【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは「村下孝蔵」さんです。
村下 孝蔵(むらした こうぞう、1953年2月28日 – 1999年6月24日)は、日本のシンガーソングライター。『初恋』『踊り子』『ゆうこ』『陽だまり』『恋路海岸』『ロマンスカー』など、恋愛をテーマとした数々のヒット曲がある。熊本県水俣市出身。
村下孝蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rxヒット指標にみる「村下孝蔵」さんの代表曲
早速、Rxヒット指標にみる「村下孝蔵」さんの代表曲をみていきましょう。表の基準は25万pt超です。
2位:40万pt(1981年)『春雨』
1979年、知人のライブハウス店主から勧められ、当時のCBSソニー(現在のソニー・ミュージックエンタテインメント)の全国オーディション(第1回CBS・ソニーオーディション)に応募し、グランプリを獲得。
しかしCBSソニーとしては、当時流行っていた山下達郎や南佳孝などのシティポップス系のアーティストを探しており、フォーク系でそれなりに年齢も重ねていた村下の将来性を巡ってはCBSソニー社内でも意見が分かれた。……ただ楽曲や声の良さは誰もが認めるところで、須藤の押しや、中国放送がバックアップしていたこともあり何とかデビューが決定、1980年5月21日、27歳の時、シングル「月あかり」でプロデビューした。
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1981年1月にリリースされた2枚目のシングル「春雨」は、地道なプロモーションを重ねて、チャート最高位58位を記録、およそ3ヵ月半に渡ってチャートにランクイン。
( 同上 )
YouTubeでの再生回数は数百万回を数える『春雨』が、総合2位となる40万ptを獲得。『初恋』の後のヒット曲を上回る得点となったことは正直意外でした。
1位:295万pt(1983年)『初恋』
1983年、30歳にして発表した5枚目のシングル「初恋」は、オリコンチャートで最高3位を記録する大ヒットとなる。「初恋」は村下がバラードとして作ったものを編曲家の水谷公生がテンポを上げてポップ系に編曲し、村下がそれを受け入れたことで完成をみた楽曲であった。
村下は「自分の経験を小さな核にして、世界を押し広げて昇華させる詩人。英単語を歌詞に使わず、『万葉集』や『古今和歌集』のような四季に彩られた美しい日本語を目指そうとした」、「叙情的で哀愁を帯びたメロディーと、素朴な歌声、英語を極力使わない丁寧な日本語の歌詞で根強い支持を集めた」等と評価される。
「初恋」発売の前後に全国キャンペーンなどのハードスケジュールが原因で肝炎を患い、多くのイベント、番組出演などをキャンセルし「初恋」がヒットしてもテレビ番組にはほとんど出演できなかった。それが原因で広島と東京の往復ができなくなり、1984年末に生活の拠点を東京に移した。同年秋から全国ツアーを開始したが翌1985年に再び体調が悪化し、入退院を繰り返した。
( 同上 )
TBS系『ザ・ベストテン』では、1983年4月28日に20位に浮上し、6月16日に10位にベストテン入りして8月11日まで計6週間ベストテン入りした。当時の村下は肝臓病の治療専念中により、同番組には一度も出演しなかったがロングヒットとなり、この年の年間ランキングで6位になった。年間ベストテンで村下は、司会の久米宏・黒柳徹子に対して喜びと感謝のメッセージ録音を送り、これが放送された。なお、村下孝蔵としての唯一のランクイン曲となった。
初恋 (村下孝蔵の曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和・平成を通じて、村下孝蔵さんの代表曲という印象が強い『初恋』は、わがヒット指標でも最大のヒット曲となっています。それどころか、1980年代前半(昭和50年代後半)を代表する高得点を記録していて、少なく見積もってもダブルミリオン、そしてトリプルミリオンにも達しそうな勢いをもっています。
賛否が分かれているとはいえ、令和に入って(2022年)ソニー公式が現代のPVを制作してYouTubeに公開しています。非公式の本人歌唱動画と合わせて、令和の時代も愛唱歌として歌い継がれていくかは注目したいところです。
3位:30万pt『ゆうこ』、『踊り子』、『陽だまり』
3位タイは四捨五入で3曲、いずれも30万ptとなっています。得点の内訳がそれぞれの曲で異なるのが特徴的なのですが、いずれも村下孝蔵さんの『初恋』に次ぐ代表曲として触れられる事の多い曲です。
- 『ゆうこ』
アルバム用に録音された時の最初のタイトルは、「ピアノを弾く女」であったが、レコード会社の女性社員たちから絶賛されたためシングル化することとなり、その際「ゆうこ」というコーラスを入れ込みタイトルも変えた。「ゆうこ」は見事ヒットし、村下はこの曲で初めて「夜のヒットスタジオ」に出演した。 - 『踊り子』
前作「初恋」に続き、およそ10万枚(オリコン)のシングルを売り上げるヒット曲となり、「初恋」に次いでライブ・コンサートでの演奏回数が多い曲である。晩年のテレビ番組出演では、この曲を歌った場合も多かった。 - 『陽だまり』
高橋留美子原作のテレビアニメ『めぞん一刻』最終クールオープニングの主題歌として起用され、ジャケットの隅には同作のヒロインである音無響子が描かれている。
平成から令和時代(五月雨忌)
- 1992年発売のシングル「ロマンスカー」は「これが売れなきゃおかしい」という思いで制作し、完成時に村下が「やっと納得する作品が出来た!」と語った渾身の作品であったが売れず、須藤は「時代が違ってきたんだ」と感じたという。
この時期の村下は試行錯誤の末、「自分には”初恋”を越える曲はできんかもしれん」「時代は追いかけるものではなく、巡りくるもの。向こうからやってくるのよ」という境地に至った。
- 1999年6月20日、駒込のスタジオでコンサートのリハーサル中に突然「気分が悪い」と体調不良を訴え、当初は救急車も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れていたが、診察でCTの装置に入った時点で意識不明の昏睡状態に陥った。
診察の結果「高血圧性脳内出血」と判明。医師の所見では当初、1週間ほどで回復し日常に戻れると言われていたが、脳内出血が再発し僅か4日後の6月24日に死去。46歳没。
葬儀は6月26日に営まれた。夫人の希望により、出棺の際には村下が生前最も気に入っていた楽曲「ロマンスカー」がかけられた。 - 命日である6月24日は、「初恋」のワンフレーズと、梅雨の時期であることより、『五月雨忌』と呼ばれ、没後、2017年まで追悼イベント・ライブが行われた。
ちなみに、「お天気歳時記」的に、6月24日(村下孝蔵さんの命日)の「広島」の天気を見てみると、
- 1999年 :●(雨:日雨量89.0mm)
- 2000年代:◎●●●●○○●○◎
- 2010年代:○◎●◎○◎●●○○
- 2020年代:◎◎
一日の天気の概略を「日本式天気記号」で表したものですが、2000年代前半までは大雨の降る日が多かった様なのですが、2000年代後半以降はむしろ雨の日は減り、五月晴れのような日だったり、蒸し暑い曇天の日が増えてきている印象だそうです。これも『五月雨忌』の一面として捉えましょう。
同じ6月24日を命日とする昭和の大歌手に「美空ひばり」さんがいらっしゃって、『林檎忌』や『麦の日』などの異名があります。
文筆家や歌人・俳人などの命日と同じ様に、歌手・アーティストについても、自身のヒット曲などにちなんだ異名が付けられるというのは、個人的には好きです。今後も語り継いでいきたいですね。
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