史上初の牝馬による宝塚記念ホース【エイトクラウン】と、その息子【ナオキ】が母子という形での親子制覇を達成していますが、G1昇格後での初の事例はこちらでした。
6番人気で迎えたレースは、好スタートから先頭を窺うも、最内枠から押して逃げるナムラクレセントの2番手を追走。1000m通過58.7秒の速いペースの中、直線入り口で先頭に立つと、ブエナビスタ、エイシンフラッシュの追走を封じてそのまま押し切り、念願のGI初勝利を挙げた。勝ちタイムの2分10秒1は当時のコースレコード。父のグラスワンダーも宝塚記念を制しており、史上二組目の親子制覇、史上初の父子制覇となった。
[注] 2着となったブエナビスタの父は、グラスワンダーが制した宝塚記念の2着馬スペシャルウィークで、産駒同士でのワンツーとなった。
アーネストリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
先ほども登場した【グラスワンダー】が、この宝塚記念でも初の父子制覇を達成。
2015年 NHKマイルC:クロフネ → クラリティスカイ
クラリティスカイ(Clarity Sky)は、日本の競走馬。2015年のNHKマイルカップに優勝した。
皐月賞出走馬がNHKマイルカップを制するのは20回目の開催にして初めてのことだった。父のクロフネは2001年にこの競走を勝っており父子制覇となったほか、前述のとおり母系もこの競走に縁があるファミリーで、「血統のつながりを感じさせる結果」となった。
クラリティスカイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「マル外ダービー」の印象が強かった頃のNHKマイルCを制し、2001年の話題をさらった【クロフネ】と親子制覇を達成することとなったのが上記の【クラリティスカイ】でした。さらにこの2年後にも、クロフネ産駒のアエロリットが親子制覇を果たしています。
令和時代:
2021年 秋華賞:アパパネ → アカイトリノムスメ
アカイトリノムスメ(欧字名:Akaitorino Musume、2018年4月16日 – )は、日本の競走馬・繁殖牝馬。主な勝ち鞍は2021年の秋華賞、クイーンカップ。
馬名は「赤い鳥(アパパネ)の娘」である事に由来(母名より連想)。
次走は秋華賞へ直行、鞍上も主戦の戸崎圭太に戻る。迎えたレース当日、好スタートを切り直線でファインルージュを差し切って優勝し、アパパネについで史上初の母娘制覇を達成した。また、同一調教師が管理した母子による同一GIレース勝利も史上初である。
アカイトリノムスメ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
史上3頭目の牝馬三冠を達成した【アパパネ】。その馬名を受けての命名だった【アカイトリノムスメ】は、「秋華賞」の創設25年をして遂に母子制覇を達成します。
2022年 スプリンターズS:ビリーヴ→ジャンダルム
ビリーヴ(欧字名:Believe、1998年4月26日 – )は、日本の競走馬、繁殖牝馬。
2002年にサンデーサイレンス産駒として初となる短距離GI・スプリンターズステークス(GI)を優勝。翌2003年には高松宮記念(GI)を優勝しJRA賞最優秀4歳以上牝馬に選出された。
7番仔ジャンダルム(牡、父Kitten’s Joy)は2017年11月11日に行われたデイリー杯2歳ステークスで勝利し、産駒の重賞初制覇を果たした。
ビリーヴ (競走馬)
その後、ジャンダルムはしばらく重賞勝利に縁がなかったが、7歳となる2022年にオーシャンステークスを勝利し5年ぶりに重賞制覇を挙げる。
そして、8番人気で挑んだGI・スプリンターズステークスで勝利を収める。これにより、産駒の初GI制覇および同レース史上初の親子制覇が達成された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新潟競馬場での代替開催となった「スプリンターズS」を、6年ぶり牝馬として制した2002年【ビリーヴ】。1200mを18戦して10勝2着3回という生粋のスプリンターだった彼女の息子【ジャンダルム】は、2021年からスプリントに照準を絞ります。鞍上が荻野極に戻って迎えた2022年には、オーシャンSで重賞初制覇を果たすと、母が引退レースでハナ差2着と敗れた中山開催での「スプリンターズS」で、同レース史上初の親子制覇を達成するのです。
