競馬歳時記【2月4週】「中山記念」

【はじめに】
重賞競走の歴史を振り返りながら季節の移ろいを感じる「競馬歳時記」。今回は「中山記念」の歴史をWikipediaと共に振り返っていきましょう。

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昭和前期:中~長距離で年2回開催

本競走は1930年創設の「内国産馬競走 4000米」と、1933年創設の「中山5歳馬特別競走」を前身としている。1936年に中山競馬場・芝3200mのハンデキャップ競走として中山競馬場の芝3200mで創設された。当初は春と秋に年2回施行していたが、1952年より秋のみとなった。

1936年に創設された、4歳以上の馬による重賞競走。春季に行われる国内外の大レースを目指す実績馬や、力をつけてきた上り馬がぶつかり合う伝統のレースとして定着している。

中山記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

明治時代に松戸、大正時代に中山競馬倶楽部となりますが、1923年の関東大震災の大津波により当時の競馬場は被害を受けます。昭和の始めに現在の位置に移り、そこから1937年に日本競馬会へと統合されるまで単独で開催していました。

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関東だと「根岸(横浜)」と「東京(目黒)」競馬場が伝統・歴史の面からみても格上で、中山競馬場で創設された大レースの一つが、上の解説文にもある『中山四千米』競走でした。

イギリスゴールドカップにならい創設された。東京優駿競走が3歳馬の登竜門であるとすれば、中山四千米は競馬界を引退する時期の近づいた強豪級の真の実力比べの檜舞台とされていた。第2回までは「内国産馬」というレース名だったが、第3回から「中山四千米」となった。

中山四千米競走(なかやまよんせんメートルきょうそう)とはかつて中山競馬場の2周芝4000mで行われていた競馬の特殊競走(現在の重賞競走に相当)である。1930年から1936年まで年1回、春季競馬で行われていた。

中山四千米
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そして、秋には2マイルの古馬に限定した特別競走が開催されるようになり、その2つを統合する形で『日本競馬会』の発足と共に、年2回開催の重賞「中山記念」として整理し直されたのです。

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“長距離こそ正義”といった戦前の競馬において、古馬による長距離特別競走として創設された経緯からして時代の変遷と共に大きく距離は変化しましたが、コンセプトは変わっていないのかも知れません。今までの話を、少し雑にではありますが纏めていきます。

勝ち馬勝ち馬
193003/23
4000m
ハクシヨウ
1931ケンキン
1932中山四千米ハクリユウ
193304/02アスコツト11/05
3200m
ハクコウ
1934ハクセツ12/07カブトヤマ
1935デンコウ10/19トーチ
19364000mアカイシダケ10/18
中山記念
アトランタ
19373200mモアーザントクマサ
1938モアーザン11/27
3400m
モアーザン
19393400mフアインモア12/08テイト
1940ヘンウンエスパリオン
1941エステイツヤマトモ
1942ライオンカツプニパトア
1943クレタケシマハヤ

春は1936年まで4000m、秋は3200mで創設され、1936年秋の統合で一旦どちらも3200mに揃えられた後、1938年秋からは3400mで開催されていました。開催時期は春は4月頃、秋は時期がブレることも多かったですが、最終的に12月上旬で定着しています。

勝ち馬を見ると、この時代のスターホースが並んでいて、1934年には第2代日本ダービー馬である【カブトヤマ】があまり知られていませんが勝っています。1937年秋【トクマサ】もダービー馬ですね。
そして1937年からの2年間で3勝をあげている【モアーザン】は、現代にあまり知られていませんが、例えて言うなら「マツリダゴッホ」のような中山巧者だったのかも知れませんね。

そして、戦後も「中山記念」は年2回開催されますが、開催距離が春秋で異なるなどと少しずつ個性が出始め、国営競馬時代の1951年まで春秋開催が続きました。上の表を伸ばしますと、

