【はじめに】
この記事では、私の「Rxヒット指標」に基づき歌手/アーティストのヒット曲を振り返っていきます。今回取り上げるのは、「テレサ・テン(鄧麗君)」さんです。
テレサ・テン(1953年1月29日 – 1995年5月8日、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉)は、台湾出身の歌手。1970年代から1990年代にかけて、中華文化圏全域ないし日本、タイ、マレーシアなども含めたアジアにおいて広く人気を博したその業績から、生前から没後も「アジアの歌姫」と呼ばれている。
テレサ・テン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Rxヒット指標にみるミリオン相当5曲
私の独自指標(Rxヒット指標)にみる上位3曲は250万超、ミリオン相当は上位5曲に達します。特に評価すべきは、シングル売上の得点の満遍なさではないでしょうか。
1位:385万pt(1986年)『時の流れに身をまかせ』
個人的には、義務教育の頃に聞いた「歌謡曲」の中でも最も好きだった曲の一つが、この『時の流れに身をまかせ』でした。生前2度「NHK紅白歌合戦」でも歌唱されていますが、個人的には『なぜ紅白のトリを飾らないのだろう』と感じるがほどに名曲だと心酔していました。
「つぐない」、「愛人」に続き、作詞・荒木とよひさ、作曲・三木たかしのコンビ作品の3曲目である。なお前2作品はマイナー調の曲だったが、同曲はメジャー調に仕上がっている。
第19回日本有線大賞および、第19回全日本有線放送大賞(年間)で、それぞれ史上初となる3年連続のグランプリを受賞した。なお、東西の有線大賞3年連続同時大賞・グランプリ達成という記録は彼女のみである。
1986年度と1987年度の日本音楽著作権協会(JASRAC)発表による楽曲別の著作権使用料分配額(国内作品)で、2年連続で年間トップ10にランクインされた唯一の楽曲となった。
時の流れに身をまかせ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広く知られた実売ベースにすると、流石に385万ptには遠く及びませんが、昭和60年代の歌謡曲を代表する1曲としては、それぐらいのインパクトがあると感じ、シングル売上200万ptを採用しています。
この曲の強さは、平成時代、しかも後半に入ってから高まり、特に徳永英明さんがカバーし、NHK紅白歌合戦でカバーした2010年代以降を通じて、最終的なトップに躍り出たのではないかと思います。RIAJ(日本レコード協会)のダウンロード認定でも、テレサ・テンさんでは唯一の「プラチナ」認定を得ていますし、1980年代中盤の三部作の中でもトップクラスだと思います。
2位:350万pt(1985年)『愛人』
有線放送のリクエストチャートで14週連続1位を記録しており、また、全日本有線放送大賞と日本有線大賞では1984年の『つぐない』、1985年の『愛人』で2連覇を達成。1985年の『第36回NHK紅白歌合戦』に唐代の楊貴妃をイメージしたデザインの衣装で初出場を果たしている。
愛人 (テレサ・テンの曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『時の流れに身をまかせ』を上回るYouTubeの再生回数を誇るのが、『愛人』です。カバーアーティスト数では他2曲に劣りますが、総合では、200~300万pt台という数値に至っています。
3位:260万pt(1984年)『つぐない』
テレサ自身オリコンチャートでは初のベストテン入りを果たし、またTBSテレビ「ザ・ベストテン」では、1984年7月5日に「今週のスポットライト」で初出演、翌1985年1月17日放送時に初のランクイン(8位・1週のみ)となった。また、同曲でオリコンセールスは44.2万枚。別説として、売上枚数150万枚とする資料も存在する。 第17回日本有線大賞、および第17回全日本有線放送大賞(年間)で、テレサ自身初となる東西有線大賞でグランプリ2冠受賞を達成した。
つぐない (テレサ・テンの曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1974年の『空港』のヒットから10年をかけて、日本での再デビューを果たし大ヒットしたのがこの『つぐない』です。Rxヒット指標的には、再生回数などでやや差が付いていますが、特に上位3曲は、甲乙つけがたい1980年代の印象的な歌謡曲だと思います。
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