【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「弥生賞ディープインパクト記念」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。
「弥生賞」について教えて?
弥生賞ディープインパクト記念は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場で開催する芝2000メートルの重賞競走です。1 3歳馬のクラシックへの登竜門として注目されています。2
今年の弥生賞ディープインパクト記念は、3月5日(日)に行われます。出走予定馬は10頭で、枠順は3月3日に決定しました。3 有力馬としては、ホープフルステークス2着のトップナイフや若駒ステークス2着のワンダイレクトなどが挙げられます。45
BingAI(2023/03/04)
昭和時代:東京記念から弥生賞に、距離は延長
昭和前半:「東京記念」廃止から「弥生賞」創設
現在、「東京記念」といえば大井競馬場で行われる重賞が知られていますが、1960年から4年間だけ、中央競馬でも「東京記念」という芝のレースが行われていました。ウィキペディアからの引用です。
1960~62年は春の東京開催での中距離重賞であり、それが1963年に現3歳限定のマイル重賞へと変化をしています。そして、この第4回を最後に「東京記念」は中止され、実質的に「弥生賞」へと機能が継承されました。
ちなみに、大井競馬場で開催される「東京記念」は、東京オリンピックの開会式が行われる前日(1964年10月9日)に第1回が開催されていて、1977年まで「東京オリンピック記念」という名称でした。
なので、大井に開催場を移したという訳でもないのでしょうが、一言だけ触れておきました。
昭和中期:中山マイルで創設、東京開催の時期も
1964年になると、東京ではなく中山のマイルで第1回が開催され、シンザン世代の各馬が出走。2着にブルタカチホ、4着に牝馬2冠となるカネケヤキ、8着に好敵手・ウメノチカラの名が見えます。
回数 | 施行日 | 競馬場 | 距離 | 優勝馬 | 性齢 | タイム |
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第1回 | 1964年3月1日 | 中山 | 1600m | トキノパレード | 牡3 | 1:38.5 |
第2回 | 1965年2月28日 | 東京 | 1600m | キーストン | 牡3 | 1:36.9 |
第3回 | 1966年2月27日 | 東京 | 1600m | タマシユウホウ | 牡3 | 1:39.9 |
第4回 | 1967年3月5日 | 東京 | 1600m | アサデンコウ | 牡3 | 1:38.7 |
第5回 | 1968年3月17日 | 中山 | 1600m | アサカオー | 牡3 | 1:37.4 |
第6回 | 1969年3月2日 | 東京 | ダート1400m | ワイルドモア | 牡3 | 1:25.1 |
第7回 | 1970年3月1日 | 東京 | ダート1600m | タニノムーティエ | 牡3 | 1:38.9 |
第8回 | 1971年3月14日 | 中山 | 1800m | メジロゲッコウ | 牡3 | 1:50.7 |
そして、1965~70年は(除く1968年)東京開催の時期となり、この間、キーストン、アサデンコウ、タニノムーティエといった具合に日本ダービー馬を次々と輩出しています。
それが1971年になって、中山1800mでの開催となり、グレード制導入の前年までこのかたちで定着をします。
競走名の「弥生」は、陰暦で3月を表す呼称。弥生とは「いやおい」が変化したもので、「弥」は「いよいよ」「ますます」、「生」は「生い茂る」と使われ、草木が芽吹く月という意味で呼ばれるようになったことに由来。
弥生賞ディープインパクト記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和後半:名馬続々、東西あわせての登竜門に
1971年に1800mに延長され、より「皐月賞」に近い距離設定となって、更に活躍馬がクラシック路線に直結する様になります。1970年代の7年をピックアップしましたが、ハイセイコーやカブラヤオー、TTG世代のダービー馬・クライムカイザーなどが名を連ねています。
第9回 | 1972年5月14日 | ロングエース | 牡3 | 1:50.3 |
第10回 | 1973年3月4日 | ハイセイコー | 牡3 | 1:50.9 |
第11回 | 1974年3月3日 | カーネルシンボリ | 牡3 | 1:51.2 |
第12回 | 1975年3月1日 | カブラヤオー | 牡3 | 1:51.2 |