勝ち馬勝ち馬
19433400mクレタケ3400mシマハヤ
19472600mトヨウメ3400mヤマトナデシコ
1948ブランドパプースエツザン
1949サチトミ3200mヒデヒカリ
1950カネフブキヤシマドオター
19513200mトサホマレ2600mミサワホープ

春は2600mで、秋は3000m級で開催され、1951年だけ逆転して年2回開催が終焉しています。今と異なり毎年の開催順が揃っていなかった関係で、特に秋競馬は10月だったり12月だったりと時期が移って不定な時期が続いていました。開催時期は結局、20年近く揺れ動く結果となります。

昭和中期:年1回(時期不定)開催で1800m戦に

  • 1952年 – 年1回施行に変更、秋のみとなり名称も「中山記念」に変更。
  • 1957年 – 施行距離を芝1800mに変更。以後、この施行距離が定着。
  • 1972年 – 負担重量を別定に変更。

年1回に統合された翌年の1952年が「秋」開催だったため、中山記念の回次は「春」を廃止し、「秋」で継承することとなっています。それはさておき、年1回に見直されてからも、開催時期は全く定着をせず、春から秋を行ったり来たりしていました。

1956年まで初秋、1957年:7月、1958年:3月、1959~60年:7月、1961~62年:4月、1963年:6月、1964年:2月、1965年:3月、1966年:5月、1967年:6月、1968~71年:4月

縦に並べるのも諦めて列挙しましたが、文字通り『毎年のように』開催時期が変化しています。これは如何に現代と違う番組表の感覚を持っていた昭和中期であっても異例です。俗に『伝統のG2』などと言われますが、初春開催が定着したのはここ半世紀のことで、その前は混沌としていたのだそうです。

開催距離については1956年までは2000m級で開催されていましたが、1957年からは大胆にも1800mに短縮され、結果として当時としては距離の短い「中距離ハンデ重賞」に落ち着いていったのです。

100回近く数える『中山記念』ではありますが、1800m重賞となってからは70年、初春開催となっては約半世紀ということは抑えておいて損はないかと思います。3桁近い数になっているのは前述のとおり年に2回開催していた名残です。

そして、何となく昔から『一流馬が注目するG2』という感覚を持っておられる方もいらっしゃるでしょうが、創設から1971年まではハンデ重賞であり、“長距離が正義”と見做されていた中にあって1800mのハンデ重賞というのはかなり評価が低かったというのは事実かと思います。

なので、現在のような『春・1800m・別定』という条件が揃った1972年以降の半世紀を注目します。

昭和後期:春・1800m・別定が揃って約半世紀

この条件が揃って最初期の名馬というのが【ハイセイコー】でしょう。距離に限界があった中距離馬の同馬が、NHK杯で10連勝を達成してから5連敗を喫する中、久々に2000m未満のレースに出走。

残り200mで先頭に並んで次元の違う脚を見せる様は、21世紀の中山J・G1でのオジュウチョウサンを見ているかのような衝撃を覚えます。仮に現在のローテであったならば、どれだけのG1を制していたのだろうと妄想してしまうほどの強さで『大差勝ち』を収めたのです。

そのハイセイコーからの15年間(昭和の終盤)では、1978年に9番人気が勝った例を除き、14回を3番人気以内の馬が勝つようになり、勝ち馬のレベルはさておき、手堅い別定戦と模様替えしました。

そして、戦前のモアーザン以来出ていなかった「連覇」を、1978~79年:カネミカサ、1982~83年:エイティトウショウが達成し、1984年からは『G2』に格付けされ、今につながっていきます。

平成前半:サイレンススズカが初重賞制覇

3月上旬開催だった「中山記念」ですが、当時の春の最初の大レースだった『天皇賞(春)』とは1400mもの距離差があるため、例えば『安田記念』などに向かうような中距離路線勢がメインに出走をしていました。

