【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき作詞家・作曲家などのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは、「中田喜直」さんです。
中田 喜直(なかだ よしなお、1923年〈大正12年〉8月1日 – 2000年〈平成12年〉5月3日)は、日本の作曲家。
概要
中田喜直
『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』、『夏の思い出』などを作曲した日本の職業作曲家の一人である。父は『早春賦』で知られる作曲家の中田章。喜直は三男であり、兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rxヒット指標にみる「中田喜直」さんの人気曲
まず、私(Rx)のヒット指標による「中田喜直」さんの代表曲をみていきましょう。(↓)
1位:205万pt(1949年)『夏の思い出』
「夏の思い出」(なつのおもいで)は、江間章子作詞、中田喜直作曲の歌曲。 NHKからの依頼で作った曲である。
解説
各界を代表する黄金コンビにより作成されたため、1949年(昭和24年)6月13日にNHKのラジオ番組『ラジオ歌謡』にて石井好子の歌で放送されるや否や、瞬く間に多くの日本人の心を捕え、その後、曲中に現れる尾瀬の人気は飛躍的に高まった。石井好子の歌は当時レコード発売されなかった(ラジオ放送のテープ音源は現存する)。レコード発売された最初の音源は、1954年6月発売の藤山一郎が歌ったものである。
また1962年(昭和37年)8月–9月には、同じNHKの『みんなのうた』でも紹介された。歌は高木淑子とヴォーチェ・アンジェリカ。
中学校学習指導要領において、日本で「長く歌われ親しまれている歌曲」の一つとして挙げられていることから、音楽科の教科書にも掲載され、そのため幅広い世代に親しまれている。
夏の思い出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
作詞の経緯
江間は幼少のころ岩手山の近くに住んでいたが、そこはミズバショウの咲く地域だった。そして1944年(昭和19年)、たまたま尾瀬を訪れた。そこで目にしたのが、一面に咲き乱れるミズバショウだったのである。そのときの気持ちを「夢心地」とのちに表現している。戦後すぐの1947年(昭和22年)、NHKから「夢と希望のある歌をお願いします」と依頼された。思い浮かんだのが尾瀬の情景だった。その時の感動を詩にしたのが「夏の思い出」である。この歌のおかげで尾瀬は有名になったが、ミズバショウの咲くのは5月末であり、尾瀬の春先にあたる。そのため、せっかく夏に来たのにミズバショウを見ることができなかった、という人は多い。江間はその理由を『(夏の思い出)その想いのゆくえ』にて以下のように述べている。
尾瀬においてミズバショウが最も見事な5、6月を私は夏とよぶ、それは歳時記の影響だと思う
歳時記には俳句の季語が掲載されており、ミズバショウは夏の季語である。文学上の季節と実際の季節には、少しずれがある。また二十四節気においても夏にあたる。
( 同上 )
2位:145万pt(1952年)『雪の降るまちを』
雪の降るまちを(ゆきのふるまちを)は、1952年にヒットした内村直也作詞、中田喜直作曲の歌である。
概要
雪の降るまちを
この曲の初出は1951年にNHKラジオで放送された連続放送劇「えり子とともに」の挿入歌としてであった。ある回の放送前日におけるリハーサルで時間が余ることが分かり、その時間を埋めるべく急拵えで制作され、主演の阿里道子と南美江が新しい劇中歌として歌い、人気が出たため二番以降が制作され、高英男の歌唱によりレコードも制作されヒットした。後に、作曲者自らの手で女声合唱、混声合唱に編曲されている。
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3位:140万pt(1962年)『ちいさい秋みつけた』
「ちいさい秋みつけた」(ちいさいあきみつけた)は、サトウハチロー作詞・中田喜直作曲による日本の童謡。
1955年にNHKの特別番組『秋の祭典』の楽曲の1つとして作曲され、伴久美子がソロで歌った。番組内限定の曲であり、当初はレコード化されなかったが、1962年にキングレコードのディレクター長田暁二が合唱に最適な曲として見い出した。ボニージャックスの歌唱でレコーディングされ、LP『サトウハチロー童謡集』(品番:KH-53 / SKH-8)に収録された。同年末の『第4回日本レコード大賞』で童謡賞を受賞した。
ちいさい秋みつけた
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