第13回 | 1976年3月7日 | クライムカイザー | 牡3 | 1:51.2 |
第14回 | 1977年3月6日 | ラッキールーラ | 牡3 | 1:49.8 |
第15回 | 1978年3月5日 | ファンタスト | 牡3 | 1:51.7 |
そして、1980年代になると、現在と同じ2000m戦で皐月賞と同じ舞台となります。その過渡期には、2頭の3冠馬がこのレースを勝っており、まさに『王道』路線となっていきました。
第19回 | 1982年3月7日 | 中山 | 1800m | サルノキング | 牡3 | 1:51.4 |
第20回 | 1983年3月6日 | 中山 | 1800m | ミスターシービー | 牡3 | 1:50.2 |
第21回 | 1984年3月4日 | 中山 | 2000m | シンボリルドルフ | 牡3 | 2:01.7 |
第22回 | 1985年3月3日 | 中山 | 2000m | スダホーク | 牡3 | 2:03.0 |
第23回 | 1986年3月2日 | 中山 | 2000m | ダイシンフブキ | 牡3 | 2:02.4 |
第24回 | 1987年3月8日 | 中山 | 2000m | サクラスターオー | 牡3 | 2:02.1 |
第25回 | 1988年3月6日 | 東京 | 2000m | サクラチヨノオー | 牡3 | 2:01.1 |
平成・令和時代:中央で約半世紀ぶりの新たな馬名競走に
平成前半:コスモバルクの優勝まで
- 1982年から1990年までは5着までに優先出走権を付与していたが、1991年から3着までに改められた。
- 外国産馬は1984年から1996年、及び2002年以降出走可能になった。地方競馬所属馬は1993年から出走可能になり、2010年からは外国馬も出走可能な国際競走となった。
第27回 | 1990年3月4日 | メジロライアン | 2:05.4 | 横山典弘 |
第28回 | 1991年3月3日 | イブキマイカグラ | 2:01.7 | 南井克巳 |
第29回 | 1992年3月8日 | アサカリジェント | 2:01.5 | 柴田政人 |
第30回 | 1993年3月7日 | ウイニングチケット | 2:00.1 | 柴田政人 |
第31回 | 1994年3月6日 | サクラエイコウオー | 2:01.3 | 小島太 |
第32回 | 1995年3月5日 | フジキセキ | 2:03.7 | 角田晃一 |
第33回 | 1996年3月3日 | ダンスインザダーク | 2:02.7 | 武豊 |
第34回 | 1997年3月2日 | ランニングゲイル | 2:02.2 | 武豊 |
第35回 | 1998年3月8日 | スペシャルウィーク | 2:01.8 | 武豊 |
第36回 | 1999年3月7日 | ナリタトップロード | 2:03.5 | 渡辺薫彦 |
1990年代でいくと、メジロライアンに始まり、フジキセキ、ダンスインザダーク、スペシャルウィーク、ナリタトップロードなどクラシック戦線を賑わせた馬たちが名を連ねています。
21世紀に入って最初は【アグネスタキオン】が年明け緒戦の不良馬場を5馬身差の圧勝で3連勝とし、そして、2004年には“北海道の雄”こと【コスモバルク】がこのレースを制しています。
第38回 | 2001年3月4日 | アグネスタキオン | JRA | 2:05.7 | 河内洋 |
第39回 | 2002年3月3日 | バランスオブゲーム | JRA | 2:02.0 | 田中勝春 |
第40回 | 2003年3月9日 | エイシンチャンプ | JRA | 2:02.3 | 福永祐一 |
第41回 | 2004年3月7日 | コスモバルク | 北海道 | 2:00.5 | 五十嵐冬樹 |
こうして平成に入って「皐月賞への優先出走権」の頭数が減ったこともあってか、出走頭数は少頭数が続きます。そうした結果、人気馬がその期待どおりに『クラシックに向かって視界良好』な走りを見せる、そんな弥生3月初頭のレースとして印象が固まっていったのです。
平成後半:ディープインパクトが3冠馬に
第42回 | 2005年3月6日 | ディープインパクト | 2:02.2 | 武豊 |
第43回 | 2006年3月5日 | アドマイヤムーン | 2:01.5 | 武豊 |
第44回 | 2007年3月4日 | アドマイヤオーラ | 2:00:5 | 武豊 |
第45回 | 2008年3月9日 | マイネルチャールズ | 2:01.8 | 松岡正海 |
第46回 | 2009年3月8日 | ロジユニヴァース | 2:03.5 | 横山典弘 |
第47回 | 2010年3月7日 | ヴィクトワールピサ | 2:06.1 | 武豊 |
