【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは、「北島三郎」さんです。
北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年(昭和11年)10月4日 – )は、日本の演歌歌手、俳優、作詞家、作曲家、馬主。本名・大野 穣(おおの みのる)。
『函館の女』に始まる「女」シリーズ、『兄弟仁義』などの「任侠」シリーズなど、数多くのヒット曲があり、サブちゃんの愛称で知られる。日本を代表する演歌歌手の一人。
北島三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rxヒット指標にみる「北島三郎」さんの人気曲
まず、私(Rx)のヒット指標にみる「北島三郎」さんの代表曲をみていきましょう。こちらです(↓)
集計方法や企画の主旨については、下の記事に纏めてありますので初見の方はぜひご覧下さい(↓)。
ここから、それぞれ年代別の大ヒット楽曲を見ていきたいと思います。
昭和30年代(1962年)140万pt『なみだ船』
「なみだ船」(なみだぶね)は、北島三郎の2枚目のシングル。1962年6月5日に日本コロムビアから発売された。
概要
なみだ船
「なみだ船」は、北島がメジャーデビュー前に最初に吹き込んだ曲であり、「ブンガチャ節」と共にメジャーデビュー曲の候補でもあった。本作でミリオンセラーとなり、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞した。
北島のメジャーデビュー曲は「ブンガチャ節」だが、この歌は3回放送されただけで、発売から1週間で放送禁止になったため、事実上この歌がデビュー曲として扱われている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
既婚であることを隠し、25歳で『北島三郎』としてデビューを果たし、年末には『下町の太陽』を歌った倍賞千恵子さんと共に第4回・日本レコード大賞の新人賞に輝きます。
個人的には、この翌年(1963年)に『NHK紅白歌合戦』に初出場した時に歌った『ギター仁義』の高らかな歌声が初めて聴いた時から大好きです。
昭和40年代(1965年)170万pt『函館の女』
人気確立
1965年、この年の4月に「兄弟仁義」と「帰ろかな」、そして11月に「函館の女」と、この年リリースしたうちの3曲がヒットし、演歌歌手としての人気を確立。
『兄弟仁義』は東映で映画化され自らも出演。これも大ヒットし、シリーズ化され、主演映画スターとしても活躍するようになる。1972年10月9日、デビューから10年間所属した新栄プロダクションから独立し、北島音楽事務所を設立。
函館の女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NHK「夢であいましょう」昭和39年12月の歌だったこともあって、1965年には『帰ろかな』が「NHK紅白歌合戦」のトリ前に歌われましたが、その翌年に『函館の女』で4回目の出場を果たしています。
『函館』という地名を読み込んで、これまでの楽曲以上に『北』を印象付ける楽曲になった事と、その歌唱の伸びやかさが幅広い世代に愛されたことが想像に難くありません。
1960年代の後半は『~~の女』シリーズを着実に積み重ね、NHK紅白歌合戦の第24回(1973年)大会では『帰ろかな』の2度目歌唱で初の大トリを飾るなど歌手としての成長期のピークに達します。
昭和50年代(1980年)350万pt『風雪ながれ旅』
北島音楽事務所を設立して苦しんだ時期もあったものの、昭和50年代は後世に歌い継がれる話題曲が幾つも誕生しています。
「与作」(よさく)は、1978年に発表された日本の歌謡曲。北島三郎や千昌夫などの歌手によるシングルが発売されている。
概要
七澤公典が作詞・作曲し、NHKの音楽番組『あなたのメロディー』に応募した作品である。「与作」は一度は却下されたが、改良を重ねて再提出され、番組では弦哲也が歌唱し、年間最優秀作品に選ばれた。弦の他に北島三郎、千昌夫らがシングルを発表。原曲に少しアレンジを加えた北島のバージョンが最もヒットした。競作で発売されたレコードの累計売上は60万枚に達した。
北島は、折しも1978年1月から放送開始された『暴れん坊将軍』出演で注目された時期ということもあり、本作は久々のヒットとなった、これで歌手としても人気が再燃し、以来今日まで続く大物歌手としてその名を轟かせることになった。『NHK紅白歌合戦』では、1978年(第29回)・翌1979年(第30回)と、2年連続で歌唱披露している。
与作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もはや「モノマネ」でも大定番であり、木樵(きこり)の代名詞的な名称となっている『与作』、北島さんの久々のヒット作でした。
「風雪ながれ旅」(ふうせつながれたび)は、北島三郎の37枚目のシングル。1980年9月15日に日本クラウンから発売された。
概要
津軽三味線奏者の高橋竹山の生涯を元にした作品である曲である。歌唱者は、当初村田英雄を想定していたが「私は三味線で世に出た人間、浪曲出身だが、こちらは津軽三味線(が題材)だから」と難色を示し、北島にお鉢が回った。なお、後年アルバム用に村田も録音している。北島の「風雪ながれ旅」を収録したシングルレコードなどの累計売上は250万枚に達する。
『NHK紅白歌合戦』では、発表年だった1980年・第31回から以降、合計7回も歌われていた。特に、2回目の歌唱となった第32回の大トリ時の紅白ステージでは、途中から猛烈な吹雪を思わせるような、真っ白い紙吹雪が大量に舞い落ちて、歌唱披露する北島が見づらくなる程の演出が話題となり、以降紅白でこの曲を歌う際は同様の演出が定番となっていた。
風雪ながれ旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オリコンチャートでの売上とは大きな差があるものの、ウィキペディアで引用されている神戸新聞の記事の値を鵜呑みにすると、累計で350万ptとなり、『北島三郎』さんの楽曲の中でも最高得点を記録しています。カバーアーティスト数では『与作』と並んでいることからも、この曲の人気は明らかです。
そしてNHK紅白歌合戦でも繰り返し歌われ、代表曲のようになってきているのが『まつり』でしょう。1984年(昭和59年)と昭和50年代の最後に発売され、昭和・平成を通じて話題となっています。
「まつり」は、1984年(昭和59年)11月5日に日本クラウンより発売された北島三郎のシングル。アルバムにも多数収録されている。
概要
歌詞では、五穀豊穣を願う豊年祭り、子に受け継がれていく大漁祭りが躍動感たっぷりに描かれ、日本の祭りのダイナミズムが表現されている。ステージでは「ねぶた」に北島が乗って、大勢の踊り手と共に北島が歌うダイナミックなステージングが施されることが多い。また、特別公演のステージの嗜好は、毎年変わっている。紅白歌合戦からの勇退後の2015年から2017年にかけて、北島が実質上のオーナーである大野商事が馬主となっているキタサンブラックが、第76回菊花賞・第153回天皇賞(春)・第36回ジャパンカップで勝利した際には、公約として京都競馬場や東京競馬場で「まつり」のサビの一節を披露している。
まつり (北島三郎の曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和60年代(1986年)180万pt『北の漁場』
「北の漁場」(きたのりょうば)は、北島三郎の歌。1986年6月5日にシングルが発売された。
概要
北の漁場
北島の“芸道25周年”記念曲である。
第17回日本歌謡大賞最優秀放送音楽賞・第28回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。
1987年(昭和62年)度の日本音楽著作権協会(JASRAC)発表による楽曲別の著作権使用料分配額(国内作品)では、「命くれない」「雪國」「男と女のラブゲーム」「時の流れに身をまかせ」に続いて年間5位にランクインした。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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