第63回1989年3月12日コーセイ牝51:48.7
第64回1990年3月11日ホクトヘリオス牡61:48.3
第65回1991年3月10日ユキノサンライズ牝41:47.7
第66回1992年3月15日ダイナマイトダディ牡41:48.5
第67回1993年3月14日ムービースター牡71:47.0
第68回1994年3月13日サクラチトセオー牡41:48.9
第69回1995年3月12日フジヤマケンザン牡71:50.3
第70回1996年3月10日サクラローレル牡51:47.2
第71回1997年3月9日キングオブダイヤ牡51:48.7
第72回1998年3月15日サイレンススズカ牡41:48.6
第73回1999年3月14日キングヘイロー牡41:47.5

とはいえ、1994年にサクラチトセオーが重賞初制覇、1995年にフジヤマケンザンが3年ぶりの重賞制覇、1996年に9番人気ながら復帰戦を飾ったサクラローレルなど、中長距離路線を問わず、実力ある馬たちが春の飛躍を誓って出走する舞台として注目度が高まっていきます。

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そうした中で、1998年には【サイレンススズカ】が武豊を背に、重賞初制覇(開花)を迎えています。このあたりから、中距離適正のある馬が始動する舞台としての印象が強まってきたように感じますね。

なお、開催時期はキングヘイローの勝った1999年までが3月中旬、その翌年からは2月最終週から3月上旬といった辺りに移っていきます。

平成後半:2勝する馬が4頭誕生

2000年代以降は、この中山1800mに適正のありそうな馬がリピーターとして2勝する事例が目立つようになります。もちろんモアーザンの昔からそうなのですが、中山適正というのは見逃せません。

( 同上 )

2003年から2009年にかけての7年間では4頭の馬が寡占をするなど、勝ち馬を見ても『中山記念』らしさを感じます。他にも勝ち馬としては、

( 同上 )

といった具合に、サウジが創設される前の平成時代には、ドバイへの国内壮行戦としての意味合いが強く、まさに世界的な活躍に直結するレースとなっていました。

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令和時代:パンサラッサはここからドバイへ

様々な路線、陣営の交差点として機能してきた「中山記念」は、平成後半にはすっかり『スーパーG2』候補として毎年注目されるようになりました。

少頭数でも楽しみなメンバーが揃い、G1級ホースが多く揃っていることから、毎年楽しみでしょう。

第90回2016年2月28日117.00ドゥラメンテ牡41:45.9
第91回2017年2月26日116.00ネオリアリズム牡61:47.6
第92回2018年2月25日114.50ウインブライト牡41:47.6
第93回2019年2月24日119.50ウインブライト牡51:45.5
第94回2020年3月1日117.25ダノンキングリー牡41:46.3
第95回2021年2月28日111.25ヒシイグアス牡51:44.9
第96回2022年2月27日112.25パンサラッサ牡51:46.4

2020年まではG1昇格も検討されるほどの高レートを誇っており、2021年からは『並のG2』というレーティングに収まっていますが、それでも華やかなる『中山記念』らしさを勝ち馬から感じます。

1000mを57秒6という驚異的なペースで逃げた【パンサラッサ】が最後詰められても2馬身差を付けた「中山記念」は、この後「ドバイターフ」でG1馬となり、札幌記念、天皇賞(秋)と連続2着となるなど『稀代の(令和の)逃げ馬』として注目されることとなりました。

しかし注目すべき点として、「サウジカップ」と開催時期も(芝・ダートの差はありますが)距離が全く重複しているのが気になります。事実、サウジカップが創設されてからレースレーティングもメンバーもやや分散傾向が見られるからです。

如何にG2とはいえ優勝賞金は6,700万円程度。それに対して、サウジカップは1着賞金のみならず入着を果たすだけでも億円単位の賞金が手に入ります。平成終盤ならば「中山記念 → 大阪杯」と展開したローテーションを、「サウジカップ → ドバイ → 宝塚記念」とシフトチェンジする陣営が出てきても、全く不思議はありません。

昭和の始めから平成年間まで『古馬重賞』としての高い地位を保ってきた「中山記念」ですが、今後も『スーパーG2』に近い格式を保てるのかは未知数です。注視していきましょう。気づいたら、すっかり並のG2に下がってしまうなどということのないように。

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