奇しくも母が達成して20年後という2022年。メイケイエールやナムラクレアといった注目の牝馬たちが人気を集める中、母とは違い人気薄(8番人気)で迎えたこのレースでの優勝によって、レース前は大きく注目されていなかった『親子制覇』というドラマが急に注目されることとなったのです。
2022年 マイルCS:ダイワメジャー → セリフォス
ダイワメジャー(欧字名:Daiwa Major、2001年4月8日 – )は、日本の競走馬、種牡馬。
2003年に中央競馬(JRA)でデビュー、翌2004年に皐月賞を制する。その後、呼吸疾患の喘鳴症が重症化したことで一時不振に陥るが、手術を経てこれを克服し、2005年4月に復帰。2006年には天皇賞(秋)とマイルチャンピオンシップに優勝し、最優秀短距離馬に選出される。2007年にも安田記念とマイルチャンピオンシップを制し、再び同賞を受けた。通算28戦9勝。中央GI競走5勝は当時史上4位タイの記録。
競走馬引退後の2008年より種牡馬となり、カレンブラックヒル、コパノリチャード、ブルドッグボス、メジャーエンブレム、レーヌミノル、アドマイヤマーズ、ノーヴァレンダ、レシステンシア、セリフォスと9頭のGI級競走優勝馬を輩出している。
ダイワメジャーは、初期のカレンブラックヒルを始め、メジャーエンブレム、レーヌミノル、アドマイヤマーズ、レシステンシアと幾多のマイルG1を制してきました。
そして、父が連覇を達成した「マイルCS」は1984年以来1度も親子制覇の例がなかったですが、多くの産駒が挑んだ史上初の連覇に対し、これを達成したのが2022年の【セリフォス】でした。
セリフォス(欧字名:Serifos、2019年3月7日 – )は、日本の競走馬。主な勝ち鞍は2022年のマイルチャンピオンシップ、富士ステークス、2021年の新潟2歳ステークス、デイリー杯2歳ステークス。馬名の意味は、エーゲ海に浮かぶ同名の島(セリフォス島)から。
セリフォス (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
短距離~マイルで活躍した馬が種牡馬として大成し、産駒にそのスピードが伝わる事例が日本では歴史がまだ浅かったものの、皐月賞も制した父のスタミナとスピードが伝わってこれだけの名馬が輩出されたことで、マイルCSで史上初の親子制覇が誕生したのだと思います。
親子制覇が達成されていないG1レース
ここまで「親子制覇」が達成された中央G1レースなどを振り返ってきましたが、もちろん「親子制覇」が達成されたことのないG1レースも幾つかあります。
創設されて歴史の浅いものは当然ながら、実は意外と親子制覇が達成されていないレースの中には歴史の古いレースもありまして、今回はそちらを簡単に振り返っていきたいと思います。
八大競走唯一にして最古:桜花賞
第1回に中山競馬場1800mで創設された現在の「桜花賞」をソールレデイが勝って以来、1939年から戦争による中断を挟んで80頭以上の桜花賞馬が誕生してきましたが、実は『母子制覇』というのを達成した親子は現時点で誕生していません。
例えば、ベガの孫にあたるハープスターなどのように「母子」でない形での優勝や、親が他のG1を制して母子でのG1制覇となる桜花賞馬は何例か存在しますが、(私の調べた限り、)桜花賞馬から桜花賞馬は例がありません。
もちろん、牡馬混合戦と比べて「牝馬限定戦」での親子制覇は、その難易度が各段に上がります。それでも(歴史の浅いヴィクトリアマイルは除いて)他のG1では母子制覇が達成されているのに対して、最も歴史が古い部類のクラシック競走でこの偉業が達成されていないことには不思議さを感じます。
古いところで言えば、オークスで登場した【ヤマイチ】の母・クリフジのように、時代ごとにレースの持つ意味が少しずつ違うために達成されなかったこともあり、そういった歴史の積み重ねとして桜花賞の母子連覇が達成されていないだけだと信じています。きっと、令和のうちにこの偉業を達成する様な親子にチャンスが巡ってくるのではないかと期待しています。
ちょうど、上で見たように「初の母子制覇」が達成される事例が令和に2度続いたことを思えばです。この表に新たな歴史の1ページが加えられることを期待しましょう。それではまた。
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