2005年には、そう【ディープインパクト】がアドマイヤジャパンにクビ差まで迫られながら重賞初制覇を飾っています。
ディープインパクトは、無敗でクラシック三冠を制するなど史上最多タイ(当時)のJRA・GI7勝を記録し、2008年には顕彰馬に選出され、種牡馬としても2012年以来11年連続リーディングサイアーを獲得するなど輝かしい実績を残した競走馬である。
弥生賞ディープインパクト記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
種牡馬となった後も、その活躍は続き、平成年間のレースだけで「弥生賞」をこれだけ勝っています。
- 2013年:カミノタサハラ (弥生賞)
- 2016年:マカヒキ (東京優駿、ニエル賞、京都大賞典、弥生賞)
- 2017年:カデナ (弥生賞、京都2歳ステークス、小倉大賞典)
- 2018年:ダノンプレミアム (朝日杯フューチュリティステークス、弥生賞、金鯱賞、マイラーズカップ、サウジアラビアロイヤルカップ)
- 2019年:メイショウテンゲン (弥生賞)
令和時代:「ディープインパクト記念」が追加
しかし、ディープインパクトは、元号が改まった直後の令和元年7月30日に17歳で亡くなります。それを受けてJRAはその年の秋には以下のような発表をしています。
2020年(令和2年)からは、2019年に死去したディープインパクトの功績を称え、同馬の重賞初勝利となった本競走の競走名を改称、同馬の冠競走「(報知杯)弥生賞ディープインパクト記念」として開催されることになった。
( 同上 )
令和になってからの新しい馬名冠競走は初で、中央競馬で現存する馬名冠競走はセントライト記念、シンザン記念に続く3例目で、新たに誕生する馬名冠競走は1974年に改称したアラブ重賞のシュンエイ記念とセイユウ記念(いずれも廃止)以来46年ぶりとなる。
現存するレースとしては確かに「シンザン記念(副題を含めれば「トキノミノル記念」)」などとなるでしょうが、少なくとも1974年にアラブ重賞として創設された両重賞の存在も忘れてはなりません。 まあいずれにしても、平成以降どころか約半世紀ぶりとなる『競走馬名』を冠した重賞の新たな誕生は新設ではなく、同馬が現役時代に勝ち、産駒も勝っていたレースに追加されるという形式を取ったのです。
命名された初回を【サトノフラッグ】と武豊のコンビで制しているのはカッコいいですし、2022年には唯一の出走馬であった【アスクビクターモア】がドウデュースを下して優勝しているのも見事でした。
- 2020年:サトノフラッグ (弥生賞ディープインパクト記念)
- 2022年:アスクビクターモア(菊花賞、弥生賞ディープインパクト記念)
59回もの歴史がある中、少頭数な年が多いことを加味しても、2桁人気の馬が1度も勝っておらず、2012年に9番人気のコスモオオゾラが勝つまでの約四半世紀で5番人気以下が1勝しかできなかったなど、『王道』かつ『本命サイド』な印象の強い「弥生賞ディープインパクト記念」です。
ここ7年のレースレーティングを併記した表がこちらです(↓)。
第53回 | 2016年3月6日 | 114.25 | マカヒキ | 1:59.9 |
第54回 | 2017年3月5日 | 113.25 | カデナ | 2:03.2 |
第55回 | 2018年3月4日 | 115.00 | ダノンプレミアム | 2:01.0 |
第56回 | 2019年3月3日 | 110.50 | メイショウテンゲン | 2:03.3 |
第57回 | 2020年3月8日 | 111.75 | サトノフラッグ | 2:02.9 |
第58回 | 2021年3月7日 | 117.00 | タイトルホルダー | 2:02.0 |
第59回 | 2022年3月6日 | 114.00 | アスクビクターモア | 2:00.5 |
2018・2021年は「G1の基準115ポンド」をも上回っています。2021年の勝ち馬【タイトルホルダー】の4歳春の活躍ぶりはまさに王道をゆく強さだったと思います。
もちろん、トライアルレースを使わない馬や2月開催を使って皐月賞に向かう陣営も増えてきているのは事実です。ただ、本番と同じ舞台で開催されることは一つの特徴ですから、軽視できないレースとして存続することは間違いないでしょう。
一方で、平成までの「弥生賞」の感覚でいると、時代の変化で徐々に移ろっていく傾向に気づかずに、予想の的中率が落ちてしまうなんてことにもなりかねません。ひとまず、ディープインパクトの直接の産駒がいなくなった時代に、どういった傾向の変化が訪れるのか、『ディープインパクト記念』を令和に命名されたこのレースの新時代に注目していきましょう。
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